第17話 二人きりの昼休み
「あ、雪ちゃん」
その声だけで、胸の中のざわめきが少しほどけた。
体育館の熱気も、床を打つボールの音も、さっきまでわたしを遠ざけていたのに……友希さんがこちらを見るだけで少し色づいた。
「テスト、どうだった?」
友希さんは肩で息をしながらも、いつもの調子で笑った。
その表情を見て、ようやくわたしも息を吐く。
「……ち、ちゃんと、最後まで書けました。友希さんと勉強したこと……全部出し切れたと思います」
「うん……頑張ったね」
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がじんと熱くなった。
「あ、そうだ雪ちゃん。お昼ご飯なんだけど」
「友希先輩!一緒にご飯食べましょう!」
そう言いながら、友希さんの背後から凛さんが飛びついてきた。
「おいこら凛。友希先輩、困ってるでしょ」
「ええ、美森ちゃんも一緒に食べたいでしょ?」
気づけば、凛さんを中心に何人かの後輩たちが集まってきていた。
みんな汗をかいていて、頬が赤い。けれど目だけはやけにきらきらしていて、その視線がわたしと友希さんの間を行き来する。
居心地が悪くて、思わず隠れる場所を探してしまう。
すると友希さんは、それを見ていたみたいに少しだけ肩をすくめた。
「はいはい、落ち着いて。雪ちゃん、お昼なんだけど……凛ちゃんも一緒で大丈夫?」
問われた瞬間、胸がきゅっと鳴る。
わたしが選んでもいいのでしょうか?
凛さんのことを知りたい……でも、今は……友希さんとだけが良い。
だけど、そんな我儘……友希さんと凛さんに申し訳なくて、わたしは考え込んでしまいます。
「え、えっと……」
返事に詰まったわたしを見て、友希さんはすぐに困ったように笑った。
「ごめんね、凛ちゃん。今日は雪ちゃんと二人で食べるよ。午後もまだあるし、少し面接のアドバイスもしたいからね」
「えー!」
凛さんは分かりやすく頬を膨らませた。けれど、すぐに「……じゃあ今日は我慢します」と肩をすくめる。
「その代わり、一緒にご飯食べに行きましょうね!」
「はいはい、近いうちにね」
後輩たちが名残惜しそうに離れていく。
わたしはその背中を見送りながら、胸の奥で小さく息を吐いた。
……良かった。
そう思ってしまった自分に、少しだけ戸惑う。
凛さんは悪い人じゃない。むしろ明るくて、眩しいくらいだ。
それなのに、今は友希さんとだけが良かった。
そんな自分が……少しだけ嫌だった。
友希さんがわたしを連れて校舎内を歩く。
後ろで束ねた髪が尻尾のように揺れ、わたしはその毛先を思わず目で追ってしまう。
迷いのない足取りで着いた先は、緑が生い茂る人気の無い中庭だった。
友希さんが中庭の中央に設置されているベンチに座ると、ベンチを軽く叩いた。
その意味を察し、隣に座る。
しかし、友希さんは少しわたしから距離を取った。
「ごめん。汗臭いと思って」
「い、いえそんな……嫌な匂いではありません。むしろ、その……頑張ったあとの匂い、というか……」
「ほぉ、頑張った匂いときたか」
ニヤリと嬉しそうな表情を浮かべます。
「そ、それで何故ここに来たのですか?」
「ここで昼食を食べたいのと……雪ちゃんが落ち着けるかなって思って」
そう言って、友希さんは、持ってきたハンドバッグから2つの箱を取り出す。
「はい、雪ちゃんの分」
「あ、ありがとうございます」
受け取った箱は少しヒンヤリとしていて、火照った指先に気持ちよかった。
でも、気持ちはまだ少しだけ落ち着かない。
「……テスト……どうだったと思いますか?」
自分で聞いておいて、変な質問だと思った。
友希さんが見ていたわけでもないのに。
それでも、今はこの人に聞いてほしかった。
「……顔見れば分かるよ。少し明るい顔してる」
「……明るい顔……ですか」
「そう。よく頑張ったね」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
しかし、頭の中にはどうしても体育館での出来事が脳裏をよぎる。
「あ、あの……体育館での友希さん、少し……違って見えました」
「お、見ててくれたんだ」
「はい……最後の方だけですけど」
「どうだった?」
「凛さんと……楽しそうでした」
自分の言い方に嫌気が差した。
「うん。久しぶりにだったからね。ああいうの」
あっさりした答えなのに、その一言がわたしの胸をざわつかせる。
「でも……雪ちゃんがいなかったら、私はここに来てなかったな」
「え?」
「ありがとう、雪ちゃん」
そう言って笑う顔は、またいつもの友希さんだった。
そのセリフはわたしが言うべきなのに、どうして?
「どうして……わたしに?」
そう聞くと、友希さんは少しだけ目を細めた。
「少しだけ……昔の私に戻れたから」
風が吹いて、木々が小さく揺れる。
友希さんの声は軽いのに、その奥にだけ少し重たいものが沈んでいる気がした。
「それに、雪ちゃんが頑張ってるの見たら、私も負けてられないなって思ったんだ」
そう言って笑う顔は、さっき体育館で見せたものと同じだった。
その表情を見て、わたしの知らない時間が、この人の中にちゃんとあるのだと、はっきり分かった。
わからない……けど、今ここで隣にいられることが、少しだけ嬉しかった。
「……そろそろ、時間ですね」
「うん。私は近くで見守ってるから、頑張ってね」
その一言だけで、胸の奥に小さな勇気がともった。




