変えられないものと変わったもの
「……私に、何をお望みでしょうか」
歩を止めた私に、少し遅れて殿下が立ち止まる。
じっと見据えるルビーレッドの瞳は、楽しんでいるようにも、観察しているようにも見えて。
「どうやらまだ、俺への"誤解"は解けないようだな」
「え?」
小さな呟きがうまく聞き取れなくて、思わず声をあげると殿下は「いいや」と微笑む。
それから「教えてほしい」と一歩を私に踏み出し、
「なぜ、あの"友人"が鍵になると分かった」
「……分かっていたわけではありません。本当に"鍵"となるかどうかは、賭けでした」
変えられないものを、探したのです、と。
私は殿下の探る瞳を見つめてから、美しく咲く薔薇へと視線を遣る。
「殿下もご存じの通り、私は以前とは変わりました。その変化は私にとって多くの状況を好転させましたが、全ての問題を解決したわけではありません。……私を見る夫人の眼には、覚えがありましたので。もしかすると、"変えられない"点に起因しているのではないのかと考えた次第ですわ」
嫌悪に染まるカトリーヌの瞳に重なったのは、一度目の時から微塵も変わらない、お父様の瞳。
オルガは言わずもがな、本邸の使用人たちの態度も、近頃は随分と変化したものだけれど。
時折帰ってくるお父様だけは、一度目と微塵も変わらない憎しみを向けてくる。
だからやっと、気が付けた。
お父様は私が母親殺しの"娘"である限り、私を恨み続けるのだろうと。
(いっそ、私ではなくお母様が"聖女の巫女"だったらよかったのに)
カトリーヌの生まれを調べてみたところ、彼女が私を嫌悪し、アメリアを可愛がる"理由"となり得そうな共通点を見つけた。
それが、"生まれながらの身分"。
「カトリーヌ夫人は生家が没落し、忍耐と努力によって"レディー・ライラック"の名を築かれました。アメリアは、元は地方の小さな男爵家の生まれです。聖女候補となったことで伯爵位を授けられましたが、当初は貴族社会での風当たりも強く苦労していました。私だけが、生まれながらに"公爵令嬢"なのです」
私は殿下に視線を戻し、
「ご紹介したヘレンは、元は平民の生まれです。それから縁があり、男爵家の養子となりました。カトリーヌ夫人は社交界での出来事に敏感ですから、もしかしたらケラティ男爵の名に覚えがあるのではないかと。私の生まれは変えられませんが、夫人の心を揺さぶるにはその過去に似た境遇を持つヘレンが、一番に"効果的"なのではないかと考えたのです」
予測が当たり、幸運でしたわ。
にこりと微笑んでみせると、殿下は眉根に皺を寄せた。
(……まさか、私が純粋な善意でヘレンを紹介したとでも考えてたの?)
心の奥の、芯の部分がすっと冷えていく感覚。
これは……そう、失望に近い感情。
私ってば、いつの間にか殿下が"私"を理解してくれているものだと、勝手に期待していたのね。
(愚かなものね。一度目で懲りたはずなのに――)
「……あなたは、やはり分からない人だな」
「……え?」
知らずと落ちていた視線の先に影が落ちて、反射的に顔を上げた。
途端、ほんのわずかの距離にある、ルビーレッドの瞳にかち合う。
コバルトブルーの髪がさらりと美しく揺れ動いたかと思うと、優しい手つきですくい取られた右手に柔い口づけが落とされた。
「殿下……っ!?」
「"ロレンツ公爵令嬢"として生まれてしまったからこその不幸も、多いだろう。なのにあなたは、その不運をまるで当然のように受け入れるのだな」
「なにを――」
「俺が注文したドレスについて、なにか聞いているだろうか」
「い、いえ。ヘレンからは、詳細を知りたければ殿下に直接訊ねてほしいと……」
殿下は機嫌よく「彼女は本当に優秀だな」と呟くと、私の手を彼の頬へと導き、
「注文したのは"俺の色"を使ったドレス。あなたには、生誕を祝するパーティーで着てほしい」
優しい声色と、私の掌に頬を擦り寄せる姿は、まるで甘えているよう。
ドキドキと胸を叩く音が、その少し冷たい体温を伝えてくる掌から伝わってやしないか、気が気ではないけれど。
「せっ、生誕を祝するパーティーは、先日終えられたばかりでは? 次の、という話でしたら、今から仕立てるには早すぎるかと」
「俺のではない。あなたの生誕を祝するパーティーだ」
ドキリ、と先ほどまでとは異なる、嫌な緊張に心臓が縮む。
「……失礼ながら、殿下。私はそのようなパーティーを行う予定はございませんわ」
(今までも、これからも、ね)
オルガは十の歳を迎えた時に、パーティーが催された。
けれども私は当然のように、話ひとつなし。
どころかお父様は、しばらく家に帰って来なかった。
(ちゃんと、何でもないように微笑めているかしら)
なんとか取り繕いたい私の緊張に気づいているのか、否か。
殿下は淡々と「知っている」と告げ、
「俺が主催する」
「……はい?」
「表向きは、聖女候補である二人の生誕を祝するパーティとなるがな。あなただけでも良かったんだが、それでは余計に苦労を背負わせることになるとエルバードに止められた」
(感謝するわ、エルバード……!)
「だから、これは決定事項だ。冬を耐えた花の息吹く頃に似合いのデザインを、と注文している。ああ、それから。揃いになる俺の服も」
「なっ……!? もしかして、"ベルリール"の皆が沸き立っていたのは、そのことで……!? お言葉ですが殿下、"ベルリール"はこれまでドレスの制作が主体で、男性の服に関する知識は豊富とは言えませんわ。そもそも、皇族の方々はお抱えの仕立て人への依頼が通例となっているはずです。他者を祝するパーティーを催すだけでも異例ですのに、慣例まで破られるおつもりですか?」
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