『触れれば終わるもの』
終わらないものには、理由がある。
壊れたからではない。
弱かったからでもない。
ただ、そこに――
触れなかった。
選ばなかった。
それだけで、終わりは閉じる。
そして、繰り返す。
同じ傷を。
同じ死を。
同じ瞬間を。
だが。
たった一度でも、触れればいい。
それだけで、終わりは戻ってくる。
戦場は、変わらない。
剣がぶつかる音。
土を踏み抜く音。
荒い呼吸が、そこかしこで途切れては繋がる。
すべてが“ある”。
なのに。
どこにも、終わりがない。
倒れる。
立ち上がる。
削れる。
戻る。
流れず、巡る。
閉じた輪の中で、同じ死が繰り返される。
クチナシは踏み込む。
迷いはない。
さっき見えたもの――白。
あれに触れるために。
槍斧を低く構える。
柄の重みを腰で受け、踏み込みと同時に斜めに振り上げる。
距離を詰める。
アンドロスへ。
届く間合い。
刃が走る。
当たる。
だが。
滑る。
ほんのわずかに。
結果だけが、外れる。
同じだ。
さっきと同じ。
削りきれない。
終わらない。
けれど。
ひとつだけ、違う。
視界の端。
また、白が揺れた。
今度は、消えない。
ほんの少しだけ長く残る。
小さな手。
その中にある、花。
それが。
落ちる。
指から離れ、地面へ。
触れる。
その瞬間。
アンドロスの動きが、止まった。
完全ではない。
だが、確かに。
呼吸が、一拍遅れる。
空間の歪みが、わずかに追いつかない。
それだけで、十分だった。
ヘルハウンドが踏み込む。
迷いはない。
一直線。
余計な動きを削ぎ落とした、最短の一撃。
拳が叩き込まれる。
今度は、届く。
確かに。
衝撃が、奥まで通る。
肉を打つ感触。
骨へ響く重さ。
アンドロスの身体が、わずかに後ろへずれる。
ずれた。
“戻る前に”。
岩陰から、ナベリウスが低く笑う。
「……やっぱ鍵だな」
一拍。
「“外れたもん”が落ちた瞬間、ズレが生まれる」
ヴァレフォルが震えた声で続ける。
「も、戻りきってない……今……」
一拍。
「全部じゃない……」
「今よ!」
ネリネの声が裂ける。
クチナシは動く。
追撃。
躊躇はない。
槍斧を引き戻す。
今度は叩きつける。
斧刃を上から振り下ろす。
地面ごと割る軌道。
当たる。
触れる。
削れる。
だが。
次の瞬間。
空間が、遅れて歪む。
戻る。
完全ではない。
さっきよりも遅い。
だが。
まだ、戻る。
結果が、修正される。
「……チッ」
ネリネが舌打ちする。
「あと一歩なのに!」
アスモデウスが静かに言う。
「“そこ”に触れないと、駄目なんだろうね」
一拍。
「原因に」
ナベリウスが短く挟む。
「受け取ってねぇ。だから回る」
一拍。
「終わりが、入ってねぇんだ」
クチナシは息を整える。
胸が上下する。
重い。
空気も、武器も、時間も。
でも、分かる。
これは力じゃ壊せない。
理由でできている。
選ばなかった結果で、できている。
だから。
そこに触れないと。
終わらない。
アンドロスが、ゆっくりと口を開く。
「……やめろ」
低い声。
初めての、明確な拒絶だった。
クチナシの動きが止まる。
目を見る。
空だったはずの瞳。
何も映さなかったはずの奥。
そこに。
わずかに、揺れがある。
「触れるな」
一拍。
「そこには」
言葉が、わずかに遅れる。
噛み合わない。
「何もない」
岩陰で、ナベリウスが鼻で笑う。
「あるから止めてんだろ」
一拍。
「無いもんに、そんな顔しねぇ」
ヴァレフォルが小さく頷く。
「……見てる……あそこ……」
クチナシは、小さく息を吐く。
そして。
踏み出す。
「……ある」
初めて、言葉にする。
小さく。
だが、揺れない。
「そこに、ある」
アンドロスの目が揺れる。
今度は隠せない。
ほんのわずかに。
壊れきらなかったものが、浮く。
ヘルハウンドが低く言う。
「……そこか」
一拍。
「止まってる理由は」
アンドロスは答えない。
だが。
身体が、動かなくなる。
完全に。
攻撃も、防御もない。
ただ、立っている。
それだけで。
戦場が、歪む。
先ほどよりも強く。
不安定に。
戻そうとする力が、暴れる。
だが。
噛み合っていない。
ナベリウスが低く言う。
「……外した瞬間、崩れる」
一拍。
「触れりゃ終わる」
クチナシは目を逸らさない。
奥を見る。
白いもの。
落ちたもの。
受け取られなかったもの。
終わらなかった理由。
それが。
まだ、そこにある。
触れれば、終わる。
触れなければ、終わらない。
その境界が、今、目の前にある。
クチナシは槍斧を握る。
重みを確かめる。
そして。
もう一歩、踏み出した。
そこにあるものは、
壊すためのものじゃない。
終わらせるためのものだ。
だから、怖い。
触れた瞬間、すべてが変わる。
触れなければ、何も変わらない。
選ばなかった時間は、
そのまま続く。
だが。
選んだ瞬間。
止まっていたものは動き出す。
崩れるのではなく、
正しく終わるために。
そして今。
その一歩は、
終わりに触れるためのものになる。




