銀狼は少女の幸せを祈る
そんな私達の姿を、アメリアがどんな表情で見ていたかなど知らないまま、パーティーは幕を閉じ。
オルガと共に馬車に揺られ屋敷に戻った私は、寝支度を整え、ベッドの縁に腰かけた。
「それでは、ごゆっくりお休みくださいませ、お嬢様」
「ええ。ソフィーも今日は、朝から本当にお疲れ様」
「お嬢様を着飾るのは、私の楽しみの一つですから」
ソフィーがナイトティーのセットを乗せたトレーを手に微笑み、「おやすみなさいませ」と部屋を後にする。
『お嬢様が不要と判断なさるまで、お側を離れません!』
数年前にそう宣言したソフィーは言葉の通り、今でも変わらない温かさを持って私の侍女でいてくれている。
本邸の雰囲気も、かなり変わった。
今ではソフィー以外の使用人も私を敬ってくれるし、お父様の忠実な"犬"であるマークスまでもがネチネチした嫌味も止め、私を"ロレンツ公爵令嬢"として扱う。
(まあ、お父様の前では、みんな慎重だけれど)
それを差し引いたって、こんなにも居心地が良くなるなんて夢のようだわ。
ぽすりとベッドに横たわり、ふうと息をつく。
「……お父様は今回も、お見えにならなかったわね」
期待していたわけではないから、悲しくはない。
ただ、"ロレンツ公爵令嬢"として馴染みつつある私を歓迎していないのは確かだから。
存在しなかった誕生祝いのパーティーしかり、何か一度目とは異なる出来事が起きるのではないかと。
(いくら私が気に入らないからって、ロレンツ公爵家当主が殿下主催のパーティーを欠席するなんて。礼儀に欠いた態度よね)
一度目の時はお父様が完璧で偉大な人に思えていたけれど、社交界や事業にと幅広く知識を得た今は、ちっとも"完璧"ではないと分かるようになってしまった。
(オルガがフォローしてくれいるからいいものの、本当に何を考えているのかしら)
それから私の頭を悩ませる人物が、もう一人。
「……殿下にも困ったものね。いったい、いつになったら飽きてくれるのかしら」
刹那、「ミーシャ」と声がした。
同じくして、リューネがふわりと姿を現す。
「ミーシャが正式に"聖女"と定められたなら、あの男と番うのだろう?」
「殿下のこと? ……そうなるわね」
「あの男を、殺すのか?」
「こっ!?」
唐突な問いに勢いよく上体を起こすと、リューネは「違うのか?」と小首を傾げ、
「ミーシャがあの男を受け入れられないのは、一度目であの男に命を奪われたからだろう? さすがの私でも過去は変えられない。この世界では分からずとも、ミーシャにとってのあの時はなかったことにはならない」
「……ええ、そうね。私も、どうしたって忘れられないもの。けれど……」
閉じた瞼の裏に浮かぶのは、私を見つめる強いルビーレッドの瞳。
コバルトブルーに潜んだ瞬きはひどく冷徹になれるというのに、私を見つめる瞳はいつも真摯で熱く。
かと思うと、信じられないほどに甘く緩まることを、今の私は知っている。
(愛しているわけでは。許したわけではない。けれど)
「殺す気は、ないわ。……あんなにも憎くてたまらなかったのに、私も同じように奪ってやりたいと思えなくなってしまったなんて。馬鹿げた話ね」
言葉にした途端、それが揺るぎない事実として形付いてしまった。
あんなにも惨めで恨めしかったのに。
あんなにも、身も心も苦しかったのに。
それでも、あの人の命を奪いたいとは。
復讐をしたいとは、思えなくなってしまった。
(もしかしたら、一度目の殿下の行動も、アメリアの"魅了"にかかっていたせいなのかもしれないだなんて。本当に、甘い考えね)
リューネは「残念だ」と首を振り、
「ミーシャが望むのなら、あれの喉元に噛みついてやろうと思ったのだがな」
「絶対駄目よ!?」
「分かっている。そなたの意志に反することはしない。……ミーシャ。そなたは本当に良くやっている。"聖女の巫女候補"としても、密かに続けている浄化についてもだ。そんなそなたに一番に酷を強いているのは、私だという自覚はある。私たちがそなたを回帰させなければ、そのように長いこと悩ませることもなかった」
「それは違うわ!」
私はずいとリューネに顔を寄せ、
「こうしてもう一度機会を与えてもらって、本当に感謝しているのよ。リューネたちが回帰させてくれたからこそ、あの時は知り得なかった人の優しさや温かさを知れたわ。自分で状況を変えていく楽しさだって。こんなことを言ったら変だろうけれど、やっとひとりの"人間"になれたような気がするの。それに――私を騙し裏切った、アメリアへの復讐だって。私がやられたままでは引き下がれない性分だって、リューネは良く知っているでしょ?」
「……それも、そなたを苦しめる一端にならなければ良いが」
「ん? ごめんなさい、よく聞こえなかったわ」
尋ねた私に、リューネは「いいや」と私に額をこすりつけ、
「ミーシャ。そなたには正しき"聖女の巫女"の座を得ることを望んでいる。しかし同じだけ、そなたの幸せを願っていると、忘れないでほしい」
「……ええ。ありがとう、リューネ」
(私の"幸せ"って、なんなのかしら)
一度目の時は、聖女の巫女としてルベルト殿下と結婚し皇太子妃となったら、悪女の巫女とされ修道院に送られたアメリアに心を配ることが、私の"幸せ"なのだと考えていた。
けれども、今は。
(……正直なところ、毎日がとても満ち足りているのよね)
"聖女の巫女"として洗礼を受けたなら、聖女としての活動と、皇太子妃としての役目を全うしなければならない。
新しい事業なんてもってのほか。
これまで育ててきた"ベルリール"はもちろん、香水瓶ジュエリーからも、ロレンツ公爵家の領地の改革からも、手を引かなければ。
(これまでのように気軽に出歩くことも難しいでしょうし、会いたい人にも、簡単には会えなくなってしまうでしょうね)
だからといって、"聖女の巫女"をアメリアに譲るつもりはない。
あの子には必ず、惨めで悲惨な苦痛を味わってもらわなければ、"悪女"だった私が浮かばれないもの。
(……幸せとは、難しいものね)
ひとまず、は。
「ねえ、リューネ。今日はこっちで一緒に寝てくれるでしょう?」
ぽん、と私の隣を叩いて問うと、リューネは肩を竦めたようにして「いいだろう」と移動してきた。
私が十四歳となった日から、リューネは私の隣では寝てくれなくなった。
いわく、「そなたの隣はよく眠れてしまう。そなたを守るのも私の役目だ」と。
(たしかに、歳を重ねるごとに精霊の訪問が増えているものね)
リューネの話によると、私を訪ねてくる全ての精霊が差し迫った状況というわけではないようで。
私の体調も鑑みて、リューネが"選別"を担ってくれていた。
それはとてもありがたいことなのだけれど、リューネと共に寝るのが日常だった私にとっては、少し寂しくもあり。
特別な時だけは、リューネに隣での就寝をねだっている。
枕に頭を乗せ横たえた私の隣。
もそもそと体制を整えたリューネの柔らかな毛を、指先で梳く。
「……今、とても"幸せ"だと感じているわ。こうして眠ると、とても穏やかな心地になれるの」
「……そうか。私も同じだ、ミーシャ」
十歳の、少女だった私相手に告げるような、優しく宥めるような声。
「加護の夜に、良い眠りを」
揺らぐ船にあやされているような心地よい眠気に瞼を閉じ、私は"幸せ"な眠りについた。
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