Example 3-9
式典後、第一塔最上階にパーシヴァルと共に向かい、バスカヴィルはその執務室のソファーに身を投げ出した。
「お疲れ様です閣下。」
「ありがとう。」
ふう、と息を吐いてパーシヴァルから渡された水を飲み干す。
「早速ですがこちらの箱はFALKEから今朝方届いた注文の品一式でございます。後で改めていただけると。」
「分かった。」
バスカヴィルは返事もそこそこに突然立ち上がって、入ってきたのとは別の大きな扉へくるりと振り返った。
「入りたまえ。」
「はっ!」
人の気配を感じたのだろう。ノックをされる前にバスカヴィルはそう許可を下した。扉の向こう側には、元帥直属の部下達が仕事をする部屋が広がっている。両開きの扉が開け放たれた。元帥部門である財務、経理、会計部門の事務室に、バスカヴィルは足を踏み入れる。
「閣下、ご就任おめでとうございます!」
部下一同は声を揃えて敬礼した。バスカヴィルも柔らかく敬礼する。
「ここには反皇帝派は一切いません。中庸、もしくは親皇帝派の部下が多いですので。」
「なるほど。」
恐らくアンソニーの代で殆どの首をすげ替えたのだろう。バスカヴィルは面々を鋭い眼差しでゆっくりと見定めた。
(どういう選抜で行ったかはともかく、中庸の部下には気を付けたほうがいいか。)
主義を持たない人間がなにで動くか。金、権力、誘える甘言はいくらでも思い付く。バスカヴィルはそれ誘われる人間が浅はかだとは思わなかった。むしろ、大抵はそういう者ばかりだろう。信義に厚い人間など世の中では少数派だ。
「これからいつも以上に忙しくなるだろう。よろしく頼むよ。」
「はい!」
そう予測出来るのなら、後は先手を打ったり相手の出方を考慮してありとあらゆる選択を思い浮かべておくだけだ。
「では職務に戻りたまえ。私はもう少し新人研修を受けてくるよ。」
張り詰めていた空気が僅かに緩む。バスカヴィルのジョークを聞いて、彼の僅かに垣間見れたユニークな性格がその場の空気を一瞬で信頼に変えたのだ。扉が部下の手によって閉められ、バスカヴィルは再びオフィスチェアに戻った。
「パーシヴァル。早速で申し訳ないが、集められるだけの就任に関する新聞、ラジオ録音、雑誌、その他メディア媒体を全て集めてきてほしい。明日の朝までに。」
パーシヴァルはモノクルを嵌め直してリーガルパッドにメモを施した。
「かしこまりました。見つけられただけのものを明日ご用意致します。以降でも見つけたものは翌日の朝に置くとよろしいでしょうか?」
「あぁ、頼むよ。出来ればこれから一ヶ月は毎朝帝國中の新聞をかき集めてきてほしい。」
士官学校五年生の頃から情報収拾にバスカヴィルは余念がなかった。ありとあらゆる事実と、それに対する意見を主義立場問わず集めていく。それが彼のこれからの行動理念にもなりうるのだ。パーシヴァルは、尽力します、と答えた。
(新人研修とは言ったが、大体塔の中身も頭に入っているしあまりほっつき歩くのも気が引ける。新年度初日はどの部門も忙しいだろうから……。)
「そうだパーシヴァ——」
願望を一つ思い出して長い指を鳴らしたところで、ノックもなしに扉が開け放たれた。思わず二人は立ち上がったが、取り敢えず見知った人物である事に胸を撫で下ろし、次に二人の必死さに緊張した。
「バスカヴィル、筆頭家がここに来る!」
まず口を開いたのはニコライだった。式典が全て終わったのだろう。先程よりも僅かに扉の向こうの喧騒が大きくなった気がした。
「何だって?」
バスカヴィルは片眉を吊り上げた。ニコライの後ろに立っていたオーウェンは元帥執務室の扉の鍵をかける。
「準備を、身だしなみとか……このとっちらかっている机とか。」
「パーシヴァル、片付けを頼んでも?」
バスカヴィルはコートを肩にかけると、近くにあった鏡で髪の毛を僅かに整えた。
「何処か行かれるのですか?」
「部下達に少し指示を。」
にわかに慌ただしくなった執務室の気配を察したのか、バスカヴィルが先の扉をノックすると、少し神妙な面持ちをした部下が扉を開けて向こう側を覗き見た。扉の隣には黒板があり、その日の全体への連絡事項などが綺麗な字で書かれていた。
「閣下。」
「今から私の執務室に筆頭家の面々が来る。」
僅かに腰を上げる者や、驚いた表情をする者もいた。だが元帥部門に長く在籍しているだけあって、彼らは落ち着いている。ざわめく事も同僚と耳打ちする事もない。
「つまり私の執務室を通って新人をここに通す事は出来ないだろう。廊下の面する扉を開けておきなさい。彼らの私への挨拶は全てが終わった後で。誘導も忘れないように。」
「了解しました。そのように。」
話の早い事だ。なにより、バスカヴィルより全員年上である筈の彼らが、バスカヴィルに一度も反抗するような言葉を見せない。事務室を後にしてバスカヴィルは執務室へ戻った。机の上はすっかり綺麗になっている。
「準備は?」
「一応。」
オーウェンがゆっくりと鍵を戻し、ニコライは執務机に寄りかかった。
「四人……。五人目が欲しい。」
「欲を言ってる場合じゃ——」
こんこん、と突然執務机の背後にある窓ガラスからノックが聞こえた。バロック様式の幾何学模様が所狭しと並べられた窓枠の向こうに、それはまあよく見た顔があった。
「く、クラヴェ!? お前どうしてそんな所に……。いや、そんな事よりここを何階だと!?」
慌てて窓を開けたバスカヴィルは、上空の強い風に思わず目を瞑った。しかしその風を物ともせずにクラヴェーリはするりと黒いコートを翻して執務室の絨毯にいとも容易く着地した。
「五人目だろ、お呼びか?」
「クラヴェーリ……。」
メンバーをぐるりと見回し、今ここに確実に来れない大男一人をカウントして、パーシヴァルは思わず、おっほほ、と声を上げて笑ってしまった。皇太子を辞退した眉目秀麗な元帥、前元帥と五大財閥のトップであるアウロラ家の令嬢の息子、五大筆頭家の巨大な影とも恐れられるヴァイゼンブルク家の嫡男、ROZEN一の諜報力を誇るロシア支部の元帥、元分家当主の諜報部隊員、そしてジャルディーノ家の次男である自分。感慨深く思いに耽っていれば、それを遮るようにノックの音が聞こえた。まるで豪雨の中で必死に見つけた宿の扉をずぶ濡れになりながら叩いているような荒々しさだ。
「入りたまえ。」
先程までの柔らかい声音とは打って変わって、凍てついた、低く、威厳のある声が執務室に響いた。物静かではあるが、かと言って決して小さいわけではない。遠慮がちにオーウェンが扉を開くと、まず先頭に立っていたのは現ヴィステンバッハ当主のウルリヒ軍事将軍だった。
「これはこれは、皆様お揃いで。」
その隣に立っていたのがギャブリエルである。すらりと体はまるで天井から糸が垂らされているかのようにピンと張っていて、見ればだれもがその美しい姿勢に目を奪われるだろう。ウルリヒはなにも言わなかった。恐らく五大筆頭家で一番口達者なのがギャブリエルである事は違いない。先の就任式でも、バスカヴィルはそれを感じ取った。
「ご用件は何でしょうか?」
パーシヴァルはどやどやと入ってきた五人にそう尋ねた。筆頭家の背後でオーウェンが鍵を閉める。
「ええ、別に筆頭家としてご挨拶に伺っただけですよ。そうお堅くされなくてもよろしいのに。」
ふふ、とギャブリエルはバスカヴィルに微笑みかける。
「それはそれは、ご丁寧に。」
にこり、とバスカヴィルもギャブリエルの微笑みに答えた。執務室だけまるで極寒のロシア支部になったかのようだ。
「それにしても、いけませんね。初日からこんな主義の固まった人物とばかりお会いなさるなんて。閣下はもっと柔軟な視野をお持ちになるべきでは?」
(突然説教かぁ……?)
神経質そうに金髪の巻き毛を指に絡めながら、ギャブリエルは元帥執務室を壁沿いに歩き始めた。バスカヴィルは体を全く動かさずにそれを目で追う。
「別に、主義主張で彼らを集めたわけではありませんよ。ニコライは私の同室者でしたし、パーシヴァルは幼い頃からの師でした。オーウェン中将は士官学校で良き先輩であってくださった。それ以上の理由はありません。」
「おやまあ。……では、私の思い過ごしだったようですね。ご無礼をお許しくださいな。」
言葉の応酬である。パーシヴァルはギャブリエルの言葉の端々から彼らの考えを感じ取ろうとしたが、ギャブリエルは以来黙ったまま壁にずらりと並ぶ本を見上げている。
「閣下、第二塔へいらっしゃる予定はありますかな。」
そこで口を開いたのはウルリヒだった。片眉をあげて、バスカヴィルは机に両手をついたまま厳しい顔になる。彼はまるで鏡のようだった。柔和な表情かつ陰険な人間にはそれと同じ態度をとり、軍人のような人間には厳しい顔を取る。
「予定はあるがまだ詳細は決まっていない。それが?」
「いいえ。」
ニコライは腕を組んだ、ウルリヒの相手はロベルトに任せたほうが確実だ。彼の事を、ロベルトはよくよく知っている。
「……皆様方、他にご用件はあります? なければ退散致しましょう。」
一通り背表紙を見終わったのか、ギャブリエルは筆頭家の群に戻った。特に他に要件はなかったようで、五人は、それでは、と退室していった。扉が閉まり、足音が遠のくと、全員がそっと息を吐いた。
「あれは宣戦布告ですな。」
最初に口を開いたのはパーシヴァルだった。
「でなければ何だと?」
「いえ、最初は少し勘ぐっていた。我々がここにいる理由で閣下が言い淀むような事があれば……もしくは事実をそのまま語っていれば、反皇帝派に取り込む事が出来るという判断をしようとしていた。向こうの期待値は分かりませんが。」
ギャブリエルが永遠と眺めていた本棚をバスカヴィルは見上げた。恐らく元帥の見識を図ろうとしたのだろう。眉間にしわを寄せる。ギャブリエルは相当の手練れだ。
「……バスカヴィル。第二塔に予定が?」
「あぁ、それはちょうど、君達が来る前にパーシヴァルと話そうと思っていたんだけれどね。」
全員をソファーや椅子に座らせると、バスカヴィルは一度事務室のほうへ顔を出した。
「閣下、助かりました。全員こちらで既に紹介を済ませております。」
「そうか、ありがとう。……すぐに私と会ったほうがいいかな?」
部下は一度執務室をちらりと見た。高官らが集まっているのを見て、少し逡巡する。
「いえ、明日でも大丈夫ですよ。」
「すまない、では明日の朝礼で。」
事務室から戻ると、クラヴェーリの手で紅茶が人数分用意されていた。
「それで……本部第二塔への視察を考えているのだが。どうかな?」
「良い事だと思います。早速向こうに……。はぁ。」
パッドを捲ったところでパーシヴァルはため息を吐いた。万年筆を握る手で額を抱える。
「どうかした?」
「第二塔に関しては軍事将軍が実権を握っています。故に反皇帝派もあちらには多く……。予定をまず入れられるかどうか……。」
思わず立ち上がってバスカヴィルは身を乗り出した。がちゃん、とティーカップが音を立てる。
「元帥の予定が軍事将軍によって左右されるのは頂けない。何故いちいちあちら方の許可がいる?」
「アンソニー閣下の時代から元帥はどちらかというと政治のほうへ取り組んできたせいです。そもそも、帝國が統一されてからROZENは軍事面で殆ど期待されていないので軍事政策は若干疎かになりつつある。直轄領にある本部は尚更……。ただ、そのせいで第二塔の軍人達が元帥を疎かにしているのも事実。第二塔の視察は初手としては難易度が高いですぞ、閣下。」
目を閉じて顔をしかめる。バスカヴィルは唸った。第二塔には必然的に行かなければいけないし、行きたいとも強く思っている。
「だが、行けなければ行けないで変な噂を立てられかねない。」
「そう。ヴィルが軍事を疎かにしていると思われたら元も子もない。」
空っぽのリーガルパッドを見下ろして、オーウェンは顎を撫でた。
「……毎月、衛生強化日として第二塔には私が直々に医療訪問しているが、それを使うか?」
「成程。第二塔の視察ではなく、第一塔の人間が訪れる時にその様子を見に行くという体であれば向こうの管轄外ではあります。しかし大丈夫ですか? 責められるとすればきっと貴方ですよ、オーウェン。」
なにを今更、とオーウェンは鼻を鳴らした。そのような中途半端な覚悟だったら今ここにはいないだろう。
「で、その強化日とは?」
「その月と同じ数字の日付だ。だから今月は四日になる。」
全員がカレンダーを見た、丁度明後日である。
「事前にお前が行くという連絡は入れないほうがいいだろう。始業後一時間……九時くらいに正面玄関に集まった当番の部下達と行く。そこにたまたま通りかかってほしい。」
「たまたま、ね。オーウェンも性格が悪い。」
くすくすとバスカヴィルは笑った。あちらが宣戦布告してきたと言うならば、もう手を打っても構わないだろう。今からウルリヒの顔が楽しみで仕方がなかった。
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