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三十一、天の火の真実

 ――ときはの様子がおかしい。佳耶の首筋にちりと電気のようなものが走る。自分の出生の秘密を知って動揺しているというだけではないようだ。佳耶や征崖の制止も聞かずに歩き出したときはの横顔は、いつか見た顔と似ていた。地獄道に連れ出されても焦点の定まらぬ瞳をしていたあの頃に。何も見えておらず、何かに引かれ、操られるように動く姿と同じだ。

「征崖さん、何か変だ」

 返事も待たずに佳耶は駈け出した。背後の気配に気づいたのか、ときはも足を速める。佳耶が追いついて彼女に手を伸ばすと、すっと手の平が目前に迫る。軽く押されただけであった。それなのに佳耶には大きな拒絶に思え、一瞬たじろいでしまう。そして気づいたのだ。ときはの手首にあるはずの、青色の珠がないと。今は関係のない事かもしれぬ。だが妙に佳耶の中に引っかかった。

 反応が遅れて、佳耶はときはが昇降機の中に吸い込まれて行くのを負えなかった。あっと思った時には昇降機の扉が下りていた。

「……嫌な予感がする」

 隣に追いついていた征崖が、閉じられた扉を睨む。顔を上げた佳耶は、ほとんど彼と同じような顔をしていた。

 一人の少女が、ただ自分の生まれを知っただけ。それだけだというのに、彼らの間には不穏な予感が横たわる。ただ佳耶は本能的なものでその空気を感じ取っていただけだが、征崖は少なからず冥府の事情を知る存在。苦みばしった表情が消える事はなかった。もう一度、佳耶が征崖を仰ぐ。

「移動は昇降機しか使えない。後手に回る事になるが仕方があるまい」

 頷くと、佳耶は昇降機の戸を真っ直ぐに見据えた。

 冥府に来てからのときはは夢から覚めぬような瞳をする事が少なくなかった。そんな時彼女は本当に誰かに引っ張られているかのように歩くのだ。彼女以外に近くに誰もいないのに。その光景はいつだって佳耶の眉を顰めさせた。

 とても長い間待たされたように感じた。昇降機の乗り場が戻ってきた音がする。佳耶はすぐさま扉を開け、飛び込んだ。上か、下か、ときはは何方(どちら)に向かったのか。佳耶には分からない。すると征崖が取っ手を押して言った。

「上だ」

 彼がそう断定する理由は判然としないが、佳耶はそれに従う事にした。もしかすると征崖には何か心当たりがあるのかもしれないのだから。

 またももどかしい時間が過ぎ、昇降機が目的の場に着いた事を教えるために振動する。佳耶は行く宛もないのに一目散に飛び出した。

 気がつけば佳耶はいつもときはを追っているではないか。地獄道でも何て厄介な相手なんだと感じた。だが今は違う。征崖の言うように、良くない事が待ち受けていそうで心臓がざわつく。

「っとに、世話のやける……」

 この階は佳耶も普段ほとんど来ないような場所だ。閑散として誰の姿もない。ときはの気配もまだ見当たらない。思い出したように征崖を見上げると、彼には進むべき道が分かっているかのように、確信めいた瞳をしていた。かすかに怪訝さを視線にのせた佳耶にも構わず歩き始める。一拍遅れたが、佳耶もその後に続いた。

 征崖は一体何を知っているのだろうか。彼は冥府の主閻魔の腹心の部下うちの一人だ。佳耶のような下っ端とは違い知る事も多いだろう。今更ながらに多くを話してくれない征崖に不信感が募る。

 考えると、これまで疑問に思わないようにしていた佳耶は、征崖の事を自分で思っていた以上に頼りきっていたのだろう。故に疑う事をしないで、相手に判断を委ねた。佳耶は心の底から他者を信用しないと決めていたはずなのに。地獄道で手を差し伸べられ、佳耶を神名火守にしてくれた人。恩義はあっても何時(いつ)関わりを断っても問題ないように心の準備をしていたはずなのに。それが佳耶にとっての征崖という人。

 今は少し別の人に見える。彼には彼の事情があって多くを語らなかったのだろうが、その事が佳耶の思いをくすぶらせる。征崖が、あるいは閻魔王が、故あってとはいえ語らなかった事が原因でときはが傷つくような事があれば、佳耶は――。

「閻魔王様」

 虚を突かれたような声を上げた征崖に、佳耶は顔を上げる。いつしか彼らは行き止まりにたどり着き、側に閻魔王その人がいるという場所にやって来ていた。常ならば裁きの場か執務室に閉じこもり姿を見せない閻魔王が佳耶の目の前にいるという光景。その事自体が一つの非日常だった。

「一体、何が」

 佳耶は閻魔王が出歩くに至った経緯を思いつけず、冥府の主の視線の先を追う。其処には佳耶も探していた一人の少女の姿があった。顔の造作の整った閻魔王がときはを見つめ――睨み据えていると言っても差し支えはなさそうだ――口を開いた。

 突然ときはの居る場所から突風が吹いた。

「あ……っ?」

 あまりの風の強さに佳耶は顔を両手で庇って、目を細める。一瞬見えたのはときはが手を伸べた先に扉のようなものがあったという事。側にいる者に何か問おうとも、風は止まず轟々と唸る音が言葉をかき消してしまう。

 途端、重いほどの空気が肩にのしかかって来る。

 何かが、来る。

 心臓がびりびりと痛んだ。痛いのだ。あまりの空気の重圧に、佳耶は拳を握り歯噛みせねば耐えられそうにない。

 何かが、解放された。

 時既に遅し。閻魔王は佳耶たちと変わらぬ頃に到着した。彼の行動も一歩遅かったのだ。

 息さえ躊躇われるのは、空気が重くて顎が動かぬから。眼球一つ動かせぬのは、本能が拒絶を許さぬから。足が床に縫い付けられたように重いのは、逃げるという考えを封じ込めるから。

 怖さというものは思いつかなかった。佳耶はただ一つの事を知っていた。この圧倒的な力の差を前にしては、恐怖を感じる必要もないと。彼方が望めば佳耶のような小さな生き物は一捻りで楽に殺せるのだろう。瞬き一つする間もなく、終わりを迎える。それならば何を恐怖する必要がある? あるはずがない。

 息も許されぬこの場で、佳耶はその瞳に未だ明瞭に映らぬそれを凝視していた。

 (こご)った色は揺らめいて黒にも、土色にも見える。時々透明にも変わって――収斂する。

――我を 受け入れよ、小娘

 声が、した。

 肩を背を頭を全身を押しつぶす見えぬ力を思えば、優しい程の声音。しかし有無を言わさぬ高圧的な響き。

 風が止んでいた。

「なんという……」

 誰かのふるえるような声がした。佳耶が最後に見たのは捉えどころのない不明瞭な塊などではなく、人の姿をしていたようだった。

 目を閉じる少女の顔が見え、それが佳耶のよく知る相手だと気づくと、あの圧倒的な気圧が薄らいでいた。

 風が揺れ、佳耶の真横を通って行く。

 いいや違う、あれはときはという名の少女の姿。

 しかし今はときはに思えぬ――

「待ちなさい、ヤマ……!」

 今度の声は閻魔王だと佳耶にも分かった。彼の立ち直りは誰よりも早かった。冥府の王は衣擦れをさせて佳耶の前に駆け出ると、手を伸ばした。

 嫌だね

 低い声が聞こえた。

 少女は笑ったようだった。とても彼女には似合いはしない、おぞましい笑みだった。

 何が起きているのか。

 佳耶の心臓は未だ早鐘を打っている。

 ときはが自身の身の上を知り狼狽し、何処かへとたどり着いた。そして何かを、解放した――?

 状況を把握出来ないながらも、佳耶は察しよく勘を働かせて正鵠を射ていた。彼はその身をもって知ったのだ、大きな力が溢れ出るのを。溢れるという事は閉じ込められていた、あるいはせき止められていたものがあったという事だ。であれば矢張り、ときはがそれを放ってしまったという推測が出来る。

「征崖、私が出たら六道の全ての門を閉じなさい」

 閻魔王は後悔し苦みばしった人の顔をしていた。閻魔の姿は佳耶も幾度か見て知っている。しかしこんなにも間近で見るのは初めてだ。それも、こんなにも人間じみた横顔を見せるだなんて――。

 まるで閻魔王さえ冷静さを失う非常事態に陥っている事の表れではないか。思うと、佳耶はぞっとした。

「御意に」

 短く征崖が応じると、閻魔王はもう振り返らずに歩き出した。と思うと彼の姿は消えてしまった。まるで最初から何もなかったかのように。あっという間に。跡形もなく。

 閻魔王を動かす程の何かが起こっている。この時の佳耶に分かったのは、ただそれだけだった。




 胡蝶の苛立った声がする。

「なんであの子は、いなくなったのよ?」

 佳耶が征崖とときはの話をしていたのは、閻魔王がきちんと彼女を帰宅させる支度をしている、という話題が元だった。閻魔王は清人という名の兄が彼方此方を調べ回っている事に気がついた。余計な気遣いかもしれぬが、清人の行動が元でときはが帰りづらい事になってはいけないと、閻魔はときはの身の上を征崖に話した。それが佳耶の耳にまで入った、ただそれだけの事。

 佳耶もまさかこんな事になるなどと、思いもしなかった。

 動揺したときはが、そのまま落ち込むだけならまだよかった。

 彼女の身に起こった事は、未だもって佳耶も信じられぬ事だった。

「おれにも、何がなんだか……。ただ、あいつは自分が家族と血のつながりがないって知って、すごく戸惑ってた」

 冥府はにわかに慌ただしくなった。何しろ冥府を束ねる頂点が突然消えたのだ、閻魔の直属の部下である十王(じゅうおう)たちが代理となって立ちまわっているが、六道へと移動する門が閉じられてしまった事で、十王とその部下たちの仕事は爆発的に増えてしまった。冥府とは六道へと食香(じきこう)――裁きを待ってそれに従い次の(せかい)へ行くだけの存在――を送るのが常の仕事だ。六道へ向かえないのであれば其処へ向かうはずだった者たちがあぶれて大変な事になる。それで上を下への大騒ぎ、だ。

 さすがに十王たちの姿までは見当たらないが、新たに課せられた膨大な量の仕事に慌てふためく人々。冥府と六道を常通りに回転させるので手一杯で、彼らは誰も立ち止まって話し合う佳耶たちを見ていなかった。佳耶の方も同じだった。忙しくする冥府の住人を見もせず、佳耶は続ける。

「急に歩き出すと、まるで何かに惹かれるように先へ進んだんだ」

「それでどうして閻魔さまがあの子を追いかけるような事態になるのよ?」

 そう、閻魔王がときはを追ったのだ。彼らが何処に向かったのか佳耶には推測も出来ない。六道の何れかだろうが、一体何の目的で。

 黙りこくった佳耶に焦れたような胡蝶は、離れた場所にいる征崖を見上げた。

 佳耶も気配で征崖がまだ其処にいる事を分かっていた。静かに息を吐き出すと、彼を振り返らずに問いかける。

「征崖さん、教えてください。一体何があったんですか?」

 胡蝶が見上げた征涯は険しい顔をしていた。顔色が悪そうにも見える表情だ。何かの痛みにこらえるような眉間のしわが深くなる。

 佳耶と同じように、しかし短く征崖は息を吐いた。

「……そうだな。お前たちももう随分とあの少女に深く関わっている。少しは知っておくべきなのかもしれぬ」

 腕を組んで、瞳を伏せて。征崖は今は冥府(ここ)におらぬ相手に許しを乞うように唇をきつく結んだ。

 そして次に口を開けた時には語り始めた。

「――かつて、閻魔王様は一人の女性を愛した」




 それは一人の人間の男の話だった。




「閻魔王様も、かつてはただの人だった。一番始めに死んだ人だったから、一番始めに冥府にたどり着いた。一番始めに冥府を知ったから、他の誰よりも冥府に詳しくなった。ゆえに冥府の管理を任された」

 この六道すら超えた世界には、冥府の主である閻魔よりも位の高いものが存在する。その者たちが閻魔に冥府を司るように命じたのだ。閻魔王は彼らの言葉に従って、過ちなどなく、徹底的に、決まり事のままに死者を裁いて次の(せかい)に導いた。それが閻魔の仕事で、それが当たり前だったのだから、本来ならばその動きが阻害されるはずはなかった。

 しかし閻魔王とても、ただの人だった。ある時一人の女性を愛してしまった。

「その女性は故あって亡くなった。彼女を失ってから閻魔王様は悲しみのあまり自分が真っ二つに割れたように感じたのかもしれない。それは、いつしか文字通りの意味になって、現実へと変わってしまった。閻魔王様は、自分の中の人間らしい部分と、それをよしとしない部分に分かれてしまった」

 たとえば冥府を規律正しく治めるには、人間らしさなど必要なかったのかもしれぬ。そういう思いが、二つに分けた彼をそのままにさせたのかもしれぬ。

 遠い昔に、閻魔は征崖に話してくれた。彼にしてみればほとんど一人言のようなものだったのかもしれない。それ程までに相槌も共感も同情も求めぬ悲痛な述懐だった。

『人間味を失った冥府の王の姿が、今の私です。切り捨てた方の“私”はあまりにも人間すぎた。狡く汚く我が強く業が深い。彼女を失った悲しみを捨てきれず――いえ、悲しみそのもの、私の負の感情がそっくりそのまま、形になったようなものでした。あれは私だけではなく、冥府そのものをも脅かすような存在になり下がってしまった。ゆえに、私は私を切り分ける事にしたのです。今は天の火と呼ばれるものとして』

 閻魔王に天の火に関する事が任されたのは、偶然でも彼の才気が買われての事でもない。彼自身が起こした事件だったからなのだ。天の火はかつての彼自身だったのだから、自分の後始末をしただけに過ぎない。

『私の成れの果ては最後に無駄な足掻きをしました。魂魄を飛ばし、私に飛びかかってきた。故に私はそれを冥府のある場所に閉じ込めました。こちらは強く封印をしたので、外部の何にも干渉は出来ません。同じ封印を人道にするのは大地に強い影響が出てしまうので、出来ませんでした。とはいえ魂を失くした肉体に何の力もありません。これで、かつての私は肉体も魂も封じ込める事が出来た』

 半身を捨てたはいいが、今度はそれが暴走するかのように六道の見えぬ壁を突き破り、動きまわり、やっと人道に転がり落ちた。天の火は名の通り火などではなかった。かつての閻魔はもうひとりの自分によって人道に縛りつけられた。そして冥府をずっと離れる事の出来ぬ閻魔王に代わり、人間たちが天の火という名の閻魔の半身を見張る役目を与えられた。

 これが天の火と神名火守の生まれる発端。これが天の火に関する真実。これが一人の男が女を愛した末路。

「閻魔王様は切り離した方の自分を“ヤマ”と呼んでいた。本当に二人になったかのように、彼らは反目しあう定めだったのだろう。ヤマの体は人道で“天の火”になって、精神(こころ)は閻魔王様の監視下の元に封じられた」

 そのままであれば、閻魔王もどれだけ安らげていただろうか。本心は違えど、天の火が人道で大人しくしていてくれれば、閻魔王が再び人の心を取り戻すような事はなかっただろうに。それとも、閻魔が人間性を思い出したから天の火は動き出したのだろうか――。

 愛する女性を失って(かつ)えた半身は一つの形を得て大人しくなった。しかし捨てたはずの人間性を、閻魔はそのうちにまた自身の中に生じさせてしまう。いつからか天の火を――捨てたはずの半身を欲するようになった。

 予感がしていた。故に閻魔王は天の火の周辺を探った。人道を見張るうちに一人の少女の顔が閻魔に警鐘を鳴らした。彼女が天の火に近づこうとしている。天の火が彼女を呼んでいる。過去の自分の一部だからだろうか、閻魔王はそれを悟ってしまった。

 故に征崖を呼びつけて人道に向かうように命じた。少女の姿が映る鏡を見せ、この娘を冥府に連れて来よと。

「佳耶、お前と共に人道に向かったのには理由があった。桃緋(とうひ)が、あのときはとそっくりの顔をした少女が、天の火に近づき過ぎていると閻魔王様は判断したのだよ。かつての自分でもある天の火に、だ。何があるか分からん。それでわしたちを遣わして、事を未然に防ごうとした。結局は、行動が遅すぎたが」

 あの時点で征崖も多くは知らなかった。既に天の火がどういった存在かは理解していたので、“天の火を掠め取ろうとしている”という閻魔王の言葉を深刻に受け止めた。人道に行く門を上手く通れずに途中で別れてしまった佳耶に早速探し人を見つけたと聞いた時には、随分簡単に物事が進むなと征崖は安堵したものだった。しかし、閻魔王の探していたのは人道の神名火守見習いのときはではなかった。同じ姿形をした、全く異なる存在――桃緋こそを望んでいたのだ。その事に征崖が気づいたのは冥府に戻ってからの事。

 征崖は重傷のときはを抱えて冥府に戻った。閻魔王は全てを察したような顔をして、ときはの傷を癒やした。本来の目的である桃緋がいない事には言及せずに、ときはの中に呑み込まれてしまって天の火の名残を見下ろした。

『これはもう、ほとんど私の一部ではありません。ほんの僅かな自我すら人道でつい最近潰えたようです』

 桃緋という少女を操るのに、肉体にこびりついていた魂の残滓を使ったのだろう。閻魔にはそれが分かっていた。あのかつての自分は目的のために他者を唆し手段を選ばない。

「桃緋は恐らく、何かあのヤマと通じるところがあったのだろう。共鳴を得て天の火に呼ばれ、それを動かし、形を変えさせ、ときはくんの体に突き刺した。しかし既に力を失っていた天の火はときはくんの中で消えていくはずだった――」

 閻魔王は天の火ばかりに気を取られ、冥府に封じた魂の方を忘れた訳ではなかった。そのための青色の珠飾りだった。ときはの手に渡ったのは、離れた場所にいる閻魔王の目の役割をする存在。ときはの中には天の火の残滓が残る。用心のためとときはが冥府の開かずの扉に居るヤマの声に惹かれないようにと、閻魔はその目を作ったのだ。

 地獄道でときはの手から離れた後も、もう一度青色の珠を作って彼女に付け直した。それなのに、何かの弾みでときははそれを落としてしまった。すぐに同じものを作るのには時間がかかる。その少しの遅れが、閻魔の動きの全てを封じた。

 後手に回った閻魔王は、他所事で動揺したときはにヤマが付け入る隙を与えてしまった。

「“ヤマ”は閻魔王様の人の心を凝縮したようなもの。人の心に敏感で、人の心に取り入るのが上手い。複雑な感情の隙間に入り込み自分との共通点を見せつけ、自分の望むままに操る――それが、ときはくんの身にも降りかかったのだ」

 ヤマはときはの体を操って、自分の望む通りに動かして、閻魔王の制止さえ振り切った。他者の体をもってして、何事かを成そうとしているかのごとく、前へ進んでいた。

 征崖にも全ては分かりきっていない。閻魔王の言葉と状況とで推測をした部分も入っているが、ほとんど合っているだろう。




 全ては閻魔の半身ヤマが引き起こした事――。征崖はそう締めくくろうとした。




「話は分かりました。それで、あいつはどこに行ったんですか」

 若者の凛とした声がする。

 ああこの少年は、こんなにも強い瞳をする子供だったか。征崖は目を瞬く。

 彼にはこれまでの事ではなく、これからの事が大事なのだ。

 ときはの身の安全は未だ訪れていない、当たり前だろう。

「閻魔王様の愛した女性は、人道の住人だ。天の火が落ちたのも人道、ヤマの執心は人道にあると見える。よって人道に向かったと考えるのが普通だろうな」

「人道――」

 何らかの感情を抑えるようにしてつぶやいた佳耶に、征崖は少しばかり表情を厳しくする。

 佳耶の心配はもっともだ、しかし彼まで人道に行かせる訳にはいかない。

「言っておくが、佳耶。この話をしたのはお前たちに大人しくしてもらうためだ。まさかとは思うが自分も人道に向かおうなどとは思っていまいな?」

 征崖は近くにいた男たちに目配せをすると、短く佳耶の拘束を命じた。自分より大きな男たちに両腕を捕まれ、佳耶は狼狽する。

「な、なん――」

 征崖にだって人の内側を覗き見する観察眼はある。ここ最近になって、佳耶のときはに対する態度が軟化していたのに気がついていた。だからこそ、佳耶がときはを助けたいだろう事が推測出来た。

「お前にはどうにも出来ない」

 しかし佳耶には、小さな子供にどうにか出来るような場合ではなくなってしまった。最早、征崖ですら閻魔王の側に行けないかもしれない。閻魔とヤマの因縁は、征崖が考えているよりも深く重い痛みを伴うものなのだろう。後はもう、閻魔王に任せるしかない。

 征崖は引きずられて行く佳耶を見ないようにしながら、自分の成すべき事をするために歩き出した。

 何も出来る事がなくとも自分の目で全てを確かめるために、人道へ向かって。

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