『最終執行、未完』
それは、治すための場所だった。
切り分け、整え、戻すための構造。
だが。
不完全が残った瞬間、
それは排除のための装置に変わる。
白が、歪む。
整っていた診療所の構造が、機能を変える。
治療のための配置が、執行のための配置へと再編される。
壁に並んでいたカルテが浮く。
名前のない記録が、無数に剥がれ上がる。
それぞれが“判断結果”を持ったまま、空間に展開される。
床が割れる。
下にあったはずのない構造が露出する。
処刑台に似た段差。拘束のための位置取り。
診療所ではない。
処理施設。
アガリアレプトが中央に立つ。
執行杖が、わずかに上がる。
「不安定な感情は、世界を損傷します」
定義の再提示。
揺らいだ分類を、強制的に上書きする。
「処置を完了します」
命令が下る。
カルテが動く。
記録が刃に変わる。
紙ではない。
定義そのものが、切断機構として機能する。
記憶の切片が鋭利になる。
形を持たなかった断片が、刃として再構築される。
ネリネへ向かう。
アスモデウスへ向かう。
“統合不能”と判断された要素を、直接削るために。
同時に。
空間そのものが圧を持つ。
立っているだけで、内部が削られる。
理由を保持できない。
意思を維持できない。
“残す”という選択そのものが、侵食される。
少し後方。
ヴァレフォルが肩を震わせる。
「……や、やば……き、きてる……」
逃げたい。
だが、離れない。
ナベリウスがその横で一歩引く。
「いやいやいや無理だろこれ!おれっち前出る役じゃねぇって!」
口では拒否する。
だが、その場からは動かない。
ムルムルは、さらに外側でふわりと浮く。
「ケケ……全部まとめて切る気だねぇ」
軽い声。
だが、見ている場所は正確。
前線。
クチナシが踏み込む。
躊躇がない。
刃の軌道に入る。
避けるのではなく、受ける。
当たる。
だが、止まらない。
切られたはずの“理由”が、完全には落ちない。
動きだけが残る。
前に出る。
ヘルハウンドが並ぶ。
同時に動く。
最短。
処置の中心へ。
アガリアレプトへ。
回避ではない。
処理の“間”を叩く。
完全な防御は存在しない。
だが、完全な処置も成立していない。
そのズレを突く。
衝突が起きる。
空間が揺れる。
カルテの一部が裂ける。
記録が破損する。
処置の精度がさらに落ちる。
ネリネは立っている。
不完全なまま。
だが、崩れていない。
刃が近づく。
記憶の切片が、彼女を削ろうとする。
だが、完全に通らない。
“分からないまま残す”という状態が、刃の定義に合致しない。
削りきれない。
中途で止まる。
ネリネは、それを見る。
怖さはない。
完全に理解できないから。
だが。
“消される”という結果だけは、拒否する。
足が動く。
一歩。
自分の意思で。
前に出る。
その動きが、空間に影響する。
処置の対象が、静的ではなくなる。
アガリアレプトの視線が揺れる。
「対象が安定しない」
「処置精度低下」
再計算に入る。
だが、その間に。
アスモデウスが動く。
ネリネの側へ。
並ぶ。
今度は、隠れない。
位置を明確にする。
対象としてではなく。
“ここにいる存在”として。
刃が来る。
それを受ける。
完全には防げない。
だが、通しきらせない。
内部の構造が変わっている。
借り物ではない。
選び続けた結果。
それが、干渉する。
ムルムルが、くすりと揺れる。
「ケケ……いいねぇ、それ」
ヘルハウンドが踏み込む。
距離がゼロになる。
アガリアレプトの処理範囲の内側へ入る。
そこで初めて、物理的な衝突が成立する。
掴む。
叩きつける。
処理ではない。
破壊。
ナベリウスが叫ぶ。
「は!?そこ入るの!?おれっち絶対やらねぇからなそれ!!」
だが、視線は逸らさない。
戦況は見ている。
それでも完全には崩れない。
アガリアレプトは“概念”として残る。
だからこそ。
処置を完了させようとする。
領域がさらに歪む。
白が濁る。
診療所と処刑場が、完全に重なる。
逃げ場がなくなる。
全域が執行対象になる。
ヴァレフォルが小さく息を詰める。
「……む、無理……これ……」
それでも離れない。
クチナシが前に出る。
ネリネの前に立つ。
理由はない。
説明もない。
それでも、そこに立つ。
行動だけが残る。
ネリネは、その背を見る。
分からない。
でも。
そこにあるものだけは、確かにある。
アガリアレプトが最後の処置を宣言する。
「最終執行に移行」
すべてを一度に切り分ける準備。
空間全体が、刃になる。
だが。
完全ではない。
崩れ始めている。
定義が揺らいでいる。
“残ってしまうもの”が、処理を拒んでいる。
ムルムルが、ぽつりと落とす。
「ケケ……これ、終わらないやつだ」
決戦の前提が、ここで揃う。
完全な処置と、不完全な残存。
その衝突が、次に繋がる。
完全に整えることができないなら、
世界はそれを切り捨てようとする。
それでも。
残るものは、消えない。




