幕間:ユグドラシルの朝
今回は幕間です。
第一章でルクス・アークを旅立ったヒューミリスたちが、帝國領へ向かう途中に立ち寄った、大樹海での出来事になります。
そこにあったのは、エルフたちの聖域。
そして、世界のマナを支える大樹ユグドラシル。
けれど、その森はすでに異変に蝕まれていました。
本筋の聖杯探索へ進む前にあった、小さな救済の物語です。
まだ英雄は英雄であり、
まだ救いは、素直に救いとして受け取られていた。
そんな朝の話です。
大樹海は、暗かった。
太陽の光すら遮る巨木が連なり、足元には湿った腐葉土の匂いが沈んでいる。
ルクス・アークを出発して三日。一行は大陸中央部の森へと踏み込んでいた。
パトスの背に揺られながら、ヒューミリスは周囲を見渡した。
深い。静かすぎる。
「グルル……」
パトスの歩みが緩む。
「どうした、パトス」
「マナの流れが濁っている。……何者かが、この森の心臓を蝕んでいるようだ」
アマリスがパトスの毛をぎゅっと掴んだ。
「心臓……?」
答えが来るより早く——ヒュンッ、と空気を切り裂く音が響いた。
数本の矢が、パトスの足元に突き刺さる。
「止まれ! 此処より先は、我らエルフの聖域!」
木々の枝上から、緑の衣を纏ったエルフたちが一斉に弓を構えた。
その表情は必死で、どこか疲弊していた。戦っている顔だ、とヒューミリスは思った。
敵ではなく、何かと。
「待ってください!」
アマリスがパトスの背から飛び降り、両手を広げた。
「私たちは争いに来たわけではありません。ただ、北へ向かう旅の途中で——」
エルフのリーダーらしき女性が、パトスの神々しい姿と、アマリスの真っ直ぐな瞳を見比べた。
やがてゆっくりと、弓を下ろす。
「……神獣様と、人の子か。すまない、森の異変で我々も気が立っていた」
---
エルフの集落は、世界樹の根元にあった。
ユグドラシル。
天を突き破るほどの巨木が、集落の中心に鎮座している——はずだった。
「これが……」
ヒューミリスは息を呑んだ。
幹がドス黒く変色している。葉は枯れ落ち、かつて輝いていたであろう枝は、今は骨のように乾いていた。
そして根元には、醜悪な瘤のような怪物が絡みついている。世界樹のマナを吸い上げ、自身の身体をどろどろとした瘴気で肥大化させながら、脈打っていた。
「突如現れた呪いのトレントです」と長老は言った。
「我々の魔法では再生能力に追いつかない。このままでは世界樹が枯れ、世界中のマナが——」
「やりましょう」
ヒューミリスは長老の言葉を遮った。
「世界樹が枯れれば、俺たちの旅も終わる」
「私も手伝います! 回復魔法なら——!」
『我も牙を貸そう。森を荒らす不届き者は許せん』
三人が前に出た瞬間、トレントがその殺気に気づいた。
無数の根が触手のように膨れ上がり、咆哮が森を揺らす。
『ギギギギギ……ッ!! マナ……ヨコセ……!!』
パトスが銀色の疾風となって駆け、太い根を噛み千切る。
アマリスが光の矢を放ち、怪物の注意を引く。
だが——。
傷が、消える。
ユグドラシルから直接マナを吸い上げ、一瞬で修復してしまう。
『供給を断たねば、奴は不死身だぞ!』
パトスが叫ぶ。
「なら、供給ごと断ち切る」
ヒューミリスは慌てなかった。
騒がなかった。
ただ右手をかざし、目を細めた。
彼に見えているのは、トレントそのものではない。
世界を構成する「流れ」だ。マナが通るパイプ。ユグドラシルとトレントを繋ぐ、黒い線。
(接続元:世界樹。対象:寄生体。処理——切断)
指を、弾く。
バツンッ!!
空間ごと切り裂くような音が響いた。
目に見えない刃が、黒いパイプを完全に断ち切る。
『ギ……!? マ、ナ……が……!?』
供給を絶たれたトレントが、苦し紛れに巨大な枝を振り下ろす。
ヒューミリスは避けもしない。
「終わるなら、土に還れ」
掌を握り込む。
巨大なトレントは、枯れ木のようにボロボロと崩れ落ちた。
最後は風にさらわれて、塵になった。
---
その瞬間——ユグドラシルから光が溢れ出した。
黒ずんだ変色が消えていく。
瑞々しい緑の葉が、一斉に芽吹く。
降り注ぐ光の粒子が、傷ついた森とエルフたちを包んでいく。
「おお……! 奇跡だ……!」
エルフたちが涙を流した。
長老が深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、旅のお方。貴方こそ、森の救世主です」
「いえ」
ヒューミリスは首を振った。
「通りすがりですから」
アマリスが隣で、困ったように笑っている。
「本当に、貴方って……」
「何」
「救世主に向いてると思います。そういうところが」
ヒューミリスは答えなかった。
蘇った世界樹を見上げながら、ただ静かに思った。
(聖杯への、第一歩か)
---
エルフたちから旅の物資と、森を抜けて北へ向かうための隠しルートの地図を受け取った。
再びパトスの背に乗り、一行は森を出た。
木々の向こうに、青空が広がっている。
「次は北か」
『龍の背にそびえる不夜城——KOEIDO。一筋縄ではいかぬ場所だぞ』
「どんな場所なんですか?」
アマリスの問いに、パトスはわずかに間を置いた。
『欲望が、人を動かす場所だ』
三人は空へ飛び出した。
緑の海が眼下に広がり、風が髪を揺らす。
アマリスが笑い声を上げた。
パトスが疾走する。
ヒューミリスはその背に揺られながら、遠い北の空を見据えた。
まだ、旅は始まったばかりだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は、第一章のあと、ヒューミリスたちがルクス・アークを出発してから、帝國領へ向かう途中の幕間を描きました。
大樹海にあるエルフたちの聖域。
世界のマナを支える大樹ユグドラシル。
そして、その根元に寄生した呪いのトレント。
聖杯探索の本筋から見れば、これは大きな目的地ではなく、旅の途中で偶然出会った異変です。
けれど、ヒューミリスという人物を描く上では、こういう「通りすがりに救ってしまう」出来事も大事だと思っています。
彼はこの時点では、ただ本当に誰かを救いたい人間です。
自分の力を誇示したいわけでも、誰かを支配したいわけでもなく、目の前で困っている人がいれば助ける。
だからこそ、周囲は彼を救世主と呼び始めます。
そして、彼自身も少しずつ「自分には救えるのだ」と知っていく。
それは美しい成長であると同時に、後の彼を考えると、少し危うい積み重ねでもあります。
次回、一行は帝國領北端の不夜城KOEIDOへ向かいます。
提灯と賭場と欲望の街。
そこでヒューミリスたちは、新たな守護者と出会うことになります。
よろしければ、次回もお付き合いいただければ嬉しいです。




