表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響  作者: ゴンザレス清盛


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

267/283

『条件の内側に、残るもの』

契約は、正確だ。


条件は明確で、

優先順位も固定される。


だから迷いはない。


何を残し、何を切るか。

すべては条文で決まる。


――本来は。


けれど。


どれだけ整えても、

削れないものがある。


それは契約に書かれない。


それでも、すべての選択を動かす。

 契約の接続が、さらに深く沈む。境界が重なり、二つの基準が一つに束ねられていく。

 さっきまで外側にあったはずの“観測点”が、内側へ引き込まれる。


 少年の内側にあるものが流れ込む。痛み。熱。息の浅さ。視界の揺れ。

 そして、それらとは別に消えない一点。


 ネリネへ向けられたもの。


 言葉になっていない。形も定義も曖昧。

 それでも、最初から最後まで一貫している。


 残したい。


 アスモデウスは一瞬だけ黙る。

 さっきまで“行動として残っていたもの”が、ここでは“核として存在している”。


 観測では処理しきれない純度。

 契約の条文には書かれていないもの。

 それでも全体を支配しているもの。


 少年は言わない。


 喉は動く。言葉は出せる。

 だが選ばない。


 言えば、止まる。

 言えば、選ばせてしまう。


 それを切る。


 代わりに残すのは、条件だけ。


「ネリネを、生かして」


 短い。だが十分。


 その一文が、内部に固定される。命令ではない。強制でもない。

 優先順位として刻まれる。


 最上位。


 自分の維持よりも先に来る条件。


 アスモデウスは、それを拒まない。

 むしろ、その一点に自分の定義を寄せる。


 契約は歪まずに通る。


 その瞬間。


 変化が始まる。


 少年の髪が揺れる。


 炎の光を受けて、白く透けていた髪が、ゆっくりと色を失う。

 いや、塗り替わる。


 内側から。


 色が“書き換わる”。


 白が沈む。

 光を弾いていた色が、吸い込む色へと変わる。


 黒へ。


 同時に、瞳の奥が変質する。

 呼吸の取り方が変わる。

 体温の捉え方が変わる。


 世界の“感じ方”が、組み替えられる。


 身体の主導権が、移行していく。


 少年の輪郭が、アスモデウスの基準へ寄せられる。


 だが、消えてはいない。


 残っている。


 最後の一点として。


 ネリネへ向けられたものだけが、消えずに残る。


 アスモデウスはそれを掴む。


 自分を保つためではない。


 さっきまでのように“消えないため”でもない。


 条件を遂行するための支点として。


 少年の意識が揺れる。

 視界が暗くなる。

 血の量が足りない。


 それでも、ネリネの手だけは離さない。


 アスモデウスは、その動作を引き継ぐ。


 指の力。

 握り方。

 引くタイミング。


 すべてが、自然に再現される。


 考えない。


 身体がそうする。


 ネリネが顔を上げる。


 目の前の少年の変化に、言葉を失う。


 白かった髪が黒に変わっている。

 同じ顔なのに、違う。


 温度が違う。


 でも。


 手は、同じまま。


 離さない。


 ネリネは何か言おうとする。

 声にならない。


 少年――アスモデウスは、首を振る。


 いい、と伝える。


 言わなくていい。

 止まらなくていい。


 選ばなくていい。


 その“余白”だけを残す。


 ネリネはうなずけない。

 でも、手を握り返す。


 それが答えになる。


 その反応が、内部に届く。


 アスモデウスの中で、わずかにズレる。


 観測では分類できない反応。

 だが、拒絶はしない。


 消そうともしない。


 ただ、受け取る。


「……了解」


 小さく呟く。


 契約の受諾。


 だがそれは、さっきまでの“形式”とは少し違う。


 条件の理解ではなく、実行の意思としての音。


 少年の意識が、さらに薄れる。


 だが完全には消えない。


 ネリネを守るための、最後の支点として残る。


 アスモデウスは、それを保持する。


 黒く染まった髪が、炎の光を吸い込む。


 新しい姿。


 だが、やることは変わらない。


 ネリネを生かす。


 それだけが、すべてを動かす。


 火の音が近づく。

 人の気配が迫る。


 時間はない。


 アスモデウスは立つ。


 ネリネの手を引く。


 離さないまま、森の奥へ踏み込む。


 足場を選ぶ。

 煙の流れを読む。

 気配の濃い方向を外す。


 すべてが、即座に選択される。


 考えたわけではない。


 優先順位があるから、迷わない。


 ――ネリネを生かす。


 その一点が、他を切り捨てる。


 背後で枝が折れる。


 追手が近い。


 ネリネがよろける。


 腕に重さがかかる。


 引き上げる。


 その動作が、遅れない。


 そのまま走る。


 息が荒くなる。

 肺が焼ける。

 心臓が鳴る。


 すべてが“内側の感覚”としてある。


 観測ではない。


 経験。


 アスモデウスは、その違いを認識する。


 だが止まらない。


「……面倒だ」


 呟く。


 その言葉の意味が、少しだけ変わっている。


 前は、不要だったもの。


 今は、抱えたまま進むもの。


 森の奥へ。


 火から外れる。


 人の気配が薄れる。


 ようやく、速度を落とす。


 ネリネを倒木の陰へ押し込む。


 息を整えさせる。


 自分も膝をつく。


 血が流れる。

 痛みが遅れて届く。


 それでも、手は離さない。


 ネリネがこちらを見る。


 さっきより呼吸がある。


 条件の一つが満たされる。


 息を止めない。


 アスモデウスは、その結果を確認する。


 そして、胸の奥に残っているものに触れる。


 言葉にしなかったもの。


 契約には書かれていないもの。


 それでも、ここまで動かしたもの。


 残したい、という一点。


 それはまだ、自分のものではない。


 だが。


 完全に他人のものでもない。


 アスモデウスは、それを切り捨てない。


 消そうともしない。


 ただ、そこに置く。


「……次だ」


 小さく言う。


 誰に向けた言葉でもない。


 ネリネの手を引く。


 もう一度、立つ。


 離さないまま。


 契約は、続く。


 そしてその内側で――


 言わなかった想いが、条件以上の何かとして残り始めていた。

ここで契約は完成する。


同時に。


契約では定義できないものが、

内側に残る。


譲渡されなかったもの。

消えなかったもの。


それが、次の選択を動かす。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ