『Vendetta 0』第一章:泡沫の春と、英雄の名
第一章です。
今回は、フカセがこの世界で初めて「英雄」として歩き出すお話です。
光の王国ルクス・アーク。
王女アマリス。
東の守護神パトス。
そして、後に世界を揺るがす名となる「ヒューミリス・ヴァニタス」。
まだ何も壊れていない。
まだ誰も、自分たちの選択がどこへ繋がるのか知らない。
そんな、泡沫のように眩しい春の始まりです。
「こっちです! この先に、すごく美味しいジェラート屋さんがあるって、侍女の……あ、いえ、友達が言ってました!」
「へえ、詳しいんだな。……って、そっちは行き止まりだぞ」
「えっ? ……う、嘘です。こっちの壁のシミが歴史的遺産で……」
「無理があるな」
フカセは、苦笑しながらアマリスの後ろをついて歩いた。
出会って数時間。二人はルクス・アークの城下町を練り歩いていた。
初めて見る異世界の景色は輝いて見えた。白亜の石畳、活気に満ちた市場、空を飛ぶ飛竜便。
でも、それ以上に——目の前でコロコロと表情を変えるこの少女から、目が離せなかった。
(やっぱり、似てる)
容姿は違う。言葉遣いも、立ち居振る舞いも。
けれど、好奇心旺盛で、ちょっとドジで、それでいて誰よりも優しい瞳。
前世で失った天城瑠美奈の面影が、アマリスの笑顔に重なる。
「フカセ様? どうしました、私の顔に何かついてますか?」
「いや……ここに来て良かったな、って思っただけ」
素直にそう言うと、アマリスは頬を赤らめ、誤魔化すように市場で買ったリンゴを齧った。
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時計塔広場のベンチに、二人で腰を下ろした。
白亜の王城と、その向こうに広がる青い海。
そして遥か南の方角。
「綺麗……。私、この景色が大好きなんです」
アマリスが遠くを見つめて呟く。
「この国は光の王国って呼ばれてますけど、光が強ければ影も濃くなる。……南の空、少し色が変でしょう?」
水平線の彼方が、インクを流したように淀んだ紫色に染まっている。
「あれは……?」
「魔族の領域です。最近、境界の結界が弱まっているらしくて……お父様も、ずっと難しい顔をしていて」
言いかけて、アマリスはハッとして口を噤んだ。
「お父様って、もしかして国王——」
「あー! あーー! 普通のパパです! 厳格なパパのことです!!」
バタバタと手を振るアマリスに、フカセが笑い声を上げようとした——その時だった。
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キィィィィィィィィン——!!
耳をつんざくような警報が、街中に鳴り響いた。
鳩が一斉に飛び立つ。広場の空気が凍りつく。
「な、なに……!?」
フカセが立ち上がる。
アマリスの顔から、血の気が引いていた。
「まさか……大侵攻……?」
ズズズズズ……ッ!!
地鳴りと共に、南の空から黒い津波が押し寄せてきた。
波ではない。空を覆い尽くすほどの、魔族の群れだった。
「嘘……結界が、破られた……?」
白亜の街並みが、一瞬にして赤黒い炎に包まれていく。
逃げ惑う人々の悲鳴。降り注ぐ火球。
上空から、ガーゴイルのような翼を持つ魔族が真っ直ぐに広場へ急降下してくる。
「危ないッ!!」
フカセはアマリスを抱き寄せ、地面に転がった。
石畳が砕け散り、鋭い爪が二人のいた場所を抉る。
「グルルル……人間、喰ウ……」
涎を垂らす異形。
冷たい恐怖が、背筋を走る。
(また、何もできずに死ぬのか)
——いや。
今の自分には、力がある。
フカセの中で、カチリと何かが噛み合う音がした。
恐怖よりも先に、腕の中で震える少女を守らなければという使命感が、魂を焼いた。
「アマリス、後ろに」
右手をかざす。
意識するのは、あのスキル。
『理の干渉』——対象:敵対存在。出力:抹消。
「……消え失せろ」
ドォンッ!!
音速を超えた衝撃波が、魔族の上半身を一瞬で消し飛ばした。
血飛沫さえ残さない、完全な消滅。
アマリスが目を見開く。
フカセは振り返らず、燃え上がる王城の方角を見据えた。
「行こう。君の——お父さんを助けに」
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だが、それは始まりに過ぎなかった。
フカセはアマリスの手を引き、崩れ落ちる大通りを駆けた。
空は魔族の群れで埋め尽くされ、地上は火の海だ。
路地の影から四足歩行の異形が飛び出すたびに、右手をかざして消す。
また出る。また消す。また出る。
「くそっ……キリがない!」
額に脂汗が滲む。
スキルは強力だ。だが、転生したばかりの肉体は、この力の出力に追いついていない。
視界が揺らぎ始めた。魔力の酷使が、脳を締め付けている。
「フカセ様、もういいです! 私を置いて、貴方だけでも——」
「馬鹿言うな」
そう言い切った、その瞬間。
上空から、巨大な影が落ちてきた。
城壁よりも巨大な、ドラゴンのような上位魔族。
(間に合わない——)
フカセが覚悟を決めた、その瞬間だった。
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「——我が隣人に、牙を剥くか。下劣な輩よ」
轟音と共に、東の城壁が粉砕された。
白銀の閃光が戦場を疾走する。
風よりも速く、雷よりも眩しく——ドラゴンの首を一撃で噛み千切った。
ズゥゥゥゥンッ!!
巨大な死体が地面に沈む。
砂煙の中から現れたのは、家一軒ほどもある白銀の巨狼だった。
黄金色の瞳。全身から放たれる、神々しいまでの圧力。
「貴方は……東の守護神、ヴォルガルド様……?」
アマリスが震える声で言った。
『今はただパトスと呼べ。結界の裂け目を感じて飛んできたが……少々、遅かったようだな』
パトスは周囲を見渡し、悲惨な光景に目を細めた。
その表情には、怒りよりも——守れなかったものへの、深い悲哀が滲んでいた。
生き残った魔族たちが、新たな脅威へ一斉に向かってくる。
『……退け』
パトスが短く吠えた。
それだけで、大気が震えた。
数百の魔族が「恐怖」に縛られて動きを止める。
『無益な殺生は好まぬ。だが、これ以上この地を汚すならば』
全身の毛が逆立ち、膨大な魔力が渦を巻く。
『慈悲はないと思え』
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パトスは二人の前に体を低く屈めた。
『乗れ。王城へ向かうのだろう』
「……頼む」
フカセはアマリスを抱え上げ、パトスの背に飛び乗った。
アマリスもその毛をしっかりと掴む。
『舌を噛むなよ』
次の瞬間、世界が流れた。
パトスは建物を蹴り、空を駆け、魔族の群れをその巨体で弾き飛ばしながら、燃え盛る王城へ一直線に疾走した。
背中でしがみつくアマリスが、涙をこぼしながら呟く。
「お父様……どうか、無事でいて……」
フカセはその声を聞きながら、風の中で思った。
(守る。この子が笑っていられる場所を、俺が必ず守る)
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王城の中庭は、地獄だった。
近衛兵たちは倒れ、最後の防衛線を死守しているのは血まみれの国王ただ一人。
周囲を囲むのは、指揮官クラスの上位魔族たち。
「ここまでか……。だが、アマリスだけは……!」
国王が覚悟を決めた、その時。
『頭が高いぞ、下郎ども』
パトスの咆哮が衝撃波となり、包囲を吹き飛ばした。
「父様――ッ!!」
アマリスが飛び降りて駆け寄る。
残った魔族が一斉にフカセへと向かってくる。
フカセは一歩前に出た。
守るべき背中がある今、迷いは一切ない。
「全域展開。対象——敵性存在、すべて」
指を鳴らす。
パァンッ!!
王城を取り囲んでいた数千の魔族が、まるで最初から存在しなかったかのように、一瞬で粒子となって崩れ去った。
静寂が戻る。
風に揺れるフカセの衣と、唖然とする国王の呼吸音だけが残った。
「……一撃で、軍団を……?」
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その夜、修復された謁見の間にて。
国王はフカセとパトス、そしてアマリスを前に、重い口を開いた。
「礼を言う、異邦の旅人よ。……だが、これは一時しのぎに過ぎん」
玉座の裏から、古びた石板が取り出される。
そこに刻まれていたのは、世界の最南端——終焉の地にある祭壇の絵だった。
「魔族の発生源を断つには、最果てにある『聖杯』を手に入れるしかない。あれは、あらゆる願いを叶える神の器……世界を平和に書き換えることも可能だろう」
「聖杯……」
フカセはその言葉を、心の中で繰り返した。
(願いを叶える。それがあれば——アマリスが笑って暮らせる世界を、作れるのか)
「だが、聖杯への道は険しい。封印を解き、試練を越えるには、世界を支える七つの美徳の守護者たちを集めねばならん」
「世界を救う旅に出るか、少年よ」
フカセはアマリスを見た。
不安そうに、けれど期待を込めた瞳で、こちらを見つめている。
答えは最初から決まっていた。
「行きます。……俺が、アマリスとこの世界を守ります」
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国王は深く頷き、儀礼用の剣をフカセの肩に置いた。
「よかろう。貴殿のその力、そして驕ることなき精神に敬意を表し、新たな名を与える」
フカセが跪く。
深瀬俊樹という名前は、ここで捨てる。
この世界で生きるための、英雄としての名。
「貴殿の戦いぶりは、圧倒的な力を持ちながらも、どこまでも静かで——謙虚(Humilis)であった。だが、その力の深淵は、すべてを飲み込む虚空(Vanitas)のようでもある」
国王が高らかに宣言する。
「汝、今日より『ヒューミリス・ヴァニタス』と名乗るがよい! 我が国の救世主、そして聖杯を求める探索者として!」
「……謹んで、拝命いたします」
少年は顔を上げた。
ヒューミリス・ヴァニタス。
その名がやがて「傲慢」の代名詞となり、世界を恐怖に陥れる魔王の名になるとは——この場にいる誰も、本人さえも、知る由はなかった。
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謁見の間を出ると、アマリスが待っていた。
「……ヒューミリス様、ですね。なんだか、呼びにくいですね」
「フカセでいいよ。貴族名なんて柄じゃないし」
「でも、格好いい名前です。ヒューミリス・ヴァニタス」
アマリスが、花が咲くように笑った。
夜の王城に、星明かりが差し込んでいる。
焼けた街の匂いがまだ漂う中で、それでもこの瞬間は——穏やかだった。
フカセは空を見上げた。
月が二つ、並んで浮かんでいる。
(必ず守る。この笑顔を、この世界を)
その誓いが、やがてどれほどの代償を招くかを、まだ知らないまま。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
第一章では、フカセが異世界でアマリスと出会い、魔族の大侵攻を退け、英雄としての名を授かるところまでを描きました。
「ヒューミリス・ヴァニタス」。
この時点では、ただ世界を救うために与えられた名です。
けれど、その名が後にどのような意味を持つのか。
そして、彼の「守りたい」という願いが、どこで歪んでいくのか。
この物語は、英雄譚でありながら、同時にその英雄がなぜ“魔王”と呼ばれるようになったのかを辿る物語でもあります。
次回から、聖杯を求める旅が始まります。
まだ眩しく、まだ優しく、だからこそ後に振り返ると痛みを伴う旅路です。
よろしければ、次章もお付き合いいただければ嬉しいです。
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