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三十四、人道 ふたたび

 光と闇が交互に視界を覆った。佳耶はあまりの世界の移り身の速さに目を閉じるしかない。それでも瞼の上から刺すような光の訪れに、まだ周囲が混沌としているのだと感じた。

 その光の痛みが和らいだ時、佳耶は思わず瞳を開けていた。

 周りには触れられるようなものは何もなくて、しかし全てが見えていた。ありとあらゆる時代、ありとあらゆる地域の、ありとあらゆる人の営みが素早く佳耶の後方へ飛んで行く。その速度は速すぎる程ではないが、人の顔を認識した途端に消えて行く。

 まるで螺鈿のような世界。

 闇玉に触れるとこんな事になるなんて、頭がおかしくなりそうだ。

 佳耶には周囲の光景を拾うので精一杯、目指す時代と地域に関わるものはあまりにも少なくて、手の中から溢れる砂を掬おうとしているだけ。ひどい徒労を覚えた。

 棒に石を括りつけただけの稚拙な武器で戦う生き物たち。全身を奇妙な白銀の金属で覆った男たち。衣装も髪型も膨張したように飾り立てた女たち。それから小さな箱に話しかける男女――

 佳耶の頭ははっきりと痛みを訴えてきた。あまりにも多くのものを一気に魅せられ続け、内側から鈍く痛みだしたのだ。脈動するように痛む頭を抱えようとして、佳耶は自分の体すらない事に気づく。

 一体、此処は何なのだ――

 焦燥が絶望を引き寄せる。こんな理解の到底叶わぬ場所で、佳耶に出来る事など何一つない。闇玉に触れたのは間違いだった。彼はもう二度と冥府には戻れないし、人道にだって行けない。頭の痛みが増大する。

 笑う人の顔。泣き叫ぶ男。人を殺した女。裕福な生活に楽しげな男。

 都、(ひな)、森、海、空、地中。

 人が生きる事の出来る全ての場所で、人が生きた万年の記録を見せられている。

 やめろ、叫んだはずが声も出ない。

 此処は確かに人が来ていい場所ではない。気が狂いそうだ。

 どうして胡蝶はこんな方法を――

 闇玉は人の願いを感じ取れる。胡蝶はそう言った。闇玉の力に負けないくらいの思いで、望む場所を願え。佳耶は思い出した。

 何のためにここまでした? 何のために覚悟をした? 何のために佳耶は――

 今だって脳裏に描ける。ときはが居た、人道。寧楽の京、時は天平六年。

 一つの事に考えを絞ったら、やけに周囲がゆっくり動くようになった。幾つもの不定形の世界の欠片の中に、自分の見知った世界がないか目を凝らす。

 本当は佳耶の生きた時代も、ときはの時代とあまり変わらない。少し彼女の時代よりは遡る程度。佳耶が行きたい時代を間違える事はないだろう。

 服装どころか顔立ちさえ異なって見える者がいたが、すぐに目を逸らす。そのうちに、辺りはまるで佳耶の願いを聞き入れたかのように、時代や地域を限定した光景を映し出すようになる。いや、まだ寧楽の京が栄えていた時代だけには絞れていない。佳耶は眉を寄せるとそれを探した。

 瞬間、幼い頃の自分が見えた気がして目を見張る。だがそれは今は関係ない。微かに胸の奥が空虚に感じたが、見ない振りをした。今は別の時代に行きたいのだ。

 顔を逸らすと、見覚えのあるような顔を見つける。何処で見たのかは覚えていない。だがあの顔は、確かに佳耶を引き止める。

(あいつだ)

 ときはの兄、清人だ。見た時の顔よりかなり若い。幼いといっていい程だ。という事はときはももっと幼い頃のはず。このままいけば望んだ場所に出られるかもしれない。

 手を伸ばしたが、とどかない。

 肘を真っ直ぐにしても少しも腕は伸びなくて、触れる事も出来ない。

 手を伸ばせば触れられそうなくらい近くにあるはずなのに。

 叫びだしたいくらいに焦りが生まれ、佳耶は奥歯を噛みしめた。

 少女が振り返った。最後に会った時よりも幾らか幼い――目が合ったと思った瞬間、佳耶の世界は暗闇になった。







 寧楽の京の上空で、突如光が弾けた。まるで何か巨大な力が放出されたかのような、爆発したかのような音がした。桐山古麿(きりやまのこまろ)はそれに驚いて、身をそびやかした。あまりに尋常ではない音だったので、それだけで恐怖を感じた。空を見上げれば、暗い雲の色。何かがおかしな空の上。しかし、平素と違う点は暗雲以外どこにも見られない。ただ古麿の胸を打つ心拍が増えるのみ。相棒の衛士はこんな状況でも欠伸などしている。

「な、なんだ、今のは……」

 目尻の下がった瞳でもって、辺りを見回す。古麿がない知恵を絞って、今の状況を把握しようとしたところ、轟音がとどろいた。今度は雷が鳴った。一筋のみならず、幾筋もの電光が都を眩しく照らしては消える。雲間から覗くは、あまりにも数の多い、いかずち。

「……なんだというのだ、今日の天気は」

 それは天気だけの問題ではなかったが、古麿は不吉な現象を自分の破滅とつなぎ合わせるような事はしたくなかった。皆が凶兆と慌てふためくが大した事ではなくすぐに収まるのだろうと、信じ込もうとした。だが、それは叶わなかった。

「――うそだろ……っ!」

 遠くから、奇妙な声がしたのだ、それは上空からのものに思われ、古麿は顔を上げようとした。が、視界はすぐに遮られる。

「ぎやあっ!」

 叫んだ古麿と同じように、もう一つ悲鳴が彼にかぶさった。声だけでなく、その持ち主も。地面に這いつくばった古麿は、自分にのしかかる重みを押し上げるという考えを持つよりも早く、自失していた。

「……空から、人が?」

 田尻八束(たじりやつか)が常には見せぬ驚いた声を上げていたのも、古麿の耳には入らない。

 地面から離れた高い場所で人道に投げ出されて、佳耶は上手い具合に緩衝材を得ていた。身体に影響はないが、あの異質な空間に居た後遺症と、そこから一気に放り出された衝撃ですぐには身動きが取れなかった。まだ頭は少し痛むし、なんだか四肢は疲れている。随分と長い間睡眠を取っていないかのような気だるさがあるが、それを振り払うように首を振ると、佳耶は立ち上がった。

「ぐけえ」

 背中を潰され、古麿はおかしな悲鳴を上げる。感情の分かりにくい顔をしながらも開いた口の塞がらない八束と顔を合わせるが、佳耶はすぐに目を逸らした。踏み台にしていた男からも降りると、きょろきょろと辺りを見回し始める。

 しばし自分に与えられた不幸に打ちひしがれていた古麿だったが、それが不当な扱いだと気づくと勢いよく起き上がる。

「き、貴様この古麿に何をする!」

 間近に来られて文句を言われれば、さすがに佳耶も顔を向けずにはいられない。

 生真面目そうな、目尻の下がった男。何故か無意味に大きな態度。なんとはなしに、覚えのあるやり取り。佳耶は少し眉間にしわを寄せる。

「ん、お主……見た顔だな。すぐに思い出す故待て」

 佳耶に手の平を見せて制止を促すような古麿に対し素直に言う事を聞く気にはなれなかった。そもそも、佳耶は今それどころではない。今いる此の場所が彼の望む人道で天平の年六年かどうか、寧楽の京のある地かどうかを知らねばならぬのだ。

 はたと気づいた。佳耶は古麿の言葉をうっかり聞き逃していた。彼は佳耶の事を“見た顔”と言ったのだ。佳耶にも相手の顔に心当たりがある。改めて古麿を見ると、寧楽の京の往来でときはと佳耶に揉め事はやめろと言った男だった。そして佳耶は気が動転していたあまり覚えていないが、夜の京でときはが桃緋に刺された後にも顔を合わせている。

 まさか、こんなにも上手く――行くなどと。

 未だ気が動転していたのかも知れぬ。佳耶は周囲の建物にも見覚えがある事に気づいた。大唐国を模した立派な都。あの築地の造り、幾度も目にしたものではないか。自然、少年の口元が緩む。実際佳耶は今にも笑い出してしまいたかった。

 分の悪い賭け、失敗したらひどい事になっていただろうに、それを回避出来たのだ。勝利感から佳耶の胸の内は軽くなっていた。なんという巡りあわせ、なんという僥倖。しかしこれも胡蝶の言うように、闇玉の力よりも強く願ったための当然の帰結だろうか。

 いいや、まだ安心するのは早過ぎる。人道に来るのは目的ではなく手段でしかない。此処に来て何をするか、それが問題なのだ。

 びゅうと風が吹く。佳耶はそれに煽られるように走り出した。背後から衛士の男が何やら喚いていたが、関係のない事。見上げれば空はひどく曇りきり、辺りは昼間だというのにとても暗かった。佳耶の脳裏に地獄道で見た闇色の空がよみがえる。刹那、怯えが寒気となって這い上がりそうになるが小さく首を振って追い払った。此処は地獄道ではないし、空は曇り空というだけ。分かっているのに、どうにも胸騒ぎを起こす空だ――。

 不意打ちのように甲高い女の悲鳴が上がる。ときはの声ではなかったようだが、反射的に動いてしまい、佳耶は気づくと地面を蹴っていた。あんな状況で別れた、閻魔王の半身を身に宿した少女が居る場所なら、何か起こってもおかしくはない。悲鳴が上がる程の何かが。佳耶はそう考えた。

 角を幾らか曲がり道をゆくうちに数人の人が佳耶に向かって駆けてくる。何かから逃げてきたような必死な形相をしており、佳耶を通り過ぎた。

()く、(さか)りゆけ!」

 若い男の声がしたかと思えば、人のものとは思えぬ雄叫びが轟く。佳耶は駆ける足を早めて騒ぎの元に飛び込んだ。

 其処には、砂塵舞う中一人の青年が立っているだけ。佳耶には青年の名は分からなくとも、見覚えのある光景だった。ああして砂と化して消えたように見える夢生は、自分の元居た(せかい)に還ってゆくのだ。

 青年は人の気配に緩慢に振り返ると、ひたと佳耶を見据えた。落ち着いた表情の青年は少し息を荒くしていた。それを整えるように一度息を吸って吐く。佳耶に向けられた視線は他者の思考に敏い目だった。まるで、佳耶が何者で何を求めて人道に来たのかを知っているかのような眼差し。

「君――」

 青年の美しい(かんばせ)が、ややもすると剣呑なものに変わる。何故だか、佳耶は脈が早くなるのを感じる。

 ああそうだ、こいつはあいつの兄だった。気づいた時には、佳耶は清人も自分を知っているのだと思ってしまった。妹の身を案じるような兄かは分からないが、何だか急に後ろめたくなる。

 陵清人が唇を開く。

「何してるの、外は危ない。早く家に帰った方がいい」

 警告をされても、佳耶はすぐには反応出来なかった。まさかそんな事を言われるとは。彼は佳耶の身の上を知らないのか――考えれば、当たり前だ。こうして顔を合わせて話をするのはこれが初めてなのだから。安堵すればいいのか、自分の間抜けさに呆れればいいのか佳耶には分からなかった。知らずのうちに詰めていた息を吐く。

寧楽(なら)(みやこ)では最近、おかしな妖怪(あやかし)が現れるって、聞いた事ない?」

「あ、ああ――……」

 要領を得ない返事をしながら、佳耶は短い髪に手を添えて頭をかく。妖怪という言葉をあえて使うのは清人が神名火守という身分を公言するつもりがないからか。だとしたら暗示されているのは夢生(いめおい)の存在だろう。人道では夢生の数は少なくほとんど人に見られない程度だというのに、そんな警告をしてくるという事は、夢生の数が増えているのだろうか。この人道で何が起きているのだろうか。

 本当は探し人の兄である――もっとも血の繋がりはないとの事だが――清人にときはについて問いたかったが、この分だと彼はまだ何も知らないのだろう。ならば彼にときはの居場所を聞く事は出来ない。そうと分かれば、此の場に長居する理由はない。

 もう一度清人を見ると、彼の方も路上にたむろするつもりはないようで、次の目的地を探すように何処(いずこ)かを眺めていた。

「じゃあ――」

 特に別れの言葉も必要ないと思ったのだが、一つのきっかけとして佳耶は口を開く。その瞬間、天が光った。雷光などという生やさしいものではない。光だけでなく、圧倒的な質量が佳耶にのしかかったのだ。思わず背けた顔を空に向けると、暗い空の雲が斑に割れていた。其処には小さな人影が、二つ――。

 まさか。あれが佳耶の探していた人物だというのか。あまりにも現実離れしていてぞっとしない。心臓はどくどくと早鐘を打つし、佳耶の本能はあれから遠ざかれと訴えていた。

 しかしあれがヤマと閻魔なら。ときはの体を操り空に浮かせた張本人なら。あの場所に向かわねばならぬ。たとえ佳耶には空が飛べなくとも、あの空の真下には行ける。

 一際大きな雷鳴が、うなり声を上げて、大気を振動させた。

 駈け出した少年は気づいていなかった。自分が空を見上げた時に、清人も同じく顔を上げたという事を。そして彼には彼の考えがあって、佳耶と同じ方角へと走りだしていた事を――。

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