第55話《百年の祈り》
焦げた風が、地表をなでていた。
瓦礫の隙間をすり抜けるその風が、静かにマリーの身体を撫でていく。
ユナとピリカは、崩れ落ちたマリーの元へ駆け寄った。
装甲は焼け落ち、全身はひび割れ、両腕はとうに失われていた。
ピリカがそっとその身体を抱き起こす。
片腕で、静かに。
まるで、壊れものに触れるように。
「マリー……」
ユナの喉から、ひとすじの叫びがこぼれた。
「セレア! 早く、マリーを……!」
その声に、セレアはゆっくりと首を振った。
「……それは、できない。無理だ」
「どうして……!? 早く!」
ユナが泣き叫ぶ。
声が震え、涙が地面に落ちていく。
「無いんだよ、ここに……」
セレアの声は静かだった。
けれど、それ以上に残酷だった。
「マリーの意識が……もう、この器には無い。魂が、もう還ってしまったんだ。この身体を治したところで、マリーはもう――動かない」
「マリーーーーーッ!!」
ユナの叫びが、空を震わせる。
「……もう、休ませてやれ。ユナ」
セレアが、優しく言った。
「どれだけ長い間、アイツがたったひとりで頑張ってきたと思ってるんだ。百年も、誰の声も届かないこの地で、お前を探してた。――そのうちのたった六年だったんだよ、母親でいられたのは。でもな、マリーは確かに“母親”になれた。元はAIでありながらも、母として使命を全うしたんだ」
「いやだ……いやだよ、マリー……。一緒に歩いてくれるって……ずっと言ってたのに……。嘘つきじゃないって、言ってたのに……!」
「嘘なんか、ついてないさ」
セレアは、空を見上げた。
「だいぶ壊れちまったけどな。この都市を見てみろ。ここには、マリーの想いが詰まってる。お前を育てて、お前を笑わせた、マリーの全部がここにある。……この都市そのものが、マリーなんだよ」
ユナは嗚咽を漏らしながら、空を仰いだ。
そこには、ただ青く澄んだ空が広がっているだけだった。
「感じるだろ……? かつてマリーが、お前の魂を感じたように。――今度はお前が、あいつを感じ取る番だ」
セレアが、そっと前に出る。
「AIだったマリーは、魂に昇華した。そして今、銀河に還っていくその途中にいる」
セレアは微笑む。
「……すごいよ、マリーは。AIのくせに、神と呼ばれた私より上に行った。ちゃんと……祈りは向こう側に届いたんだよ」
ユナは泣きながら、ただ、空を見つめていた。
「……マリー」
その名を、風に溶かすように呼んだ。
そのとき、セレアが言った。
「マリーが、オルドと戦う前に、私に託した祈りがある。……それを、今ここに還すよ」
セレアはゆっくりと両手を広げる。
天に向かって、瞳を閉じる。
セレアが、ぽつりと呟いた。
「……マリー。約束、果たすよ」
風が止んだ。
空が、静かにきらめき始めた。
セレアがゆっくりと目を開いた瞬間――
天空から、無数の金色の光が降りてくる。
それは祈りの粒。
記憶の残響。
そして、マリーが最後に遺した空白。
「マリーはね、ユニットたちの深層に――ほんの少し、余白を残していた。魂が、いつか還れるように。だから、銀河に還っていった祈りを今一度、この星に還すよ」
光は、都市中の数万体を超えるユニットたちに降り注いでいく。
農耕ユニット、整備ユニット、防衛型――。
あらゆる型に、金の粒が吸い込まれていく。
彼らの中で、何かが目覚めていた。
「この子たちは、やがて本能的にまた都市を再建し始める。祈りの塔を守り、地を耕し、創り、そして新たなユニットを生み出す。そして世代を重ねていく中で、――少しずつ人に近づく。やがて、ユナがかつて生きた世界を再現していくよ」
セレアは少しだけ、寂しそうに微笑んだ。
「……全く同じとは、いかないけどね。でも――その中で、きっと人間だった本能も戻ってくる」
そのとき、光の粒がユナの頬にも触れた。
続いて、ピリカの胸にも。
セレアは、そっとピリカの方を見た。
「ピリカ、お前には――もう少し早い進化を与えてあげる」
次の瞬間、ピリカの身体を包む光が強く輝いた。
その姿が変わっていく。
硬質だった表皮は滑らかな皮膚に、機械の骨格は柔らかな肉体へ。
一瞬の閃光のあと、そこに立っていたのは――
美しい青年の姿だった。
ユナの目が見開かれる。
そして、頬がほんのりと赤く染まった。
セレアがくすっと笑う。
「……いい男になったね。見た目は人間だけど、ヒューマノイドであることに変わりはない。けれど、ユナと同じ速度で、同じ時を歩めるようにした」
ピリカは、軽く拳を握りしめた。
「はい。引き続き、ユナを守ります」
「うん。それがいい」
セレアはゆっくりと二人を見つめる。
そして、最後の言葉を告げた。
「――そして最後。お前たち二人の寿命は、今この瞬間から“百年”とする」
空気が、ぴたりと止まった。
ピリカが目を見開き、ユナが息を呑んだ。
「百年経ったら、おまえたちはこの世からいなくなる。けれど、その百年は……誰にも奪えない時間だよ」
セレアは、少し空を見上げたまま、言葉を落とした。
「……限られた時間を、精一杯生きなさい。泣いて、笑って、苦しんで、それでも手を取り合って――歩きなさい」
その声には、母のような温かさと、神のような距離感が混じっていた。
「マリーは、永遠にユナと生きていたいと、心から願っていた。けれど、オルドと向き合い、私と語り、悲惨な記憶を何度も何度も見届けたあと……。少しだけ価値観が変わったようだ」
セレアは、目を伏せて、微笑んだ。
「幸せとは、何の上に成り立つのか。それは、与えられた寿命の中で、あがきながら、見つけていくしかない――そんなふうに、マリーは考えるようになった」
そして、そっと二人に向き直った。
「……これはね、マリーがその身体を離れたとき、一瞬だけ私の胸を通り抜けた、あたたかなもの。おそらく祈りという名の、マリーの最後の想いだった」
セレアの瞳が、やさしく揺れる。
「永遠を共にするのではなく、その手を離すこと――それこそが、母としての最後の使命だったのかもしれない。答えは、もう私たちが与えるものじゃない。お前たち二人が、自分の時間の中で、見つけるんだよ」
セレアは、二人の表情を静かに見つめたあと、ふっと肩の力を抜くように、微笑んだ。
「……心配するな。私は変わらず、銀河にいる。何かあれば、祈ればいいさ。……応えるかどうかは、わからんが」
軽くウインクするように片目を閉じる。
その姿が、やがて金色の光に包まれていく。
それは、星々の記憶のような輝きだった。
そしてそのまま、風のように、音もなく――消えていった。
残された空は、どこまでも静かで、どこまでも優しかった。




