第3話 優しい理由
那津は手を止めたまま、呆然としてしまう。お兄ちゃんはそれがおかしかったのか「くく」と皮肉めいた笑みを漏らす。那津は我に返り、また玉ねぎを揉んだ。
「なっちゃんはさ、癌の原因て、知ってる?」
「ううん、あまり」
那津は医療方面はさっぱりなので、素直に首を振った。
「まぁ、酒とか煙草とか生活習慣とか、いろいろ言われとるけどな、結局は分からんのや。遺伝とも言われとるけどな。癌細胞はそもそも人間にあるもんや。癌ってさ、罹患で言わんやろ、発症、やろ。要は癌細胞が働き出すかどうかの問題や。確かに発癌性物質とか言うけど、そんなんで簡単に癌になるわないやん。おかんとお母さんの前の旦那さんは若年性やったけど、平均寿命が伸びて、今や癌は年寄りのふたりか3人にひとりが発症しとるて言われてる。そんな身近なもんになってしもてるんや。それやのに、それもお母さんのせいにされたら、たまったもんやないわ。それやのに、おかんの癌にはおとんに何も言わんかったよな」
「健康管理は嫁の仕事やから」
お祖父さまはごにょごにょと言うが。
「当時はお母さんも働いてたんやから、旦那さんの健康は自己責任やろ。例え専業主婦やったとしても、癌の発症までコントロールできるわけないやんか。それ以外にも再婚相手は既婚歴のない若い女性やないとって、それどんなダブスタやねん。おれ、おとんがそんな女性求めとったら、そのほうが気持ち悪いわ。おれはおとんがお母さんと結婚してくれてよかったって思ってる。ええお母さんやったし、ええ妹とペットもできた。おれにとって、これ以上の幸いはないんやわ」
お兄ちゃんは、本当にご祖父母を毛嫌いしているのだな、と那津は、乱暴とも言える口調にびっくりする。
お祖父さまはぼそりと口を開く。
「……もう、啓太に、辛い思いをさしたくなかったんや」
どういうことだろうか。お兄ちゃんと那津は顔を見合わせる。
「若い相手やったら、啓太より先に逝く確率も下がるやろ。夕実さんを亡くしたときの啓太は、すっかりと落ち込んでしもうて、見ていられんかった。そりゃあ事故とか病気とかの不慮のこともあるやろうけど、啓太よりも1日でも長く生きられる人をって思った。それやのにまさか、同じような歳で、それも連れ合いを同じ癌で亡くした女性と再婚したいなんて言われて、しかも子どもまでおるなんて、到底受け入れられんかった……」
ご祖父さまの苦しげに発せられた言葉に、お兄ちゃんが表情をわずかに和らげた。話の流れからして、お父さんの前の奥さま、お兄ちゃんの実母さんが夕実さんというのだろう。
「祖父ちゃんらも、おとんのこと、考えとったんやな」
「当たり前や、啓太はわしらの大事な息子や。ひとりっ子やったから余計や。それに」
お祖父さまがちらりと那津を見るのを、目の端で捉えた。那津は塩もみをして水分を搾った玉ねぎスライスに、塩こんぶを混ぜ込んでいた。
「血の繋がらん子どもを、孫やて言われても無理やった。わしらの孫は蛍だけ。啓太の相手が若い女性やったら、さらに増えるてかも知れんかった」
那津はなんとなく気まずい気持ちになってしまう。確かに血の繋がらない子どもを「孫だ」と連れてこられて、はいそうですかと受け入れるのは難しいだろう。なんだか申し訳ないような気持ちになってしまう。それが顔に出てしまったのか。
「なっちゃんは悪くない。気に病まんでええからな」
「……うん」
那津はほっとして、ほのかに頬をゆるめる。
「わしらはな、別に那津さんに恨みとかがあるわけやあれへん。那津さんかてお父さん亡くして、まどかさんとふたりで大変やったて思ってる。せやから啓太との出会いは経済的にも救いやったやろう。けど」
「みくびらんでください」
那津は思わず口走っていた。何を言っているのだ。那津のことはともかく、お母さんを貶められるのは許せない。ご祖父母は唖然とした表情で那津を見る。
「確かに父を失ったことは辛かったですし、母も同じです。でも母が啓太さんと結婚をしたのは、家族として支え合っていけると思ったからなはずです。啓太さんと母は、若くして事故やご病気で亡くなられた方のご遺族の会で知り合いました。蛍くんとわたしも一緒でした。啓太さんと母は、幸せそうでした。同じ痛みを知っていて、せやからこそ、労わりあうことができた。それを、貶めるような言い方をせんでください。啓太さんにも失礼やと思います」
那津はほぼ一息でそこまで言って、はっと我に返る。なんてことを。
「すいません、生意気言いました」
那津が慌てて頭を下げると、お祖父さまが「いや」と沈痛な表情でかぶりを振る。
「こちらこそ、失礼なことを言うてしもた。まどかさんを貶すようなつもりはなかった。けど、そうやな、啓太が一緒になろうとした人なんやから、ちゃんとした人なはずやもんな」
ご祖父母がうなだれる。那津は「はい」と頷く。
「わたしにとって啓太さんは、実の父と同じくらい、大切なお父さんでした。お父さんは母とわたしを大事にしてくれました。確かにお父さんと母は亡くなってしまいましたけど、幸せやったことだけは、知ってて欲しいです。わたしたちは、めっちゃええ家族やったって、断言できます」
「そうか、そうか……」
お祖父さまは表情を和らげ、お祖母さまはまた洟をすすり、ハンカチで目元を拭った。




