17話 追い詰めるシモン様
この国で契約に使うサインには、必ずインクに血を混ぜないといけない。もちろん登録済みのサインにも同じように血が入っているので、本人のものか判別できるようになっている。
それに本来、こういった重要な契約には立会人がいたはず。それなのにこの書類には、その名前が無いという。代わりにあるのは陛下の名前だけ。ならおのずと、誰が父の協力者だったかわかるというものだ。
(まさか陛下と父が協力して、私から当主の座を奪っていたとは思わなかったわ……)
今まで私が聞かされていたのは、父が侯爵家の当主だということ。だから自然と私を産んですぐに亡くなった母は、父のところに嫁いだのだと思っていた。
叔母様は私が幼い頃に結婚したけれど、あまり裕福ではない伯爵家に嫁いでいる。かなり高齢の夫であまり幸せな結婚でなかったからか、話したがらなかったけど……。きっと叔母様の婚姻にも、父は何かしたはずだ。
私は湧き上がる悔しさを抑え込むように、重ねる手に爪を立てる。食い込んだ皮膚はズキズキするけど、心のほうがもっとつらい。するとシモン様が痛む手を優しくさすり、私はハッとして顔を上げた。
「結果が出たようだよ」
サイン判別の魔道具の針が、カチリと音を立て動いた。予想どおり針の先は「無効」の文字を指し、シモン様はその魔道具を二人に見せつけるように掲げる。
「どうですか? この書類のサインと登録してあるものでは、一致しませんね。では今度は陛下と侯爵のサインが一致するか、調べてみましょう」
ニヤリと笑ってシモン様がそう言うと、二人の顔には焦りの色が濃くなっていく。そしてすぐに魔道具は、書類にある二人のサインが登録と一緒だと示した。
その結果にシモン様は首をかしげ、大げさに眉を上げる。
「これはこれは! 陛下自らが書類を偽造し、一人の子供から当主の座を奪っていたとは! これはかなり重い犯罪になりますね」
シモン様の極上の笑みは、陛下の顔を歪ますのに十分だった。反論することもできない彼は、苦々しい顔で唇を噛みうつむいている。すると突然、顔を赤くした父がシモン様を指差し、証拠になる書類を奪い取ろうとした。
「どちらにしたって、私が死ねばスカーレットに譲られるのだ! 領地経営もできない子供に権利があっても意味がない! だから私は――」
飛びかかろうとする父の腕を、シモン様はあっという間にひねり上げる。部屋には父の悲鳴が響き、周囲は唖然とした表情で二人を見ていた。
「ぐわあ! い、痛いっ! 離してくれ!」
父を見下ろすシモン様の瞳は冷たい。きっと止めてくれと叫ぶ声も、耳に届いていないだろう。いつもにこやかな彼の冷酷な顔に、妹のシャルロットはカタカタと震えていた。
「私が死ねば……ですか。本当にあなたは往生際が悪いですね。宰相殿! もう一枚の書類をここに」
「は、はい!」
シモン様はそう言うと掴んでいた父の腕を離し、宰相様に手を差し出した。もうこの場を仕切っているのが、隣国の王子だということに誰も違和感を覚えなくなっている。陛下も暗い表情で黙り込み、誰もがシモン様の言動に注目していた。
「侯爵! あなたはさきほど『私が死ねばスカーレットに当主の座が譲られる』と言いましたね?」
「あ、ああ、そうです……」
痛む腕をさすりながら、父はうなずいた。しかし途中で気づいたのだろう。一気に顔が青くなり、オロオロと陛下のほうを見ている。そのあまりにも愚かな態度に、じっと見守るつもりだった私まで鼻で笑ってしまった。
「侯爵。あなたは愛人の子であるシャルロットに当主の座を譲りたいがため、勝手にスカーレットを侯爵家の籍から抜きましたね」
宰相様が差し出した一枚の紙を受け取ると、シモン様はその紙を指でピンと弾いた。
「これが貴族籍を記載してある書類です。スカーレットは十歳の時に侯爵家の籍から抜け、平民になっている。そして――」
カツカツと靴音を鳴らし、シモン様は暗い顔でうつむく陛下の前に立った。
「陛下。ここにもあなたのサインがありますね」
しんと静まり返った部屋に響くその言葉を、二人は青白い顔で聞いていた。
――私の籍が侯爵家から抜け、平民になっている
その言葉にすぐさま反応したのは、意外にもオーエン様だった。ワナワナと震えながら立ち上がり、陛下のもとに駆け寄っていく。
「父上! 本当にこんなことをしたのですか! それでは、もし私との結婚前に侯爵が死んでいたら、スカーレットは路頭に迷っていたではないですか!」
掴みかかるように責められ、陛下は驚愕の顔で息子を見ている。父親に逆らうことなどしないオーエン様が、私のために怒っている。その姿にシャルロットの瞳がギラリと光った。
(でも、こればかりはオーエン様の言うとおりね。きっと父はシャルロットのために遺言も残しているでしょうし)
それでも私を擁護するオーエン様を見ていると、驚きよりも嫌悪感のほうが先に立つ。今さらなんだっていうのかしら? 私が頑張っている時には突き放しておきながら、かわいそうな立場だとわかると英雄気取りで助け出す。
(あなたもやっぱり陛下の子ね。調子がいいわ)
そう思ったのは私だけじゃなかったようだ。息子の反抗的な態度に苛立った陛下は、ドンとオーエン様を突き飛ばすと、顔を真っ赤にして叫びだした。
「黙れ! スカーレットはおまえの婚約者にしたではないか! それに平民になってからも、ずっと貴族としての暮らしを許可していたのだぞ! 何不自由ない暮らしだってさせていただろう! しかも聖女だのと教会にもてはやされ、その地位だって見逃してやっていた。それになんの不満があるというのだ!」
(は……? 私の今までの暮らしが、何不自由ない暮らし? 私が教会にもてはやされてた? それはいったいどこのスカーレットなのかしら?)
本当に陛下は私の妃教育の苦労や、聖女としての働きを認めていなかったようだ。痣だらけで痩せ細り、それでもこの国のためにと頑張ってきたのに。
「もうよろしいでしょうか?」
私は「はあ……」と特大のため息を吐き、立ち上がった。シモン様はそんな私を見て、スッと腕を出しエスコートし始める。
これ以上は、時間の無駄ね。自分さえ良ければいいという考えの人達に、私の苦労や悲しみなど理解できないだろう。
(結界も数日中には壊れる。ならば早くこの国を出たほうがいいわ。もし災害が起きて被災者が出たら、聖女なんだから責任を取れと言われかねないもの)
私はシモン様の腕に手をかけ、部屋を出ていこうと歩き始める。するとその様子を見てあわてたのは、なぜかオーエン様だった。
「スカーレット! 待ってくれ!」
「……なんでしょう?」
振り返ることもせず、私はうんざりした気持ちで返事をする。オーエン様はそんな無礼な態度も気にならないようで、戸惑いがちに話し始めた。
「父上や侯爵を、罪に問わなくていいのか……?」
「…………」
最初にこの話をシモン様から聞いた時は、二人には相応の裁きが下るべきだと思った。そうじゃないと怒りが収まらない。そう思っていたのだけど……。
私はシモン様と顔を見合わせ頷いた後、オーエン様のほうを振り返って微笑んだ。
「別にいいですわ。わたくしはもう、この国から出ていく身。皆様にはお世話になりましたし、わたくしにはシモン様がおります。これ以上、ことを荒立て国が荒れる原因を作りたくありませんわ」
(そう。私はこれ以上、私のことが原因でことを荒立てたくないの)
私がにっこり笑ってそう言うと、オーエン様は「そうか……」と呟き、不満そうな顔で椅子に座った。反対に陛下たちはホッとした顔をしている。
(馬鹿ね。私はあなた達を跪かせる事を、あきらめたわけじゃないのよ?)
私は皆にわからないようにクスッと笑うと、堂々とした態度で陛下のほうに向き合った。




