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第3話 金曜日のお楽しみ

 金曜日になった。(たもつ)さんは相変わらず開店と同時から「ウィスキーバー TOMO(トモ)」にいてくれている。そして18時半になったころ、出口(でぐち)さんが訪れた。


「こんばんは」


「いらっしゃい」


「いらっしゃいませ、こんばんは」


 お兄ちゃんと那津(なつ)は笑顔で迎える。出口さんはいつものように保さんの横に腰を降ろし、那津が渡した温かなおしぼりで手を拭いた。


「今日はどっちにする?」


「ジンジャーハイでお願い。お惣菜も頼むね」


「おう」


 お兄ちゃんが出口さんのボトルや氷を用意し、出口さんはボードを見つめる。


 今日のお惣菜は、うすいえんどうの卵とじと、菜の花のごま和え、高野豆腐と干し椎茸の含め煮だ。


 高野豆腐には干し椎茸の戻し汁も含んでいるので、とても風味がよい。干し椎茸にしても千切り大根にしても、戻し汁を捨てるなんてもったいないと思っている那津である。だからどちらもひたひたぎりぎりの水分で戻すのである。


 ちなみに同じく水戻しが必要なひじきには、あまり身体によくないとされる無機ヒ素が含まれている。だが水溶性のため、水戻しをすることで多くが除去できるとされている。なので戻し汁は捨てるが吉である。


 とはいえひじきを食べてヒ素中毒になったという報告などはないらしい。適量を食べるには問題ないのだろう。最近は水戻し不要の商品も多く出ている。便利なものだ。


「那津さん、高野豆腐のやつ、干し椎茸の戻し汁使ってます?」


「もちろんですよ」


「やった! じゃあ高野豆腐ください」


「はい、お待ちくださいね」


 出口さんは嬉しそうに目を輝かせ、那津は微笑む。


 小鉢に高野豆腐と干し椎茸を盛り付け、煮汁を少し張って、出口さんに出した。


「お待たせしました」


「ありがとうございます」


 出口さんはさっそく、干し椎茸の旨味をたっぷりと吸った、ひと口サイズの高野豆腐を口に運ぶ。もぐもぐと噛み締めて。


「これこれ〜。めっちゃええお味! ひとり暮らしやとどうしても干し椎茸扱うのって億劫で。でもお外でもなかなかお目にかかれんで。料亭とか行ったらあるんかも知れんけど」


 出口さんは満足げに表情を綻ばす。相当お気に召してくれたようだ。かくいう那津も、干し椎茸とその戻し汁を使った煮物は大好きである。唯一無二、干されたことで凝縮される旨味は、なににも代えがたいものだと思っている。


「確かに、干し椎茸は贅沢なお店で出されるイメージがあるかもですねぇ。でもそんなお高いお店、そうそう行くのは難しいですしねぇ」


「そうなんですよねぇ。あの、お嫌やなかったら、高野豆腐と干し椎茸、またお惣菜で作ってもらえませんか?」


「もちろんええですよ。ほな、出口さんが来られる金曜日に、2週間ごとぐらいでどうですか?」


「充分です、嬉しいです、ありがとございます」


 出口さんの嬉しそうな笑みに、那津は微笑ましくなった。本当に可愛らしい人だ。


 そのとき、新たなお客さまが来店した。


「こんばんは!」


「いらっしゃいませ」


「え、でぐっちゃんや、こんばんは〜」


鍵谷(かぎたに)さん、こんばんは」


 鍵谷さんと呼ばれた女性は、出口さんや那津よりも歳上で、快活な人だ。栗色のショートカットがそのイメージを強めている。独身で、おひとりさまを謳歌している。


 鍵谷さんは出口さんの横に掛け、那津が渡した温かなおしぼりを受け取る。お兄ちゃんは鍵谷さんのボトルセットを用意する。出口さんのお好みはレモン入りのハイボールだ。


 ボトルは「メーカーズ・マーク」、バーボンである。甘さとフルーティさを兼ね備えた香りを持ち、スモーキーな味わいなのだ。


 鍵谷さんも出口さんも、金曜日のご常連なので、こうして顔を合わすことが多く、それでお話をするようになった。


「あれ? でぐっちゃん、ちょ、ちょ」


 鍵谷さんはなにやら出口さんに素早く耳打ちする。すると出口さんは「えっ!?」と顔を赤くして。


「お、おトイレお借りします」


 そう言って駆け込んでいった。いったいなにごとだろうか、大丈夫だろうか。那津は心配になってしまう。保さんとお兄ちゃんも、顔を合わせて怪訝な表情になっている。


 数分後、少ししょんぼりして出てきた出口さんは椅子に戻り、タンブラーに半分足らず残っていたジンジャーハイを、いつもよりハイペースで飲み干した。


「ちょ、出口、どうしたんや、少量や言うても一気飲みしたらあかんやろ。水飲むか?」


 お兄ちゃんが軽く顔をしかめる。出口さんは「へへ……」と照れたように笑った。


「歯にかつお節付いてたって……お恥ずかしい……」


 なるほど、鍵谷さんが気づいて教えてくれたのか。


「かつお節って、晩めしか? なに食うてきたん」


「たこ焼き。浪花屋(なにわや)の」


「ああ、なるほどな」


 浪花屋さんは、長居(ながい)で人気のたこ焼き屋さんである。多くはテイクアウトの利用だが、コンパクトながらもイートインスペースもある。


 たこ焼きは小ぶりなのだが、お出汁がしっかりと効いていて、卵もたっぷり使われていて、仕上げには削り節。とても味わいの深い一品である。人気があるのも頷ける味なのだ。


 強いて難を言えば、定休日が多いこと。平日の3日間、火曜日から木曜日がお休みなのだ。


 もちろん那津も食べたことがある。お兄ちゃんがお昼ごはんとして買ってきてくれることもあるのだ。


「美味いよな、あっこ。ビールも?」


「あたしにはビールはおとなの味やもん。お冷で充分」


「はは、出口らしいな」


 お兄ちゃんが小さく笑うと、出口さんも「ふふ」と微笑んだ。

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