第10話 思いの置き方
翌日、土曜日。「ウィスキーバー TOMO」が開店してすぐ、深川さんたち保さんファンクラブの人たちが訪れた。最後に入ってきたのは出口さん。その強めの表情からは、なにか強い意志のようなものを感じた。
「松比良くん、あの、話って……?」
深川さんがいつもの席に掛け、上目遣いで保さんを見る。出口さんたちほかの3人は、深川さんの後ろに立っていた。まだほかのお客さまがいないので、迷惑にはならない。
この時間を提案したのは出口さんだそうだ。お客さまがいない、少ないであろう時間帯のほうがよいだろうと。さすが、気が利く人である。
店内には緊張感がみなぎる。だがきっと、深川さんとファンクラブのメンバーである元木さんと姫路さん、そして出口さんの緊張の種類は違うのだと思う。保さんの言葉に深川さんたちがどういう反応を示すのか。
この問題に関係のない那津がここにいてよいのだろうかとも思うが、ここは那津のお店でもあるのだし、ほかのお客さまが来たら対応しなければならないので、許してほしい。出口さんはともかく深川さんたちは、那津なんて目にも入っていないだろうが。
保さんはにこっと笑う。それに深川さんが顔を赤くしたが。
「もう、こんなことでこの店を巻き込むんは、やめて欲しいんや」
そう言われて、すっと真顔になる。そしてやがて、悔しそうに顔を歪めた。
「なんで? そんなに友永が大事なん? 男やで? おかしいやろ。結婚もできひんし、子どももできひんやん」
「ぼくは、そんなん求めてへんよ。ぼくのなかで結婚てシステムは、法律で大事な人を守るためのもん。できひんかったら別の守りかたをするだけや。子どもも、ぼくにとったら好きな人との子やないと意味がないから。ぼくがしたいんは、ただ大事な人と一緒にいることだけ。それを分かってほしい」
保さんは諭すように優しく言うが、深川さんは顔をくしゃりとさせて、両手で覆った。肩が震えている。
「深川ぁ……」
元木さんと姫路さんが泣きそうな顔で、そっと深川さんを抱きしめる。このふたりも、思いの大きさの差はあれど、今でも保さんのファン、もしくは好きだったのかと思わせる。
するとひとり、肩甲骨あたりにまで栗色の髪を流している女性、元木さんが、動かない出口さんに気づいて。
「出口?」
怪訝そうに問いかけると、出口さんはぐっと表情を引き締めて。
「深ちゃん、元ちゃん、姫ちゃん、ごめん、あたしね、高校んときから、別の人が好きやったんよ」
「え?」
元木さんが声を上げ、姫路さんもぽかんとする。深川さんは「え……」と呟いて顔を上げた。その顔は涙でしっとりと濡れていた。
「出口、そうなん? 松比良くんのこと、格好ええって言うてたやん」
出口さんを見る深川さんは、絶望したような表情になっている。信じていたのだろう、ファンクラブのみんなが保さんを思っているということを。もしかしたら裏切られたような気持ちになっているのかも知れない。
深川さんは情熱的な人なのだなと思う。だからこそここまで保さんへの思いを抱いていられた。そして保さんの言葉で泣くほどに傷ついてしまって、出口さんの言葉に愕然とできる。
それはときに、視野を狭くさせる。一点だけまっすぐにを見つめ、それ以外は目に入らなくなるのだ。
「松比良くんのことは、格好ええと思う。それは今でも思ってる。でもね、好きは人は別なんよ。あたしはね、あたしは」
出口さんはちらりとお兄ちゃん、そして那津を見る。お兄ちゃんは小さく頷き、那津は胸元でぐっと拳を握りしめた。
「あたしはね、友永くんが好きやったんよ」
「はあっ!?」
深川さんたち3人の素っ頓狂な声が響く。揃ってあんぐりと口を開けていた。
「え、でもそれやったら、松比良くんと友永が別れたら都合がええんとちゃうん? そしたら友永と付き合えるんやで」
「ううん」
深川さんの言葉に、出口さんは穏やかな笑みで、顔を左右に振った。
「あたし、友永くんが幸せなほうがええ。友永くんが松比良くんとおって幸せなんやったら、そのほうがええねん」
深川さんたちははっと目を見張る。気付いただろうか、出口さんと自分たちとの思いの置き方の違いに。
自分が幸せになるために模索するのは当たり前のことだ。そのために好きな人にそばにいて欲しいと思うことも、自然だ。
だがそのためには、互いの思いが同じ方向を向いていなければならない。保さんのそれは、今はお兄ちゃんと揃っているのだ。
深川さんたちがどれだけ願っても、それは曲がることはない。
「もう、来ない」
深川さんは低い声で呟くと、立ち上がって早足にお店を出ていった。元木さんと姫路さんも、慌てて追いかける。出口さんはそれを見送った。
「出口は行かんでええんか?」
「うん、今はあたし、おらんほうがええやろうし」
そうかも知れない。同じ思いを失った人たちで寄り添う時間が、きっと必要なのだと思う。失恋をしたのは出口さんも同じだが、きっと今の深川さんたちに共感はできないだろう。
出口さんは、自分の思いを昇華させたのだ。だから昨日も来てくれた。きっと強い人なのだ。
「松比良くん、隣、座ってええ?」
「もちろん」
出口さんは保さんの横に腰掛ける。那津は常温のおしぼりを出した。まだ夏の残り香が濃いので、温かいおしぼりはもう少し先の予定だ。
「出口、今日もコークハイにするか?」
「うん、ありがとう」
お兄ちゃんはアイスペールを出し、氷を詰め始めた。




