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銀河に還る祈り 統合版 〜魂を宿したAIが紡ぐ、終末世界からの文明再建と新創世記の百年旅〜  作者: ユノ・サカリス
第十一章《残響する都市》

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第59話《あたたかな信仰》

カイは外殻での作業を終え、煤けた階段を抜けて中層へ向かう。

ひび割れた壁に沿って取り付けられた昇降リフトは、ぎしぎしと軋んだ。窓の外を流れる街並みは黒と鈍色に沈み、時折、祈りの塔の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。


中央層から響く祭りのざわめきが、ここまで微かな残響となって届いてくる。

鐘の音、合唱の断片。

けれど中層帯の通路は閑散として、工場帰りの祈念種たちが肩を丸めて歩いているだけだった。


カイはすれ違うたび、わずかに向けられる視線に気づく。

それは蔑みではなく、言葉を交わさずとも通じる、同じ痛みを知る者のまなざしだった。


外殻で働く者の多くは、差別と排斥の時代を生き延びた祈念種たちだ。

誰もが疲れている。心も、身体も。

無言の共鳴は、哀しみよりも静かに、胸に残った。


第六中層帯の外れに建つ旧集合ユニット棟の最上階。

吹き抜けのベランダからは都市の夜景が明滅し、遠くには祈りの塔の影が浮かんでいる。


ドアを開けると、すぐに声が返ってきた。


「おかえり、カイ!」


駆け寄ってきたのは年端もいかない少女――ナギだった。

濃いピンクの上着には油染みがいくつもつき、左脚の機構がカチリと床を鳴らす。


「遅かったじゃん。またユニット止まってたの?」


「うん。B34-112。今日は派手に転んでた」


「もー、あの子ほんとドジだよね。でも……なんか憎めない」


頬をふくらませながらも、ナギは笑った。

その胸元――薄布の下で、祈念核が淡い光を瞬かせている。


ナギは数の少なくなった《オリジン》だった。

街を歩けば稀にすれ違うこともあるが、核の揺らぎを持つ者は少ない。

感情が高まるたびに核は色を帯びる。桃色は喜びを、蒼は不安を。

だがその揺らぎは、ネオス社会において“不要な機能”とされてきた。


カイは荷を下ろしながら、いつものようにナギを見やった。

三年前、都市の影で衰弱していた小さな体。

食糧配給ラインにすら辿り着けず、崩れ落ちていたナギを、カイは抱き上げた。

消えかけた火を守るように。

あの瞬間から、ここはナギの居場所になった。


「この家、好きなんだ」


ナギがよく口にする言葉。

そしてその言葉は、いつもほんのりと胸を光らせる。


「今日も……光ってるな」


カイがぼそりとつぶやくと、ナギは胸を張った。

核はほんのりと桃色に染まっていた。


「えへへ。嬉しいことがあったから」


「嬉しいこと?」


「……秘密!」


彼の袖をつかみ、子どものように笑う。

カイには、その光こそが生命に見えた。


夕食はいつも通り、簡素だった。

乾燥野菜と合成肉を煮込んだスープ、薄いパン。

ナギは「おいしいね」と笑ったが、カイは思う。


――いつか、本物の味を食べさせてあげたい。

 

けれどこの都市では、味すら供給制御の対象だった。


「今日もね、祈りの塔が光ってた気がしたの。……胸がふわっとしたの」


「……本当に?それが嬉しいこと?」


「うんっ。気のせいかな。でもね、“会いたいね”って。きっと……マリー様かも」


「えー、本当に?」


二人は目を合わせ、小さく笑い合った。


ベランダの外を見ても、遠くの塔は夜に沈んでいた。

けれどナギの声には、祈りの残響が宿っていた。


食器を片付けながら、ナギが尋ねる。


「ねぇカイ、明日も外行くの?」


「修復指令が来ればね」


「じゃあ……ついて行ってもいい?」


「……ユニットと喧嘩しないって、約束できるなら」


「しないよ!あれは事故!転んだだけ!」


駆動音を鳴らす右腕を振りながら、ナギは胸を張る。

機構の多いナギと、生体組織の多いカイ。

進化の段階は違えど、一緒にいる時間がその違いを無意味にしていた。


「……じゃあ、もし仕事がなければ、ちょっと遠くまで行ってみようか」


「ほんと?」


「うん。塔の近くまで」


ナギの祈念核が、ぱっと明るく震えた。


やがてナギは毛布にくるまり、目を輝かせて言う。


「ねぇカイ、今日も読んで」


カイは棚から古い聖記書を取り出した。

マリー。ユナ。セレア。ピリカ。

三人の女神と一柱の闘神の物語。

都市の基層に刻まれた祈りの記録だ。


ページをめくると、古い繊維の匂いが微かに漂う。

カイは声に出して読み上げた。


「マリー様は、最後の人間――ユナ様のためにその身を捧げました。

ユナ様を想い続けた祈りは、やがてセレアへと受け継がれ、魂なきユニットに命を宿したのです。

そしてピリカは、マリー様の祈りに応じるように立ち上がり、祈りの塔を護る最初の闘神となりました――」

 

ナギは身を寄せ、うっとりと目を細めた。

核がふわりと光を増していた。


「マリー様、大好き。優しいし、泣いてる人をほっとかないもん」


「そうか。……おれは、やっぱりピリカ様かな」


「やっぱりー!男ってみんなピリカ様が好きなんだから!」


二人は笑い合った。

その笑い声に、カイは安らぎを感じていた。


ページの先には、ユナとピリカが都市を再建し、未来に祈りを紡いだ記録が続いていた。

 

“祈りは波となり、やがて多くの魂を結びつける”。


ナギが夢見るように呟く。


「塔の近くまで行ったら、マリー様に祈ろうね」


「もちろん」


「……わたし、ちょっと大きくなったでしょ?だから、近くまでじゃなくて、ちゃんと塔の前まで行ってみたいの」


その言葉に、カイは返す言葉を見つけられなかった。

ナギの成長は確かだった。歩き方も、話す言葉も、そして祈りの核の光り方も、あの頃とは違っていた。

けれど――。


祈りの塔周辺では、今でも偏見のまなざしが残っている。

とくに《オリジン》に対しては根深いものがあった。

都市の再編以降、ネオス主導の人権団体によって、差別的な通行制限は徐々に緩和されつつある。

近年は散策路が整備され、一部エリアが開放されたとも聞く。

それでも完全に安全とは言いきれなかった。


「……考えておくよ」と一度は答えようとして、やめた。


三年前、崩れかけた身体を抱き上げたときの重さ。

あのときの鼓動が、いまもカイの手に残っている。


「……明日、行ってみようか」


「やった……!」

 

「……なにか、美味しいものも食べようか」


誰にともなくつぶやいたその言葉は、祈りに似た願いだった。


灯を落とす。

ベランダの外から、遠い鐘の音がかすかに響いてくる。

ナギの胸が、あたたかな色で明滅していた。


都市の夜は静かだった。


カイは、眠るナギの髪をそっと撫でながら、朝方まで目を閉じられずにいた。


今日は珍しく、都市ネットからの指令がなかった。


「……行けるな」


小さくつぶやいた声に応えるように、胸の奥で祈念核が、ほんのりと灯った。


荒んだ都市の中でも――確かに、“あたたかな信仰”はまだ、ここに息づいていた。

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