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悪食男爵と首吊り塔の花嫁  作者: 飴丸


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エピローグ

 ぐらり、と倒れる巨大な骸骨から、黒い靄が抜け落ちていく。最後の寄る辺が無くなり、ふらふらと月に向かって昇って消えていく靄を見送りながら――骸骨は塔に激突した。長年の雨風で脆くなっていた壁面に皹が走り、ぐらりと揺れて、崩れていく。

 瓦礫を避けて転がりながら落ちてきたヤズローがどうにか着地し、ふわりと寄ってきた銀蜘蛛を掴む。自分の耳に止まらせてから、崩れ続ける塔に向けて叫ぶ。

「――旦那様!!」

「んぬおおおおお! ――ふんぬっ」

 瓦礫の中からごろごろと転がって落ちてくる丸い物体は、ぼむ、ぼむ、と何度か弾んで地面に落ちた。その腕の中に、真っ白な少女を抱きしめたまま。

「フウ、満腹な腹が役に立ったようですな。ヤズロー、ご苦労だった」

「……勿体ないお言葉」

 主の無事に対する安堵の息を噛み殺し、深々と礼をする。ぎゅっと目を閉じて固まっていた少女が、恐る恐る目を開く。

「……男爵様! 申し訳ありません、お怪我は!?」

「いやいや、リュリュー殿にお怪我がなくて何よりです。立てますかな?」

「わたくしは平気です、それより――あ」

 尚も言い募ろうとしたリュクレールがふと口を閉じる。いつの間にか空には銀月が輝いていた。その光は、すっかり崩れた塔の真ん中、その床に刻まれていた神紋に降り注ぎ――

 地面から、青い炎に包まれた人魂達が浮かんでいく。形を保っていた幽霊達も、皆それを崩し、空に導かれていく。この地を縛っていた悪霊が消滅したからだろう。その中には当然、紫髪のメイドもいた。

「ヴィオレ!!」

 リュクレールが叫ぶと、ヴィオレは振り向き――申し訳なさそうに、それでも安堵と喜びに満ちた笑顔で、静かに臣下の礼を取った。彼女の姿も、既に消えかけている。涙を零すほどに目を見開いた少女は、しかしぐっと堪えて、立ち上がり――主として従者に言葉を告げた。

「……ありがとう、ヴィオレ。今までのお勤め、ご苦労でした。どうか、安らかに」

『……勿体ないお言葉です、お嬢様。どうか、どうか――幸せになって。私の――』

 最期の言葉は、青い炎が吹き散らされるように消えてしまったけれど、その声には愛しさが籠っていた。リュクレールは深々と礼をして――ほろりと零れた涙を、慌てて拭った。

「申し訳ありません、男爵様。無作法を」

「愛しい家族を亡くして泣かぬ者はおりますまい。この腹で良ければ遠慮なくおすがりください」

「旦那様、普通は胸です」

 いつも通りの主従のやり取りに、涙を浮かべながらもリュクレールが笑った時――馬車が何台も崩れた塔の前に止まる。

 一台はドリスが操る借り物の馬車だったが、他は全てコンラディンの紋章がついている。エールとその部下、伯爵、そして彼に支えられながら馬車を降りたのは、――リュクレールとよく似た髪を持つ、窶れた女だった。

「――お義父様、お母様」

 ぽつりと、リュクレールが呟くと、男爵はほんの少し苦笑して――彼女を促すように、そっと背を押してやる。同時に、支えるように。

 それに応えるように、リュクレールは一歩前に出て、淑女の礼を取ろうと腰を屈め――。

「お初に、お目にかかります。わたくしは――」

「化け物!!」

 それよりも先に、女が叫んだ。恐怖しか籠らない声で。

「近づかないで! お前はもう死んだ筈でしょう!! これ以上私達を脅かさないで!!」

「カメリア!」

「貴方! 助けてください、悪霊はまだいます! あんな、あんなものが、私の子供なわけがないわ――!!」

「……」

 リュクレールは――今度は、泣かなかった。きゅ、と唇を噛み、目を閉じて――そっと撫でられた背に、勇気をもらって――ふわりと、微笑んだ。

「たいへん長らく、お世話になりました。お母様の御心を騒がせてしまった罪、お許しください。まことに勝手ではございますが――リュクレール・コンラディンは、ビザール・シアン・ドゥ・シャッス様の元へ嫁がせて頂きます」

 スカートのドレープを抓んで、優雅に頭を下げるその姿は、正しく貴族の淑女に相違なかった。

 娘の姿に妻はまた怯え、夫に縋りつく。夫はそんな妻を宥めることに精一杯で、彼女の事など、突然現れた異物としか扱わない。ヤズローすら眉を顰めてしまう状況で、あっさりとビザールは言い放った。

「ふむ、では参りましょうか、リュクレール殿」

「……はい、男爵様」

「ヤズロー、ドリスも疲れただろう、御者を代わってやりたまえ」

「畏まりました、旦那様」

「――ビザール殿!」

 去っていく者達の背へ向けて、声をあげたのはエールだった。ヤズローは歩きだし、ビザールも新妻の背を促しながら進むが、構わずに叫ぶ。

「――有難うございました! 妹を、どうか宜しくお願いいたします――!!」

 その声に、リュクレールが振り向き、もう一度、静かに礼をした。




 馬車に乗り込むと、すぐに動き出した。ドリスは御者台に座ったままだが、手綱はヤズローに任せているだろう。がたごとと進む馬車の中、俯いたままの少女の肩を、ビザールはそっと抱き寄せる。柔らかい自分の体に埋めて、隠すように。

「――良く、頑張りましたな、リュリュー殿」

「……男爵様、」

「もう、大丈夫ですよ」

 声は優しかった。愛しい妻を宥めるように、幼い子供をあやすように。ずっと堪えていた、リュクレールの中の冷たいものが全部溶けて流れていく。あの塔の中では、それすら出来なかったから。

「ぅ、うぅ、ふぅうう……ぇ、ぁあああ……!」

 彼女を支えていた全ての矜持が溶けた。恥も外聞もなく泣きじゃくり、夫に縋りつく。その泣き声はまるで、この世界に生れ落ちた産声のように聞こえた。


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