第1話 思いがけない「お客さま」
厳かに年が明けた。「ウィスキーバー TOMO」は大晦日からお正月三が日、お休みをいただいた。個人経営のお店だから、ぎりぎり許されることだと思う。
今や、スーパーでも年中無休が当たり前のようになっている。デパートもここ数年はそうだったが、最近は元旦だけはお休みのところも増えているそうだ。
お兄ちゃんの初詣は、大国町にある今宮戎神社だった。こちらはえべっさんの愛称で親しまれており、1月の9日から11日には十日戎で大いに賑わう。そこが初詣になったのだ。
商売に携わる者にとって、商売繁盛を司るえべっさんは重要なものである。お賽銭を入れ、その年の繁栄を願い、福笹を賜る。そこに吉兆を取り付けてもらい、お店の守り神になってもらうのだ。
今年の十日戎は金曜日から日曜日で、お昼営業を担っている那津は時間の捻出が難しかったので、今日金曜日のお昼にお兄ちゃんに行ってもらったのだ。お兄ちゃんが青々とした福笹を手にお店に来たのは、お昼の営業時間が終わってからだった。
「めっちゃ凄い人やったわ、平日やのになぁ」
お兄ちゃんは笑いながらそう言って、軽く疲労の色を見せた。いちばん混雑するのは本戎の10日で、しかも土曜日だから、その人出はかなりのものになるだろう。今日は平日の宵戎だから、明日よりはましなはずである。それでも混み合っていたことは容易に想像できる。
「お疲れさま、お兄ちゃん、ありがとう。さっそく福笹飾ろうか」
那津は言って、たこ糸を出す。福笹に結わえ、カウンタの中に吊るすのだ。付いている吉兆は3種類。金の俵と打ち出の小槌、小判である。それに追加して、交通安全の短冊はえべっさんのご厚意だ。
去年賜った福笹は、昨日のうちに外し、お家に持って帰っていた。お兄ちゃんはお家から直接えべっさんに行って、直接お店に来たのだった。
なので、スイは朝から那津と一緒にここに来ていた。ただし、夜のようにカウンタの上ではなく、カウンタ内に折りたたみ椅子を置き、猫かごをセットして、そこにいてもらっていた。今はカウンタの上のいつもの場所に移っている。
お客さまはあまりカウンタ内、厨房を覗き込むようなことはしないが、隠したりもしていないので、スイを見つけるお客さまもいた。「猫ちゃーん」なんて手を振ってくれたり。スイも慣れたもので、そのたびに「にゃあ」と返事をしてくれていた。
福笹を壁のフックに掛け、お兄ちゃんと那津は並んで福笹に手を合わせた。
今年も「TOMO」とわたしたちを、どうかお願いします。
心を込めて、お願いをする。決して派手な繁栄を望んでいるわけではない。お兄ちゃんとスイ、那津のお城であるここを、長く続けていけますようにと。
「さ、なっちゃん、お昼にしよか」
今日は金曜日なので、お昼ごはんは那津のキーマカレーである。
「せやね。今日は人参とブロッコリとマッシュルームやで。挽き肉は豚肉」
「ええな、美味そうや」
お兄ちゃんはカウンタ席に掛け、那津はカレーの準備をする。お鍋に残ったカレーはふたり分。お客さまに出すときはお客さまの人数に合わせて大小のフライパンで温める。だが今はお鍋を火に掛ける。
お皿にターメリックライスを平たく盛り、温めたカレーをぽってりと乗せた。スプーンを添えて、グラスにお水も用意した。スイにはいつもの猫缶である。
「はい、お兄ちゃん、お待たせ。スイ、ここ置くね」
「ありがとう」
「にゃ」
那津の分も受け取って置いてもらい、那津はいそいそと客席に回った。キーマカレーが置かれているお兄ちゃんの隣に腰を降ろして。
「いただきます」
と、揃って手を合わせた。
ターメリックライスとカレーを合わせてスプーンですくい、口に運ぶ。柔らかだがスパイシーで、そこにブロッコリと人参のほっくりとした甘さ、しっとりとしたマッシュルームの香り。カレーの風味のなかにあって、素材はふっくらと主張をする。
それでもそれぞれ味わいが違う具材たちは、カレーによって一体化するのだ。
「ん、やっぱり美味いな」
「ありがとう」
お兄ちゃんと那津は、ゆっくりとスプーンを動かす。えべっさんでのお話を聞きつつ、食事を進める。店内に和やかな空気が流れる。那津が大切にしている時間のひとつだ。
やがて、ふたりのお皿は空になる。スイも猫缶をきれいに食べきった。
「ごちそうさまでした」
さて、とっとと洗い物を済ませて、夜営業の買い物に行こう。今日はなにを作ろうか。たまには魚介類を使ってもよいかも知れない。ぶり大根とかどうかな。いつもはお野菜メインのお惣菜が多いが、動物性だって使ったらよい。
あまり脂が多いものだと、冷えたら固まってしまうので避けていたところがあるのだが、鶏ならささみやむね肉、豚肉ならロースなどならいけるだろうか。牛肉はコストが掛かるから、少しお値段を上げなければならないだろうか。
那津がお鍋や食器を洗おうと立ち上がると、ドアのノブががちゃがちゃと回される音がし、次にドアがこんこんとノックされた。営業時間外は鍵を閉めているのだ。
「あ、おれが出るわ」
お兄ちゃんが立ち上がる。パープルの水玉のワンピースを翻して、ドアに向かう。今日のウィッグは少しくすんだオレンジ色だった。
「はーい、どちらさま?」
ドア越しにお兄ちゃんが問うと、ほんの少しの間を置いて、お兄ちゃんが「は?」と怪訝な声を上げた。洗い物を始めていた那津には、ドアの向こうの声は届かない。
誰だろう。那津がスポンジを泡だてながらドアに目を向けると、お兄ちゃんの顔が強張っていた。
「お兄ちゃん?」
那津が水道を閉めて聞いてみると、お兄ちゃんは険しい顔をして。
「祖父ちゃんと、祖母ちゃんや」
低い声で言った。那津は思わず息を飲んだ。ごはんのあと、いつもの猫かごに丸まったスイの耳がぴくりと動いた。




