6話 逃げ出す準備
「常々私は聖女の力について疑問に思っていたから、ちょうどいい機会だと思う。この国は豊かな国だ。他国が病気や飢饉で苦しんでいる時も、この国だけは天候も安定し平和そのものだった。それを聖女一人の力だと言われることに、果たしてそうだろうかと考えていたのだ」
陛下が真剣な表情でそう話しているけれど、結局は「すべてを聖女が作った結界の手柄にされるのは不満だ」ということだろう。
陛下たちには結界も魔力も見えない。隣国で何千人も死ぬ流行り病がなぜかこの国に入ってこなかったことも、たくさんの家を破壊した暴風雨がこの国を避けて通ることも、陛下にとっては偶然だということだ。
(いつも私に優しかった態度も、結局は聖教会への政治的な対応だったのね……)
そしてこの機会に私を王家に囲い込み、「聖女はもういない」「結界も意味がない」と国民に宣言し、聖教会の力を弱めようとしているのだろう。
あまりの悔しさにぎゅっと握りしめた拳に爪が食い込む。厳しい王妃教育の賜物である、どんなことでも崩さない表情がこんな時に役立つなんて、皮肉なことだ。
「もちろんスカーレットが今までのように、結界を作る真似事をしたいのなら許可してやってもいい。しかし優先するべきは、まだ未熟なシャルロットの王妃教育の支えになることだ。幸い、オーエンと君には愛情が育まれていなかったようだし、妹のためにこれからも王家に尽くしてくれるだろうか?」
その言葉を聞いたシャルロットはすぐさま立ち上がり、私の前にひざまずいた。
「お姉様! わたくしからもお願いいたします。何もわからないわたくしを、この国の王妃となるよう導いてください!」
胸の前で手を組み私に縋るその妹の姿に、父親が声を荒げる。
「スカーレット! 妹のシャルロットがこんなに健気に頼んでいるのだ。早く返事をしなさい!」
そう言うと父は妹の手を取り、椅子に座らせる。足元をふらつかせ、か弱い態度を見せるシャルロットだが、私を見上げた時の顔は笑っていた。しかもあの顔は、ただ笑っていただけじゃない。
自分の勝利を確信し私をあざ笑うあの笑顔。それを見たのは、真正面に座っていた私だけだった。
「スカーレット、聡明な君のことだ。返事をもらえるかな?」
私には茶番に思える妹とのやり取りに、まるで感心するように陛下がうなずき、返事を急かす。
(……陛下、それが答えなんですね)
すべてはこの国のため。聖女として選ばれたからには、その責務を負っていこうと決意したあの日が懐かしい。
(今となってはそんな覚悟捨てちゃいなさいって、言いたいところだわ……)
たしかその日にオーエン様との婚約も決まったのだった。初めて顔を合わせた時の殿下は、今ほど冷たくなかった。それどころか嬉しそうに笑っていたのだけど。
今の彼は私をニヤニヤと笑い、自分のお咎めがなかったことにホッと胸をなでおろしているようだった。
(こんな王家に尽くそうとしていたなんて……)
「スカーレット? 何も言わないが、了承したということで良いか?」
陛下のその言葉で、私はゆっくりと顔を上げる。そしてにっこりと微笑み、口を開いた。
「陛下、少しだけお時間をいただけますか? わたくしも先ほど妹の妊娠を知ったばかりで混乱しております。もちろん陛下のご意見や今後のこと、とても良い提案だとわかっておりますが、少しだけ気持ちを落ち着けてお返事をしたいのです」
そう言うと、陛下の眉毛がピクリと動いた。私が即答すると思ったのだろう。父親も私の肩を乱暴につかむと「何を言っているんだ! 早く王家に尽くすと言いなさい」と揺さぶっている。
(しょうがないわね……最後の手段だわ)
私はちらりとオーエン様を見つめ、そっと涙を拭う仕草をしてうつむいた。
「気持ちの整理をする時間が欲しいのです……どうか、お願いいたします」
「スカーレット……」
オーエン様の声が、静まり返った部屋に響く。久しぶりに聞いた私を心配するような声色に、私はホッと安堵のため息を吐いた。
(これで上手くいくでしょう……)
気持ちの整理など、とうについている。しかし時間を稼がなくては。ここで陛下の望む返事をすれば、私はすぐさま王宮の奥で軟禁状態だ。
(たとえ衣食住が豪華であっても、囚われの身なんて最悪だわ。そのうえ妹の尻拭いを一生させられるなんて……絶対に嫌!)
私はこんな時ばかりシャルロットの真似をし、精一杯の演技で失恋に胸を痛める一人の令嬢を演じている。そして案の定、オーエン様は私が予想した言葉を言ってくれた。
「父上、私からもお願いします。スカーレットに時間をお与えください」
「……そうか。わかった」
まるで私に褒美を恵んであげているかのような口ぶりに、心の奥が煮えたぎりそうだ。それでも私はその熱い塊をグッと心の奥に押し込んで、顔を上げた。
「ありがとうございます。あと、教会のことなのですが、急にわたくしが通わなくなると司教様から陛下に連絡があると思うのです。ですからシャルロットとオーエン様の婚約発表までは、結界に魔力を注ぐ真似事をしなくてはならないと思います」
「……それもそうだな。しばらく教会には計画を伏せておかないと。わかった。スカーレットはいつもどおり教会に行ってくれ」
陛下もこれにはすぐ賛成してくれた。教会を排除するにしても、急な反発は困るのだろう。「なるべく体調が悪いように演技するのだぞ」と言うと、ニヤリと笑った。
(魔力が無くなりかけているように事前にほのめかしておけ、ということね。まあ、それは私にとっても好都合なのでやりますけども)
常日頃にこやかな顔の下で、陛下は虎視眈々と教会の排除を考えていたのだろう。そして聖女という存在も邪魔だったのだ。私が「魔力を注ぐ真似事」と陛下の言葉をなぞったことで、満足そうに笑っている。
(きっと今しかチャンスはないわ……)
再び視線をオーエン様に移し、ハンカチで目元を拭う。涙はこれっぽっちも出ていないが、鼻をすすってみると予想以上に悲しげな雰囲気が出た。
「陛下、もう一つお願いがあるのですが、わたくしお二人の婚約発表までは王宮を出て叔母の家に身を寄せてもよろしいでしょうか?」
「なに? それはどういうことだ?」
一気に不機嫌そうな声を出し、陛下が前のめりになる。私はわざとうめき声を出し、今度はシャルロットのほうを見た。




