第2話:魔法は定義の書き換えである
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辺境でのスロー(?)ライフ、始まります。
ザルツの朝は、泥の匂いと絶望で始まる。 それがこの地の「定義」だった。
カイルは、昨夜アレスからもらったジャガイモの味を反芻しながら、あばら家の前で呆然としていた。 母さんに食べさせたジャガイモ。あんなに甘く、腹の底から力が湧いてくる食べ物を、カイルは他に知らない。
「おはよう、カイル。定刻だ」
背後から声をかけられ、カイルは飛び起きた。 そこには、昨夜と同じく汚れ一つない簡素なローブを纏ったアレスが立っていた。周囲の陰惨な風景の中で、彼一人だけが精密な機械のように浮いている。
「あ、アレス様! おはようございます!」
「様、は不要だ。僕は君の雇い主に過ぎない。さあ、業務を開始する。まずは『呼吸環境』の改善からだ」
アレスはそう言うと、村の中央にある広場へと歩き出した。 そこには、昨夜アレスの魔法を目の当たりにした住人たちが、恐る恐る集まっていた。彼らの目には期待と、それ以上に「得体の知れないものへの恐怖」が混じっている。
「皆さん、静かに」
アレスが指先をパチンと鳴らす。 それだけで、広場を包んでいたざわめきが物理的に遮断された。
「この地の空気は、高濃度の硫黄化合物と魔素の残滓で汚染されている。これでは思考能力が低下し、労働効率が著しく損なわれる。まずはこれを『最適化』する」
「な、何を言ってるんだ……?」 村人の一人が困惑して呟く。
アレスは答えず、空中に右手をかざした。 彼が展開したのは、王都の魔導士が一生をかけても構築できないほど複雑な、多重積層魔法陣。だが、それは光り輝く派手なものではなく、透明な熱波のように空間を歪めるだけだった。
「物理定義:大気組成の再構築。濾過開始」
瞬間。 村全体を、目に見えない「波」が通り抜けた。
――ッ!? カイルは息を呑んだ。 肺に流れ込んできたのは、これまで一度も経験したことのない、突き抜けるように澄んだ空気だった。 重く垂れ込めていた灰色の雲が、アレスの頭上から円形に割れ、そこから目が眩むような青空と陽光が降り注ぐ。
「空気が……美味しい……?」 「身体が軽いぞ。おい、持病の咳が止まった!」
村人たちが騒ぎ出す。だが、アレスにとってはこれも「前提条件」を整えたに過ぎない。
「次はエネルギーと水だ。カイル、この村で最も深い井戸はどこだ?」
「えっ、あ、あそこですけど……もう何年も枯れてて、底には毒水しか溜まってません」
カイルが指差した古びた井戸。アレスはそこへ歩み寄り、覗き込むこともせずに右足を軽く踏み鳴らした。
魔法学第二法則:エネルギー保存の法則。 アレスは知っている。このザルツに魔力が乏しいのは、枯渇しているからではない。地下数千メートルを流れる「龍脈」のバイパスが、地殻変動による魔石の堆積で目詰まりを起こしているだけだ。
「圧力変換。指向性衝撃波、装填」
アレスの足元から、地響きが上がった。 ドォォォォォン! と、地底深くで何かが砕ける音が響く。 直後。 ゴボゴボという水音が井戸の底からせり上がってきた。
「伏せて」 アレスが短く指示すると同時に、井戸から巨大な水柱が噴き出した。 それは泥水ではない。地下の魔石層で数百年かけて濾過された、極めて純度の高い霊水だった。
「ひゃっはー! 水だ! 本物の水だ!」 大人たちが子供のように水柱に飛び込み、歓喜の声を上げる。
アレスはその光景を、手元のメモ帳(脳内)にチェックを入れながら淡々と眺めていた。
「環境デバッグ、第一フェーズ終了。次は『防衛』ですね」
「防衛……? 魔獣ですか?」 カイルが尋ねる。ザルツには、人間の肉を好む「ブラッドウルフ」や「ニードルラット」の群れが常に徘徊している。
「いいえ。魔獣など、ただの野生動物です。排除すべきは、この状況を嗅ぎつけてやってくる『無能な搾取者』たちですよ」
アレスの視線は、村の入り口へと向けられていた。 そこには、土煙を上げて近づいてくる一団があった。この地を統治しているはずの、そして民が飢えても何一つしなかった領主の私兵たちだ。
*
「おいおい、何だこの騒ぎは!」
馬に乗った十人ほどの兵士が、広場に乗り込んできた。 先頭に立つのは、贅肉のついた顔を不快そうに歪めた男――領主の徴税官、バルトスだ。
「空が晴れ、井戸が噴き出したと聞いて来てみれば……貴様ら、領主に無断で何をした? 特にそこの、見慣れない格好をした貴様!」
バルトスがアレスを鞭で指差す。 アレスは表情を変えず、ただ懐に手を入れた。
「僕はアレス。この村の新しい……そうですね、暫定的な管理責任者です」
「管理責任者だあ? 抜かせ! この地はボルマン子爵領だ。ここで起きた奇跡はすべて子爵様のもの。そして、それを引き起こした技術も、すべて我らに差し出してもらおうか」
バルトスの目が、アレスの整った顔と、隠しきれない気品を値踏みするように舐め回す。 「王都の落ち武者か何か知らんが、その魔法、金になりそうだな。捕らえろ! 抵抗するなら脚の骨を折っても構わん!」
兵士たちが一斉に剣を抜く。 カイルが悲鳴を上げ、村人たちが逃げ惑う。
だが、アレスは動かない。 ただ、独り言のように呟いた。
「バルトス氏。君たちの筋肉量、装備の重量、そして現在の心拍数から計算して、僕に勝てる確率は……$0%$です」
「あぁ!? 何をぶつぶつと――」
「衝突定義:ベクトル反転」
バルトスが鞭を振り下ろそうとした瞬間。 兵士たちが振り上げた剣が、まるで「目に見えない磁石」に弾かれたように、真逆の方向へ跳ね上がった。
「ぐわっ!?」「なんだ、手が勝手に!?」
自分たちが込めた力がそのまま自分たちに返り、兵士たちは次々と落馬し、自分の剣で自分の肩や腕を強打する。
「お、おい! 何をした!」 「君たちが加えた『運動エネルギー』の向きを、180度書き換えただけです。攻撃すればするほど、自分にダメージが返る。論理的な自業自得ですね」
アレスは歩を進める。一歩ごとに、周囲の重力密度が変化し、兵士たちは地面に縫い付けられたように動けなくなった。
「さて、徴税官殿。君たちが今までこの村から奪ってきた食糧と財宝。それらすべてを三日以内に返還しなさい。さもなければ……」
アレスが指先をバルトスの鼻先に向けた。 そこには、小さな、しかし太陽のように凝縮された光の球が浮かんでいた。
「君の心臓の鼓動という『リズム』を、僕の指先ひとつで停止させることになりますが、どうしますか?」
アレスの瞳には、怒りも憎しみもなかった。 ただ、不要な部品を廃棄するかのような、絶対的な「無」があった。
「ひ、ひぃぃぃっ! 返す! 返しますとも! 助けてくれぇぇ!」
バルトスは股間を濡らしながら、這うようにして逃げ出した。兵士たちも、武器を放り出してそれに続く。
静寂が戻った広場で、アレスはパッパッと手を払い、カイルに振り返った。
「カイル。返還された食糧の在庫管理と、分配計画の策定を任せてもいいかな?」
「は、はいっ! 喜んで!」
カイルの目は、崇拝を超えた熱を帯びていた。 アレスは満足げに頷き、再び村の入り口に視線をやった。 そこには、遠く離れたエルディア王国の方向に、うっすらと黒い「ノイズ」が見えていた。
「王都の結界維持率、現在 $98% $……。想定より劣化が早いですね。無能な連中が無理な魔力供給をして、回路を焼き切ったようです」
アレスは小さく、冬の月のような笑みを浮かべた。
「滅びるまでの時間が短縮されるのは、僕の計画にとっては誤差の範囲ですが……。せいぜい、最後まで祈っていなさい」
辺境ザルツ。 かつての棄民の地は、この日を境に「王都が最も恐れる場所」へと変貌を始めた。
重力を書き換える……理系なら一度はやってみたいですよね。
ここからアレスの圧倒的内政が無双していきます。
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