Example 2-1
「本日、この薔薇の学び舎に我々が入学出来た事を誇りに思います。ここに肩を並べられた事は一重に、両親、師、友人のおかげであります。これからの学び舎での五年間で、更に多くの人々と出会い、多くの知識を得、五年後に再び、この会場で軍人として出発する事が出来るよう、日々研鑽を積んでいく所存であります。」
皇太子として世に名を馳せたバスカヴィルという青年は、この演説を境にして薔薇の仲間入りをした。三十余年前に、軍事学校の改築祝いとして日本支部から贈られた百を超える桜の苗は、寮棟群へ伸びる一本の大きい道を囲っていた。眩いばかりの青空が道を照らす。世間から隔絶されたこの軍事学校は、関係者以外は親族でさえ立ち入りに厳しい制約が課せられていた。
(すごい花びらの数だ……。)
黒い髪の毛をなびかせながらバスカヴィルは薄紅色に埋まる天を仰いだ。多くの士官生は既に寮へ入ったが、バスカヴィルは他の優秀生と軍高官達の食事会があり、春の陽気もたけなはの午後十五時まで拘束されていた。黒い制服のまま、紙に書かれた寮へ入る。伝説の生き物達の名を関するこの寮棟のうち、バスカヴィルはユニコーンの寮の一室が与えられた。玄関口の無人受付に張り出された名簿にチェックを施し、ぽつんと置かれた同じ出席番号のトランクと布の包みを手に階段を登る。トランクは他のだれよりも小さかった。王宮を出たバスカヴィルの持ち物など、普段着と寝間着と下着だけしかない。
(それにしても……、随分と音が鳴るな。)
ぎぃぎぃとなる床を慎重に進んでいると、時折同室者と既に打ち解けたような笑い声が聞こえた。なによりも大切な、神官長ロビンから授けられた刀を持つ手に力が入る。
(二〇五号室、これかな。)
廊下から見える林と山の景色はまあまあ良かった。クラヴェーリの別荘から見たあの風景に勝るものはどうやらなかなかないようだ、とバスカヴィルは目を細める。春とはいえ、十六時近くになれば太陽が傾き始めている。バスカヴィルは踵を返し、目の前に扉を叩いた。
「どうぞ。」
冷ややか、というよりはどんな人間よりも落ち着いている声だった。中でガチガチと金属音が聞こえる。なにをやっているのか、とバスカヴィルは眉間にしわを寄せたが、ノックをした手前すぐにでも入室しなければ不自然だった。真鍮の黒ずんだドアノブを回し、ダークオークのなんの変哲もない扉を開ける。
「……。」
扉を開けてすぐのほんの気休めの廊下を二歩ほど進めば、同室者の青年がなにをやっているか分かった。眼を見張るほど眩いシャンパンゴールドの髪を揺らしながら、青年のその感情さえ失せたような同色の瞳の先は硝子の向こうの壁にあり、その細い手は長い銃身を握っていた。バスカヴィルは慌てて、しかし唖然としたようにゆっくりとトランクを置いて両耳を塞ごうとしたが、青年はすぐにスコープから視線を離して狙撃銃の銃口を降ろした。
「別に撃たない。」
若干青ざめた顔で、バスカヴィルは降ろしたトランクをゆっくり持ち上げた。窓側のベッドはもうすっかり占領されていたから、バスカヴィルは洗面所の隣のベッドが自動的に自分のベッドとなった。
「えっと——」
「ニコライ。」
ベッドを挟んで、手短な自己紹介が投げられた。バスカヴィルはトランクと刀をベッドの上に置くと、すたすたとニコライ・ロマノフスキーの前に回り込む。手を差し出して、にこりと社交的な微笑みを浮かべた。
「私は——」
「バスカヴィル。入学式で演説をしてた。」
苦笑いこそしたものの、バスカヴィルはあまり悪い気はしなかった。行く先々で皇太子やら殿下やら呼ばれていたバスカヴィルは、ついに一般人と同じ扱いを受けたのである。
「私はニコライ、前世はソヴィエト連邦で狙撃手をしていた。」
握手に答えて、ニコライは今までで一番長く言葉を話した。
「貴方は皇太子だ。こんな部屋で満足を?」
「勿論。皇太子だったのは昔の話で、今はただの士官生だからね。」
ふむ、とニコライは先程まで注視していた壁の染みに再び視線を置いた。愛銃をしまい、ベッドの上でかいていた胡座を解いた。立ち上がれば、よりその細さと線の滑らかさが際立つ。別荘に住んでいたとはいえ、狩りや試験に向けての訓練を行っていたバスカヴィルの体は、ニコライとは比べ物にならないほど逞しかった。
「これから五年間。よろしく。」
「あ……。よ、よろしく。」
どこか上の空で先の握手に答えたニコライは、改めて自分から手を差し出した。その仕草は、軍人というよりはどこか柔らかだった。戸惑いながら再び握手をして、バスカヴィルは手を解いた。
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