「祖国」という概念
アリは悔しさを、欠片も隠そうとしなかった。
エステルが五分間練習の時に、若干回転不足だったとは言え、四回転を跳んだことは、さらにアリの闘志に火をつけたらしい。
「僕は絶対に、オリンピックに出ますよ!」
今まで言わなかった、そんなことまで口にし始めた。良い傾向なのか、悪い傾向なのか、ラウルも言っていた通りだが、判然としない。
「絶対に四回転を、確実に決められるようになって、4・4のコンビネーションジャンプだって決められるようになって、それで、金メダルを取る!」
そう、受話器の向こうで息巻くアリに対して、私は返答に窮する。技術に偏って、あの彼らしい大きさを感じさせる演技が見られなくなったら、と思うと、正直に言って不安だった。
しかし、まぁ、頑張るのは悪いことではないか、と思い直し、そして、ラウルに自分が言った言葉を思い出して、とにかく、何に挑戦しても応援するよ、と言った。
アリは、ありがとう、と言って、それからようやく、笑ったような気配を感じさせた。
「明日のエキジビション、楽しみにしておいてください」
いつも私が感じている、明るいアリの声で言う。
「了解」
私は笑って、それから、おやすみなさい、と言い、受話器を置いた。
それから少し気になって、インターネットに接続し、エステルについて調べてみた。
演技内容に関しての毀誉褒貶の激しさは、ある程度は覚悟していたが、想像を超える凄まじさだった。技術の点で、ほとんど叩きようがないからか、内容や題材についての誹謗中傷が多い。
ショートプログラムが、映画の「ミュンヘン」から来ているのは、その日のテレビで知っていたが、フリープログラムで彼女が演じたのは、「屋根の上のヴァイオリン弾き」だそうだ。これは、十八世紀の東欧で起きた、ユダヤ人虐殺に題を取ったものだという。
ユダヤ人に父親を殺されたアリにしてみれば、殺した側のユダヤ人であるエステルが、二世紀も前の虐殺のことを題材にして踊るのは、腹立たしいことだったに違いない。
氷の上でプロパガンダをしていると、ずいぶんな書かれようだが、たしかに否定しがたい面もあるな、と思いながら、情報を増やしていく。
どうやら、母国のイスラエルで、彼女は特別チームのコーチをつけられていて、それは軒並み、ユダヤ系の人間だけで固められているという。
そんなもんかと、真面目に読めば頭痛がしてくるような激しい非難を読み流していると、ふと、気になる記述が見えて、手を止めた。
《彼女は彼女の両親を、自爆で殺されている》
そのコメントに対して、また延々と、真面目に読む気も失せるようなやり合いが続いていたが、もうそれに目を通す気など起きなかった。
幸せは壊されるもの、という彼女の演技スタイルの根幹は、この体験にあるのに違いない、と私は感じた。
ただ、この話をアリにしても、意味はないな、とも思った。エステルが両親をパレスチナ人に殺されたのが事実だとしても、アリもまた父親をユダヤ人に殺されているし、それに、国を追われている。
国際法上、存在してなどいなかったと言われれば、たしかに存在していなかった国だが、それでも、彼らの中には、確実に存在していた祖国を、だ。
だが、ふと引っかかった。
国際法上、存在してなどいなかった祖国。それでも、心の中には存在していた祖国。それは、パレスチナ人だけではなく、ユダヤ人にとっても同じなのでは、なかったのだろうか、と。
そう思うと、エステルを意識するアリと、アリを意識するエステルとは、とても似ているような気がした。
似ているような気がしたが、しかし、こんな話はアリにはできないな、と、やっぱり私は思ったのだった。
再来年に迫った冬季五輪、アリはスウェーデン代表で出場することになるだろう。その時エステルは、イスラエル代表として出場するのだろうか。
祖国を追われたアリと、祖国を得たエステル。
ともに殺された者であり、そうして殺した者でもある二人が、氷の上でぶつかりあう。
同じ性別だったら、もっととんでもないことになっていただろうな、と思うと、アリが男であり、エステルが女であったことを、神に感謝したい気分になる。
あの二人が、手に手を取ることができる日が来たら、ましてペアで演技をする日がくれば、素晴らしいことに違いないな、と思って、それから私は、はたと気づいた。
ペアは、同じ国の代表にならなければ、演技はできない。
アリがイスラエル国籍を取ろうとすることなど、まずあり得ないだろうし、おそらく、エステルがイスラエル国籍を捨てようとすることも、まずないだろう。
ままならないなと、私は嘆息した。




