Example 3-15
就任して初めての声明が出てから大体三週間。バスカヴィルが再び正式に第二塔へ訪れると言った時の彼の部下達の顔は神妙だった。
「いえ、あまり軍事部門から官僚部門に良い噂を聞きませんので……。」
気まずそうな部下達の返答は大体そのような感じだった。取り敢えずお供を一人連れて、バスカヴィルは罰則として指揮を受け持たなければならなくなった兵士達の訓練を見に行かねばならなかった。フェルディナントから一通りスケジュールは聞いていた。午前は各個人での稽古を行い、昼過ぎには部隊訓練を行う。ハワードからの返答も同じようなスケジュールであった。彼らが操る儀仗騎馬隊はなにより式典の花形であり、今でこそパーシヴァルは退いているが本来なら官僚将軍が外交の歓迎際に率いるような部隊だからそれこそ大変な目に遭っているに違いない。
「以前も数えるくらいですが行きましたが、やはりここの雰囲気は慣れたものではありませんね……。」
剣呑な顔つきの軍人達が、品定めするようにバスカヴィルとその部下をじろじろと見つめている。
「彼らは私達のなにが気に入らないんだろうね。」
「単にデスクワーカーだから侮蔑しているんだと思っていますよ。体を張っている自分達こそ軍人だと、人を蔑まなければ思っていられないんでしょう。」
やれやれとバスカヴィルは受付の名簿に名前と用件を書きながら頭を振った。彼の部下は聡明だが、聡明だからこそ事実を率直に言いやすいし、それ故に敵を作りやすい。
(彼らが私に従順であってくれるのもそういう理由ではあるか。)
五大筆頭家という頭のお堅い人間達と彼らは仕事がしたくないのだ。本当は不仲のままとことん喧嘩して、その柔軟な思考力で持って潰したいくらいなのかもしれない。
「これから軍事のお仕事ですか、閣下。」
ついぞ一ヶ月は聞いていなかった男の声に、バスカヴィルは反射的に振り返った。
「ロベルト……。」
「死人でも見たような顔ですね。」
受付から通行証のバッチを受け取って、うげっ、という顔をしたお供の横をするりと抜けていく。
「これからどちらへ?」
「少将の部隊を今受け持っているのでそちらに。君は暇かね。」
中佐の軍服は少し特殊で、ぴったりとした黒いロングコートが殆ど足首まで伸びていた。諜報と暗殺という二つの、最も危険な分野を司る部隊とあっては、平常の軍人達が着ている軍服では役不足だった。
「なんでしたら俺も行きましょう。こちらは大変ですよ。」
普通に喋り始めた二人を見て口をパクパクと金魚のように喘いでいる部下を一瞥して、バスカヴィルはあっけらかんと答えた。
「ふむ……なら頼もうかな。」
「かぁ……閣下!?」
部下は思わずつかつかとよって、本当は身も竦むほど怖いだろうが元帥と中佐の間に無理矢理割って入った。
「彼は五大筆頭家の中でも随一の暗黒部分を担うヴァイゼンブルク家の嫡男ですよ!? なんて奴をお誘いになっているんですか!」
「そのなんて奴とはもう、とうの昔に懐柔したんだよ。」
わたわたしていた部下の動きがぱたりとやんで、侮蔑もなく純粋に真偽を問うような視線がロベルトに向けられた。
「……危害は加えない。」
「失礼致しました。」
部下はすぐにバスカヴィルの背後に回って頭を下げた。
「……随分物分かりの良い部下をお持ちだ。」
「人材には恵まれてね。色々答えてくれるし、よく働いてくれるよ。」
エレベーターに乗ると、バスカヴィルとロベルトという二人だけで既に窮屈だった。訓練場のプレートが嵌め込まれたボタンを押すと、ニキシー管が煌々と輝き始める。
「閣下、官僚のほうは知りませんが最近こちらで閣下の良からぬ噂が流れ始めています。」
「良からぬ噂? なんだ、腕っぷしがないとか。」
ため息を吐いて肩を落とす。ルプレヒトは眉間にしわを寄せた。
「腕っぷしの話だけなら良かったんでしょうね。……閣下の性的不能のお話です。」
「……まさか私が性的不能だと? 馬鹿馬鹿しい。」
美顔を濁して、バスカヴィルはガラスの向こうで下に消えていく人影を見守った。
「俺もそう思ってお調べしたのですが閣下。皇太子、士官生と辿って貴方は女性経験が一度もない。奴らの狙いはそこでしょう。」
確かに、バスカヴィルはこの二十余年を女性に指一本触れる事なく生きてきた。容姿や性格を褒めるのに甘い言葉をかける事はあったが、誑かすほうでその語彙を使った事はない。エレベーターが目的の階で止まると、三人はぞろぞろと訓練場まで歩いていった。軍事少将が扱っているのは歩兵全般である。剣兵から槍、弓、銃まで、全ての管轄を握っていた。対して、軍事将軍が扱っているのか騎兵全般であった。
「歩兵部隊用の訓練場はこちらですね。」
「騎兵より気性の荒い奴が多いのでご注意を。」
がこん、と扉が開くと、向こう側で繰り広げられていた喧騒が止んだ。彼らも事前の通達くらいされていたのだろう。誰も彼もがバスカヴィルの顔を見ようと一様にそちらを向いた。
「ご苦労、続けてくれたまえ。」
今は二人組での個別訓練を行なっているようだった。バスカヴィルはその様子を鉄面皮で見渡す。両者の間で言葉が交わされる様子もない。兵士達はまたそれぞれの相手に向き合って獲物を交わし始めた。何名か指揮官が不在なおかげか、少しばかり薄暗い雰囲気がある。
「ロベルト、いつもこのような?」
「ええ、そうですね。俺が入ってからはこれ以上は。」
どんよりとした雰囲気だった。バスカヴィルと話さないどころか、彼らもお互いに喋ろうとしない。いかに長く戦場に出ていないとはいえ、これだけ士気が下がっていては万一に関わる。バスカヴィルは愕然とした。
「……すまない、一度全員を私の前に集めてくれ。」
「は、かしこまりました。」
額を押さえ、バスカヴィルは思案する。彼らに足りないのは一体なんだろうか。明るくしようという努力か、ROZENでの理想か、野望か、それとも他の物か。三分もかからずに、部下の一声で彼らは綺麗にバスカヴィルの前に整列した。
「休め!」
休めの体勢を取る彼らの動きも少し緩慢だ。もちろん機敏ではあるが、あちらこちらに隙が見られる。これが本部の今の軍事力なのか、とバスカヴィルは頭がくらりとした。
「諸君の訓練振りを見させてもらった。それで思ったのだが……君達は訓練中に何故話さない? ただ黙々と刃を交わし、的に弾を当てているようにしか見えない。」
「それは訓練中の私語は厳禁と言われているからです、閣下!」
成程、とバスカヴィルは足を動かした。四角い兵士達の羅列をぐるりと回り始める。
「例えば相手の悪いところを指摘するのも私語なのかね。」
「勿論です!」
興味津々でバスカヴィルの後ろにロベルトもついていった。確かに彼らはきちんと教育自体はされている。格好にブレはないし、キョロキョロする者もいない。要するに彼らに見える隙の殆どは疲労、威圧、畏怖、向上心や目的のなさ、総じて士気低下に他ならない。
「君、所属は槍だったね。」
背後に回ったところで、バスカヴィルは一人の兵士の肩をとんとんと指先で叩いた。すると、兵士は見事に回れ右をして敬礼をして見せる。
「は、その通りです閣下!」
「君はここに所属していて……強いて言うならROZENにいて楽しいかね?」
「楽しい……でありますか? いえ……。」
残念そうに目を瞑り、隣にいた兵士にも問いかける。
「君はどうかな。今の部隊は大切かね。」
「いえ、昇進出来るなら早くしたいであります!」
そうか、と手短に答えて、落胆を出来るだけ隠して二人の佇まいを直させた。またすたすたと彼らの群を一周し終えると、向き直ってその面々をよく目に焼き付けた。
「では昼の休憩後までに、君達にとってROZENになにが足りないのか考えて私に聞かせてくれ。」
バスカヴィルとロベルトはその後も部下達の様子を見ていたが、ロベルトは彼のその一言で目を見張った。あまり進んで交流を図ろうとしなかった彼らの中で、僅かながら話し声が聞こえ始めたのである。
「成功とはいえ、あまり耳障りの良いものではなかったな。」
「良い話しか聞こえないならこんな事にはなっていないだろうね。」
それは確かに、とロベルトは隣に立つバスカヴィルから視線を離した。恐らく彼らが出してくる答えも、それに対する対応も、彼の頭の中で全て仕組んでいるのだろう。
(軍にいて楽しいか、か。)
おおよそ第二次世界大戦に身を置いたロベルトにとってはなんともとんちきな感情である。軍に身を置く以上、人を殺すという行為は最後まで背を付きまとい、それが楽しいなどとは一言も言えない。だが確かに、最前線の塹壕にいようが、本陣で毎日空襲に怯えながら暮らそうが、人々は近しい人間と笑って泣いて生きてはいた。
(今のここにはそれさえないという事か。)
人生の大半を過ごす場所で、一切の私語厳禁とされれば作れる友情も目減りする。バスカヴィルは、そこに目をつけたわけである。
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