第244話 誘惑
「それにしても今日は身体をよく動かしたな」
作業を終え、サイリーンに戻った俺はシアンたちの屋敷で世話になっていた。
キャロルやベッグさんを交えて食事を摂り、木でできた湯船に浸かり疲れを癒す。
着替えはベックさんから着物を借りたのだが、自分の着方が合っているのか自信がなく不安になっていた。
宿泊のために案内された部屋も、この屋敷の住人の部屋からだいぶ廊下を歩いた先にある個室で、ここだけは静寂が支配していて、時々聞こえる虫の鳴き声に故郷を思い出し落ち着く。
軒先で涼んでいると、キシキシと音を立てシアンが姿を見せた。
「大したおもてなしもできませんが、お酒をお持ちしました」
酒の入った陶器と小口の器、それとツマミが盆に乗っている。
「そんな、いいのに……」
彼女も疲れているだろうに、そんな姿をおくびにも見せず隣に座る。
シアンにしては珍しく着物を着ているのだが、桃色の布地に花柄が散りばめられた着物はとてもよく似合っていた。
「里で作ってる極秘のお酒です。せっかく用意しましたので、味わっていただけると嬉しいです」
そこまで言われると断るのも気が引ける。シアンは俺に小口の器を持たせると酒を注いだ。
「どうぞ」
勧められて飲むと、甘い香りがする。
「美味いな」
そこまできつい酒ではないのだが甘みの後ですーっと舌に溶け込み消えていく深みがある。
その余韻が非常に心地よく、何度も味わいたくなりその度に器に口をつけた。
器がからになるたび、シアンがお酌をしてくれる。
ツマミを食べながら酒を呑むとあっという間に酒がなくなってしまった。
酔いが回ってきたのか、火照りと心地よさが全身を支配する。
隣に座るシアンの一挙一動から目が離せず、周囲にもやのようなものがかかっているように感じる。シアンの瞳が赤く輝きその美しさに吸い込まれそうになっていると……。
「クラウスさん、お慕いしております」
彼女は俺の両手をそっと包み込むとそう言った。
着物をはだけさせ俺に身体を寄せてくるシアン。
「シ、シアン?」
突然の告白に慌てる。知り合ってからまだ日も浅いのだ。そのようなことを言われてもどうすれば良いのかわからない。
「これまで気持ちを押し込めていましたが、貴方の優しさに触れるたび、私は……」
彼女は俺の手を取ると瞳を潤ませ顔を近付けてきた。
「どうか、今宵だけでも結構です。お情けをください」
頭にモヤがかかったかのように思考が安定しない。目の前のシアンの唇から目が離せず、警鐘が鳴り響くのだが身体を動かすことができずにいると……。
『ふむ、魅了と媚薬の効果じゃな?』
ダキーニの声が聞こえた。
「駄目だっ!」
「えっ?」
後少しで唇が触れそうなぎりぎりで、俺は彼女の肩を掴んで押し戻した。
「ど、どうして……拒絶されるのですか?」
焦りを浮かべるシアン。彼女は泣きそうな顔で聞いてきた。
「俺に状態異常は効かない」
俺は端的にそう告げる。
「っ⁉︎」
彼女は弾かれるように距離を取ると、胸元で手を組み青ざめた顔をする。
「やっぱり、薬を盛ったのか?」
証拠はないのでかまをかけただけなのだが今の反応で十分だ。
「こ、今回の件は私一人で行ったことです。ど、どうかっ! 他の皆には……」
床に頭を擦り付け謝罪をするシアン。
「そういうわけにはいかない。君は他国の貴族に薬を盛って害そうとした。これが表沙汰になったら何のお咎めもなしとはならないだろう」
サイラスの上層部に報告する義務があるし、きちんと対応しないと今後もこのようなことが起こり得る。
だけど、これまで接してきて、俺はシアンが優しい少女だということを知っている。
このような凶行に出たのには理由があるはずなのだ。
「よかったら、事情を話してくれないか?」
俺はそういうと彼女の肩に手を置き話を促すのだった。




