SCENE 31
タクシーを降りたジャックは、ハーバー・ストリートのボードウォークを歩いた。ほとんどの店が閉店の準備をしている。午後七時までの営業というのはかなり半端な気がするのに、個人商店はそういった店がなぜか多い。
木製のドアを開け、彼はマイキー・シューズに入った。
「いらっしゃ──なんだ、またお前か」と、店主だろう彼はさっそく不機嫌になってくれた。
悪態を受け入れてあの靴が手に入るのなら、いくらでも。
ジャックの笑みが気に入らなかったのか、カウンターに立った彼はそっけなく言った。
「もう閉店だ」
そうくると思った。ジャックは腕時計を確認した。
「おかしいな、今は十八時五十分。閉店まであと十分あるはずなんだけど」
そう言うと、彼の舌打ちが聞こえた。そのとおりということだ。
「今日は写真を持ってきたんだ」
上着のポケットから写真を取り出してカウンターに置くとすぐ、ジャックは店内を見まわして紳士靴コーナーを探し、移動した。店主がカウンターで数枚の写真をめくっているのを雰囲気で感じとったが、あえてその状況を確かめたりはしなかった。
「──わかった」店主が言った。「友達というのは信じてやろう。だがな、あの靴を売るわけにはいかん」
だが彼はその言葉には反応せず、棚に並べられた靴を観察しながら店主に訊いた。
「この靴は、ぜんぶあなたが作った?」
「そんなわけないだろ。ほとんどは仕入れたものだ」
いくつかは作ったものもある、ということか。「あなたが作ったものは?」
店主は答えない。まだ不信がられてるのか、恥ずかしいだけなのか。
棚にある商品を見ていると、いくつかの靴にオレンジ色の札がついていることに気づいた。その札には“マイキーズ・シューズ”と書いてある。なるほど、オレンジはテーマカラーのようなものだ。
そして同じ札のついたモンクストラップの黒いビジネスシューズを見つけた。これなら仕事にも履いていけるだろう。
靴を持って再び店主のほうへ向かうと、ジャックはそれをカウンターに置いた。
「これを」
「ガキには早すぎる」
また睨まれた。が、ジャックは引かず、あくまで強気な微笑みを続けた。
「父にプレゼントですよ」
眉を吊り上げ、探るように彼を見ると、店主はうんざりぎみに、だがなにかを諦めたように溜め息をついた。
「ちょっと待ってろ」
そう言うと、靴を持ってカウンターの奥へと向かった。
なかなか手ごわいな、というのがジャックの正直な感想だった。だが引くつもりもない。カウンターの上に丁寧に重ねて置かれた数枚の写真をポケットにしまい、彼を待った。
改めて近くで見ると、カウンターは高さの違う二段式になっていることがわかった。反対側はライトやペン立てに詰め込まれた色々なペン、書類、ファイル、電卓や古そうなレジスター等があり、壁側にはコルクボードがふたつ、立てかけられている。
そのひとつはカウンターに立てかけられていて、おそらく店の発注関係だろうメモがたくさん貼ってある。もうひとつは壁とカウンターの間に挟むようにして置かれている木製テーブルの上に立てかけてあり、そこにはいくつかの写真が貼られていた。十五枚ほどの写真だ。
見覚えがある顔をよっつ、その写真の中に見つけた。ジェニーとレナだ。もうひとつは以前レナが送ってきた写真に写っていた、ジェニーのお兄さんと思われる人。そして、この店の主人。店主はあまり変わらないようだが、ジェニーとレナ、彼女のお兄さんは幼い顔をしている。ジェニーたちはおそらく、中学生くらい。
ううん、ついでにあの写真、おまけしてもらえないか。いや、さすがに無理か。なんだかどんどん、ストーカーのようになっている気がするのだが。
と、店主が見せの奥から出てきた。
「ほら」
彼は白い箱をカウンターに置き、木製のスツールにどっしりと座ると、さっさとレジスターを叩いた。
財布から出した札をカウンターに置いてジャックが訊ねる。
「昨日の話、考えてくれました?」
「考えるまでもなく、ノーだ」
店主はつりを渡すと、カウンター下からオレンジ色の紙袋を取り出し、靴の入った箱を入れた。
「わかってると思うけど、僕は何度でも来ますよ。最悪、今週中は無理でも──そうだな、次はクリスマス。それでもダメなら年明け。ま、きっかけなんてどうでもいいけど」彼は淡々と語った。「ま、そんなに待つつもりはないですけどね」
ジャックは微笑んだが、店主は相変わらず渋い顔をしている。
「なぜあの靴にこだわる?」
なぜ。「──僕にとって、あの靴は彼女のトレードマークです。小さな身長でもなくて、さらさらの黒髪でもなくて、あの靴」今こうして語っているあいだ、自分がとても穏やかな気持ちでいることに気づいた。ジェニーを想い、思わず口元がゆるむ。「彼女を意識しはじめたのはつい最近です。でも、意識するずっとまえ──高校入試の時から、彼女があの靴を履いてることを知ってる。すごく気になるんですよね、あの靴」
一度言葉を切ると、彼の視線をまっすぐに受け止めた。こんな話をされても、彼が返事に困ることはわかっている。だが、誰かに話すことで、自分が本気だということをわかってもらいたかった。
「彼女はあの靴を、底に穴が開くまで履き続けるそうです。だから、それまでに新しいのを渡したい」
ジャックはカウンターに置かれた紙袋を手に持った。
「じゃあ、また明日」
店主は無言だったが、彼は振り返らずに店を出た。
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タクシー会社に電話しようと携帯電話を開くと、メールが届いていた。ベラからだ。
《ごめん》
あやまられる覚えはないのだが。というよりむしろ、あやまらなければいけないのは自分のほうなのだが。
メール画面を閉じると、歩きながらもジャックはベラに電話をかけた。
五コール目でやっと、呼び出し音が途切れた。
「忙しいんだけど」
ジャックは唖然とした。あのメールはなんだったのだ。あのメールを送ってからほんの二十分のあいだに彼女の身になにが起きたのだ。
「なんか用?」
再度彼女が言った言葉に、唖然を通り越して愕然とした。だがよく考えてみれば、ベラはこういう人間だったような気もした。どうにか気をとりなおすと、ジャックはいつのまにか立ち止まっていた足を再び踏み出した。
「君は悪くない」と、彼は言った。ストリートに並ぶ店はほとんどが店を閉めたようで、シャッターが下ろされているか、ガラス戸にクローズの札をかけ、店内にうっすらと灯かりがついているだけになっている。「むしろ、あやまらなきゃいけないのはこっちのほう」
「そーね」彼女はさらりと言った。「あんな言いかたしちゃったら、実はメンタル弱そうなあなたのことだから、どうにかなっちゃうんじゃないかと思ったんだけど」
彼女のその言葉は彼にいくらかのダメージを与えた。朝とは違う意味で、身体をぐさぐさと串刺しにされている気分だ。
ジャックは苦笑った。「まあ、それは否定も肯定もしないけど。おかげで目が覚めた」
「──どういう意味?」
「なにかと理由を作って、いろんなことを先延ばしにしてた。どうしたいかは自分でもわかってたのに、やるまえから自分には無理だって決めつけてた」
電話のむこう、ベラは笑った。
「あなたに不可能なんてないんじゃなかったけ。少なくともあなたを褒め称えてる高校の同級生は、みんなそんなふうに言ってるけど」
「あるよ、たくさんね。実はやさしいだけの優柔不断男だから」
「だから、ごめんて言ってるじゃん」
「冗談だよ。──まあ、ちょっと傷ついたけど」
「だってホントのことだし」彼女はまたもさらりと言った。「私もたいがい鈍感なほうだけど、あなたの場合は女相手だからよけいにダメよね。だれかれかまわず紳士ぶっていい顔して、ヒトの気持ちを勝手に誤解したあげく、“カノジョがいるから”を言い訳にする。ほんとうざい」
またも身体を串刺し、それどころかマシンガンを、倒れることも許さないといった勢いで全身に打ち込まれている気分だった。だがジャックはもう、苦笑うしかなかった。やっとベラという人間が、少しわかったような気がした。周りが彼女に対してつける評価の意味もだ。
「悪かったよ。ごめん」
「ついでにもうひとつ、教えといてあげようか」ベラが言った。
「なに?」
「あの時ね、私が教室で泣いてたの、つきあってる男のことがどうこうとかじゃなかったのよ」
彼はぽかんとした。「は?」
「ぜんぜん違うことだった。そいつのことは関係なかった。別のことでいろいろあって、もうどうしようもなくて、また自己嫌悪に陥ってたのよね。実際あなたが電話で話したのは私がつきあってた男だったんだけど」
ジャックの頭の中はまたも混乱していた。「え、なに? じゃあ別れる必要はなかったわけ?」
「どうかな。あの時話したこと、半分くらいは本当だし。あの頃は他にも色々と面倒が起きてたし、なんなら問題が変わってるだけで面倒事は常に現在進行形だし」彼女は淡々と語っている。「あなたが私の嘘をバカ正直に真に受けてオトコと別れさせてくれたおかげで、私はあなたを部屋に誘うとかいうクソめんどくさいことをしなくちゃいけなくなったわけだし」
ジャックはぎょっとした。が、彼の脳内のパニックなどおかまいなしに、ベラの口はまだ止まらない。
「それもあって、あなたにちょっとムカついてたってのもあるし。なんだかんだ、ギャヴィンやライアンと話すようになっちゃってたから、あなたも自然に、だったけど。関わる気がなかったのは事実だし。そもそも、ギャヴィンやライアンはともかく、ディーやマシューのことなんかは私のほうが先に話しはじめたわけだし、あなたにとやかく言われることじゃないし。あなたのそういう上から目線もキライだし、なんにもわかってないくせにぜんぶお見通しみたいな態度も気に入らないし、だから今朝、あなたに説教されそうになってキレたってのもある」
ジャックの思考回路は停止している。なんだかいろいろと暴露されているうえに、はっきりダメ出しまでされている。ようするにあれは嘘で、自分は見当違いの行動をとり続けていて、あげく(彼女にとっては)かなり迷惑な勘違いだったということなのか、という漠然とした解釈しかできずにいた。というかこれ、そんな軽い口調で語る内容ではないだろう。なんなのだ。本当に謎だ。
「ま、気にしないで」ベラは続けた。「あなたがなにしようと私に関係ないのと一緒。私がなにしようと、あなたにだって関係ないはずだから」
わけがわからないので、ジャックも考えるのをやめることにした。つまり開きなおった。
「そうだな。気にしないことにする」
「うん。忙しいのはホントだからもう切る。じゃーね」
「うん。礼を言うのが変だってのはわかってるけど、一応言っとく。ありがと」
「いーえ、どういたしまして」
ベラとの電話を終えると、ジャックの頭の中は妙にすっきりした気分になっていた。
大通りに出てタクシー会社に電話する。まずは“半歩”から。
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家族揃っての夕食のあと。ジャックがリビングのテーブルにオレンジ色の紙袋を置くと、クリスは眉を上げた。
「これは?」
「父さんに」
「ほう。めずらしいこともあるもんだ」
キッチンからワインとグラス二本を持ってきたエレンは唇を尖らせた。
「あ、ずるい」
クリスが紙袋に手をかける。「開けても?」
「明日もこの時間に家にいてくれるなら」
息子の微笑みに、彼はなにかを感じ取ったらしい。
「なにか企んでるな?」
「まあね。明日話す」
ソファに座ったエレンが口をはさむ。「ねえ、私のは?」
ジャックは即答した。「ない」
大げさにショックを受けたような顔をすると、エレンは顔をしかめてクリスに言った。
「これが第二次反抗期なの? この子も“うるせーババアー”とか言うの?」
その言葉に、ジャックとクリスは同時にふきだして笑った。
なにを言いすのだ。「ごめん、言わないよ。今日はないってこと」
彼女はしかめっつらをそのまま、ジャックに向けた。
「明日はあるの!?」
なにをそんなに深刻そうに考えているのだろう「たぶんね」そう答えて彼は立ち上がった。「明日、約束だよ、父さん」
「私には約束しないの!?」
戸口へと向かうジャックの背中にエレンが言ったが、彼は返事をせずにリビングを出た。
飲むまえから酔っ払いか。




