『分かれて残るもの』
そのままでは、残れないものがある。
壊れることも、消えることもできず、
形を変えて、無理やり残るものがある。
ひとつだったはずのものは、分かれ、
違う色を持ち、別々に存在しようとする。
それは、正しい形ではない。
けれど。
それでも残ろうとした結果だけが、そこにある。
これは、“混ざらなかったもの”が、
かろうじて形を保っていた痕跡の話。
雪は、薄くなっていた。
踏めばすぐに土が見える。湿った地面。冷たい空気。冬の終わりが近いのに、春の気配はまだ遠い。
道は細い。
人の通りは少ない。
それでも、どこか“整いすぎている”感じがあった。
ネリネが足を止める。
何かを見つけた。
「……なに、それ」
小さく呟く。
道端。
石の隙間。
そこに、花があった。
黒と白。
二色のバラ。
同じ茎から、違う色の花が咲いている。
不自然だった。
形は整っている。
美しい。
でも。
“正しくない”。
ネリネはしゃがむ。
じっと見る。
触れようと、手を伸ばす。
指先が、花びらに触れる。
その瞬間。
崩れた。
音もなく。
形だけがほどける。
花びらは、粉のように散る。
風もないのに、消えていく。
「……」
ネリネは手を止めたまま、動かない。
残ったのは、茎だけ。
色も、形も、もうない。
「……嫌な花」
ぽつりと言う。
美しいのに、残らない。
触れた瞬間、崩れる。
意味もなく咲いて、意味もなく消える。
アスモデウスが後ろから覗く。
「似合うけどね」
軽い声。
いつも通りの調子。
ネリネは振り返る。
「褒めてるの、それ」
「さあ?」
肩をすくめる。
笑っている。
でも。
目は、花のあった場所を見ている。
ネリネは立ち上がる。
「……最悪」
吐き捨てる。
クチナシが近づく。
地面を見る。
「……今の」
「残りだな」
ナベリウスが言う。
一拍。
「匂いは薄い」
「でも、ある」
ヘルハウンドが短く補足する。
ネリネは腕を組む。
「植物まで出るの?」
「形を借りてるだけだ」
ナベリウスが答える。
「本体じゃねぇ」
クチナシが小さく言う。
「……触ると崩れた」
「そういう残り方だ」
一拍。
「触れられねぇもんが、触れられた瞬間に切れる」
ネリネは顔をしかめる。
「意味分かんない」
「分からなくていい」
アスモデウスが軽く言う。
「分かると面倒だから」
ネリネが睨む。
「そればっか」
「便利だろ」
笑う。
でも、軽くない。
空気が、重い。
さっきの花が、まだそこにあるみたいに。
残っている。
クチナシがしゃがむ。
花があった場所。
指先で土を触る。
冷たい。
湿っている。
普通の土。
何もない。
「……残ってない」
「見えるもんだけが全部じゃねぇ」
ヘルハウンドが言う。
クチナシは頷く。
「……うん」
ネリネがもう一度、そこを見る。
黒と白。
同時に存在していた色。
でも、今はない。
その違和感だけが残る。
「……なんで、黒と白なの」
誰に向けた問いでもない。
でも、アスモデウスが答える。
「対になってるからじゃない?」
「何の」
「さあ?」
曖昧に返す。
ネリネが舌打ちする。
「ほんと腹立つ」
でも、切り捨てない。
その中に何かあると分かっているから。
ナベリウスが低く言う。
「色の話じゃねぇ」
一拍。
「分かれ方の話だ」
ネリネが眉を寄せる。
「分かれ方?」
「ひとつだったもんが、分かれて残ってる」
クチナシが顔を上げる。
「……残り方」
「そうだ」
ナベリウスが頷く。
「そのままじゃ残れねぇと、こうなる」
一拍。
「歪んででも残る」
ネリネは何も言わない。
視線だけが残る。
さっきの場所に。
アスモデウスが、少しだけ声を落とす。
「“そのまま”じゃ無理だったんだろうね」
一拍。
「だから分かれた」
ネリネの胸の奥が、ざわつく。
理由は分からない。
でも、その言葉だけが引っかかる。
「……何が」
小さく聞く。
アスモデウスは答えない。
ただ、笑う。
「さあ?」
繰り返す。
でも、今度ははっきり分かる。
――逃げている。
ヘルハウンドが前を見る。
「動くぞ」
短く言う。
立ち止まる場所じゃない。
ここは、ただの通過点。
ネリネは最後に一度だけ振り返る。
何もない場所。
でも、確かにあった。
黒と白のバラ。
触れた瞬間に崩れた花。
意味の分からない違和感だけが残る。
「……最悪」
もう一度、呟く。
それ以上は出ない。
クチナシが並ぶ。
何も言わない。
でも、距離は近い。
アスモデウスは少し後ろ。
ナベリウスは前へ出る。
匂いを追う。
ヘルハウンドが先を行く。
道は続く。
冬の終わり。
でも、それは始まりの静けさじゃない。
むしろ。
“歪みが形を持ち始める”前の静けさだった。
黒と白は、混ざらないまま、同じ場所にあった。
黒と白。
本来なら、同時に在る必要はなかったもの。
それが並んでいたのは、調和ではない。
ただ、“分かれてしまった”結果だ。
ナベリウスは嗅ぎ取る。
クチナシは受け止める。
ネリネは違和感として抱え、
アスモデウスは知りながら、言葉にしない。
そして、ヘルハウンドは止めない。
“そのままでは残れなかったもの”は、
歪んだ形で現れる。
触れれば崩れる。
けれど、触れるまで消えない。
それはきっと、記憶と同じだ。
完全には戻らない。
混ざることもない。
それでも、消えなかったから、そこにある。
――分かれたまま、残っている。




