『自分から切り離される』
感情は、本来ひとつに繋がっている。
理由も、記憶も、痛みも。
だが、それを分解すれば――
それぞれはただの要素になる。
意味を失い、関係を失い、
“自分である”という前提から切り離される。
そして。
すべてを取り除いたあとでも、
消えないものが残る。
ネリネの拒絶が落ちたあとも、空間は止まらない。
否定は成立している。
だが、それは“処置を止める条件”にはならない。
アガリアレプトの執行杖が、わずかに振れる。
触れていない。だが、内側だけが切り出される。
境界が指定され、ネリネの内部から“要素”が引き上げられる。
さっきまで“分からないまま掴もうとしていたもの”が、今度は逆に引き剥がされる。
色が抜ける。
感情が、物質のように分離される。
最初に浮いたのは、鈍い青。
胸の奥に沈んでいた重さ。
理由も形も曖昧なまま残っていたもの。
悲しみ。
次に、鋭い赤が滲む。
拒絶。怒り。納得できないまま抱えていたもの。
言葉にできなかった否定。
怒り。
その奥から、薄い光が剥がれる。
触れたくて、触れられなかった距離。
名前も輪郭も持たない、けれど確かにあった温度。
恋だったもの。
最後に、形を持たない空白が持ち上がる。
思い出せない。けれど、確かに“あった”と分かる欠損。
埋まらない場所。
喪失だったもの。
すべてが、ネリネの外に浮かぶ。
重力から切り離され、白い空間に並ぶ。
順序もなく。
統合もされず。
ただ、要素として分解される。
ネリネの呼吸が、浅くなる。
だが、苦しくない。
苦しさを構成していたものが、外にあるからだ。
胸の奥が、軽い。
軽すぎる。
さっきまで拒絶していたはずのものが、触れられない位置へ移動している。
空洞に近い軽さ。
アガリアレプトが淡々と言う。
「不要な反応を確認」
「切除を開始します」
執行杖の先が、浮かんだ感情へ向く。
分類される。
優先度。残存価値。損傷率。
切り分ける準備。
ネリネは、それを見る。
自分の中にあったはずのもの。
けれど。
距離がある。
近いのに、触れられない。
さっきまで“あると分かっていたもの”が、今は“ただそこにあるだけのもの”になる。
関連が、切れている。
「……それ」
声が出る。
視線が、浮かぶ感情へ向く。
だが、実感が伴わない。
「……それ、私の?」
問いは弱い。
確認ではない。
分からないから出る言葉。
アガリアレプトは即答する。
「はい」
「あなたの内部から抽出されたものです」
正確な説明。
だが。
ネリネの中で、それは“繋がらない”。
自分のものだと理解はできる。
だが、“自分である”という感覚がない。
切り離されている。
ネリネは手を伸ばす。
浮かんだ光へ。
届く距離。
だが、触れた瞬間。
指が、すり抜ける。
干渉できない。
自分のものなのに。
操作できない。
ネリネの表情が、消える。
怒りもない。悲しみもない。
どちらも、外にある。
残っているのは、機能だけ。
立つ。見る。呼吸する。
それだけ。
空白が、内側に広がる。
静かだ。
痛みがない。
だが。
“何かが足りない”という認識だけが、微かに残る。
それすら、曖昧になっていく。
アガリアレプトが処置を進める。
「切除準備完了」
「統合不能要素を排除します」
執行杖が、振り下ろされる。
その瞬間。
ネリネの視界が、わずかに揺れる。
さっき“消していいものじゃない”と言った自分の声が、遅れて引っかかる。
何に対して言ったのかは、もう分からない。
どれが自分のものかも分からない。
それでも。
“消される”という結果だけが、拒否として残る。
ネリネは、何も分からないまま立っている。
空になりながら。
それでも、完全には空にならない。
どこかに、わずかな抵抗が残る。
名前も形も持たないまま。
それでも、消えきらない。
空になりきれない。
それだけが、残る。




