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大魔術師フリードリヒ・クラッセン(1)

 空腹を抱えてさらに二時間歩き、ようやく魔術学院に戻ってきた。

 昼食の時間はとっくに過ぎていたが、食堂のおばちゃんが、バターを塗ったライ麦パンとミルクを分けてくれた。誰もいない食堂のテーブルに着いて、ようやく一息つく。

 窓の外にユーリウスの頭が見えた。彼は、生徒たちがこっそり消去した、にんじんや豆が床いっぱいに積もっているこの場所には、決して入ろうとしないのだ。

 一人でパンをかじるもの味気ないので、外を眺める振りをして引き上げ窓を開けた。そして、その直後に後悔する。

『それを食べ終わったら、すぐ、図書館に行くぞ』

「えーっ。すぐ?」

『あんたがその年齢通りの上級生なら、レルナー先生に話を聞きに行けたのにな。一年生はあの先生と接点がないし、あんたも事件に関して全くの無知。あんたのせいで、回り道しなきゃならないんだよ』

「いや、だから、少しぐらい休ませてよ。朝早くからずっと歩いて、こっちはくたくたなんだから」

 うんざりした声を上げると、食堂の床を掃除するモップたちを監督していたおばちゃんが、怪訝そうに視線を向けてきた。彼女にはユーリウスの姿が見えないから、大きすぎる独り言に聞こえたようだ。

「あ、ごめんなさい。何でもないの。町まで歩いて行ってきたから、疲れちゃって」

 慌てて言い訳すると、彼女は気の毒そうに肩をすくめた。

「あんたも大変だねぇ。町までなんて、魔術で馬車を走らせたらすぐなのにねぇ」

 その間にも、五本のモップたちは床掃除を続けている。

 魔術学院では、食堂のおばちゃんですら、魔術を使って掃除や調理をするのだ。床に落ちているごみには、当然のように、「デイレ」と呪文を唱えている。

『あのおばちゃんにだって、普通に使えるのにな。なんで、選抜試験にトップで通ってこの学院に入学してきたあんたが、使えないんだろうな。こんな簡単な呪文』

 ユーリウスが深々とため息をついた。

 おばちゃんにまた怪しまれても困るので、ティルアは反論しない。むっとしながら、もそもそとパンを頬張る。

 彼の方はティルア以外には声が聞こえないから、言いたい放題だ。

『だいたい、戻ってきたら、いくらでも魔術の練習をするって言ったのはそっちだろう? 図書館で調べものをするのは、練習より楽なはずだ。俺は先に行くから、それを食べ終えたらさっさと来い』

「はいはい、分かりましたよ」

 小声でしぶしぶ答えると、彼は『早く来いよ』と念を押してその場から立ち去った。

 自分の足は歩きすぎて棒になっているのに、彼が疲れ知らずなのが恨めしかった。


 一通りの腹ごしらえが済んだ後、ティルアは重い足を引きずって、二階に向かった。食堂と同じ建物の二階と三階が図書館になっているのだ。

 休日の午後ということもあって、読書をしたり勉強したりする生徒は少なかった。

 がらんとした館内を見回したが、彼の姿は見あたらない。そのかわり、明るい窓際で勉強しているクリスタを見つけた。

 今朝会ったときと同じ、流れるようなウエーブがついた髪を制服の背中に広げた大人っぽい姿だ。机の上には数冊の本が積まれ、三冊の本を広げ、ノートに必死にペンを走らせている。そのあまりにも真剣な様子に、声をかけるかどうか迷ってしまう。

『おい』

「ひゃあ!」

 なんの前触れもなく耳元で聞こえた声に驚いて、静まり返った図書館の中だというのに、変な悲鳴を上げてしまった。真剣に机に向かっていた生徒たちの視線が痛い。

 しかし、勉強に集中しているクリスタには聞こえなかったのか、顔を上げることはなかった。

「ち……ちょっと、いきなり近くから声をかけないでよ」

『遅いじゃないか! もう、めぼしい本は見つけてあるんだ。早く来い』

 ティルアが声を潜めて文句を言っても、聞いていないようだ。彼はすたすたと書架へと歩いていくと、その向こう側にするりと消えた。

「はぁ? これじゃ、どこに行ったのか分からないじゃないっ」

 これまでの流れから、魔術史か魔術薬学の書架にいるはずだが、普段、あまり図書館を利用しないから、どこに何があるかがさっぱり分からない。書架の側面に表示された分類名をチェックしながら、ユーリウスの姿を捜す。

『遅いぞ!』

 ようやく見つけた彼は、不機嫌そうな顔で、魔術史の棚の前で腕組みをしていた。

「しょうがないじゃない。ユーリを見失っちゃったんだから。あたしは、本棚をすり抜けたりできないんだからね!」

『ああ、そう。急いでいたから気付かなかった。あんたがもっと早く来れば、こんなに急がなくても良かったんだ。ほら、早く! これと、これ。それからこれだ』

 ここで「ごめん」の一言もないの?

 謝ったら負けだとでも思っているかのような態度にむっとしながらも、彼が指し示す本を次々と棚から取り出していく。

 その後、書架を点々とし、彼が選んだのは、『近代魔術史』や『高等魔術師名鑑』、『最新魔術薬』など、十一冊。全部積み上げて両腕を下げて抱えると、顎の下に届く高さになり、腕がちぎれそうなほど重い。

「ち、ちょっと。少しぐらい持ってくれても……」

 目の前をすいすいと歩くユーリウスに文句を言いそうになったが、言葉の続きはため息に変えた。本を取り出すことすらできない彼が、持ち歩くことなどできるはずがない。『持ってやるから、今すぐ俺を元に戻せ』と睨まれるのがオチだ。

 大量の本を抱えてよたよたと閲覧席に戻ると、ティルアに気付いた数人の生徒が、驚いたような顔を向けてきた。万年一年生の名物学生が難しそうな本を大量に抱えているのが、珍しかったらしい。そんな、ぶしつけな視線を無視し、机の上に本を積み上げる。

 椅子に腰掛けると、さっそくユーリウスが命令が飛んできた。

『早く目次を開け』

 ティルアは黙って、本の山のいちばん上にあった『高等魔術師名鑑』を手に取った。文字を銀で箔押しした重々しい皮の表紙を開き、目次にずらりと並ぶ人名を指で辿る。

 彼が、ティルアが繰るページを肩口から覗き込んだ。

『年代順に並んでいるから、ずっと後ろの方だ』

 探しているのは当然、フリードリヒ・クラッセンの情報だ。しかし、目次の最後までいっても、彼の名はなかった。いちばん最後の人物でも、五十年以上前に没した大魔術師だ。

「ないわよ」

『本の内容が古いんだな。フリードリヒ・クラッセンは罪人だから、最新版には載っていないだろうし……。似たような本がもう一冊あるだろ? そっちはどうなってる』

 言われて開いたもう一冊の目次の最後に書かれていた名は、ベルノルト・コルベ。現役の魔術統括省の大臣だ。フリードリヒの情報が載っているとすれば、彼の前後のはずだ。

『やっぱ、ダメか!』

 ユーリウスの声が、すぐ耳元で聞こえてきて、ティルアはびくりとなった。

 そろそろと首を回してみると、彼の綺麗に整った横顔が、自分の頬に触れてしまいそうなほど近くに……いや、実際には重なっていた。

「ひゃっ、ユーリ。近い、近いっ!」

『え?』

 ティルアが小さく悲鳴をあげて身をよじると、彼がこちらを向いた。驚いたように見開かれた明るい緑の瞳が、焦点が合わせられないほど間近にある。

「んーっ。んんーっ!!!!」

 早く、どこかに行って!

 大声を上げそうになるのを必死にこらえて、煙を追い払うように両手をばたばたさせた。指先が、彼の顔や身体をかき混ぜる様子が気持ち悪くて、ぎゅっと目を閉じる。

『わ……悪い』

 彼のうわずった声が、後ずさっていく。

 あれ? こんなことには謝るんだ——。

 勝手に後をつけてきたことにも、プレッツエルをだいなしにしたことにも、書架の間に置き去りにしたことにも決して謝らなかった彼だから、意外だった。

 そろりと後ろの様子を窺うと、彼は口元を手で押さえて、そっぽを向いていた。耳が真っ赤に染まって見えるのは、どういう訳だろう。

 ティルアは首をひねりながら、『魔術師名鑑』を脇にどけて、次の本を手に取った。

「次は、魔術薬の本だけど、また目次から見るの? 何を探せばいい?」

 再度後ろを振り返って確認すると、彼はまだそっぽを向いたままだった。口元を押さえている手もそのままで、もごもごと話す。

『やっぱ……り、ふ……』

「どうしたの? 熱でもあるの? 顔が赤いみたいだけど」

 椅子の背から身を乗り出して顔を覗き込もうとすると、ユーリウスはばっと後ろを向いた。

『な、なんでもない! ……やっぱり、普通の本じゃだめだって言ったんだよ! 毒薬とか呪術、犯罪に関する本じゃないと……』

「それって、禁書じゃないの? あたしじゃ無理よ」

 ティルアはお手上げとばかりに両手を挙げた。

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