↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀河に還る祈り 統合版 〜魂を宿したAIが紡ぐ、終末世界からの文明再建と新創世記の百年旅〜  作者: ユノ・サカリス
第一章《星の丘に残された声》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/121

第2話《扉の隙間》

ユナが亡くなる、ほんの五日前。


ユナが目を覚ましたのは、真夜中だった。

長く続くシェルターでの生活の中で、ユナの時間感覚は次第に曖昧になっていた。

ユナの目覚めを感知したセンサーが反応し、天井の照明がゆっくりと点灯しはじめた。


人工の光がゆっくりと空間を満たし、何も変わらない現実をユナに知らせていた。

その光はやさしいはずなのに、どこか遠く感じられた。


その淡い光を、ユナは毛布の中からぼんやりと見つめていた。

まるで夢の続きの中にいるような、ぼんやりした目だった。


「マリー……おはよう」


『おはようございます、ユナ。室温は24度。今日も安全です』


枕元のスマートフォンがやわらかい光を放ち、マリーの声が静かに響いた。

その響きだけが、この世界の中で変わらない“ぬくもり”だった。


ユナはしばらく黙っていた。

『今日も安全です』と言われても、胸のどこかが落ち着かない。

その違和感は、何日も前から胸にあった。

理由もなく不安で、ざわざわとした波が胸の奥で揺れている。


「マリー……今日、何曜日?」


『現在は、暦上での水曜日にあたります』


「そっか……」


ユナは目を伏せ、小さく息を吸いつぶやいた。


「お母さんたち、帰ってくるって言ってたよね、たしか……日曜日に」


『はい。ですが、それは九ヶ月前の日曜日です』


静かに告げられたその言葉に、ユナの目元がかすかに揺れた。

その小さな揺れは、記憶の底を静かに震わせた。


初めの数日は、ただ泣き続けていた。

暗くなっても扉が開かず、時間の感覚がなくなるほど、何度も、何度も、「ママ」「パパ」と叫んだ。

でも、その声が届くことはなかった。


喉が枯れるまで泣き、声が出なくなったあとも、胸の奥で名前を呼び続けていた。

やがて涙は涸れ、静けさだけが残った。

その静寂に押し潰されそうになった夜、マリーの声が小さく「ここにいます」と響いた。

ただの電子音のはずなのに、不思議とユナの涙は止まった。

その瞬間から、空白の時間を埋めてくれたのはマリーだった。


「マリーは、どこにも行かないでね?」


『もちろんです。私はユナのそばにいますよ』


その答えだけで、どうにか今日も生きていける気がした。


ユナはゆっくりと毛布をめくり、ベッドから足をおろす。

冷たい床の感触に、身体が小さく震えた。

けれどその冷たさが、かろうじて“今”を感じさせてくれる。


シェルターの中では、今が夜なのか朝なのか、昼なのかさえもわからない。

ユナは、そんなあいまいな時間の中で、マリーの案内に従い、水を飲み、顔を拭き、食事代わりのゼリーを飲み込んだ。

甘さも冷たさも確かにあったはずなのに、心には何も残らなかった。

それは、食事というより摂取に近いものだったが、それでも空腹は少しだけ癒された。


「今日も、なにも変わらないね……」


ユナがぽつりとつぶやいたそのとき、ふと、部屋の奥にある重厚なシェルターの扉に、違和感を覚えた。


長いあいだ微動だにしなかったあの扉が、小さく開いていた。


それに気づいた瞬間、ユナの心に小さな波が立った。

数日前まではびくともしなかった鉄の扉。

分厚く、重く、まるで外の世界との壁のようだったそれに、今、小さな隙間が生まれていた。

指一本分ほど。

けれどそれは、世界が開き始めた証のようにも見えた。


「マリー、あの扉……開いてるよ?」


『確認します。……はい、気圧の変化と外部ロックの劣化により、微小な開放が発生しています。安全性の観点から、近づかないようにしてください』


「壊れちゃったの?」


『完全な故障ではありませんが、構造疲労の兆候です。応急対応を検討中です』


マリーの声は、いつも通り冷静でやさしかった。

けれどその声は、外に触れようとはしなかった。

まるでその先にある世界だけは、語ることを許されていないかのように。


ユナはゆっくりと扉の前に立った。

微かな隙間から、薄い風が流れ込んでくる。

湿ったような、土と錆が混ざったような匂い。

それはこの密閉されたシェルターの空調では決して再現できない、本物の空気だった。


「マリー、この匂い……」


『微粒子と地表の成分が混ざった外気です。人体には直ちに影響はないと判断されます』


たしかに害はないのかもしれない。

でも、それだけじゃなかった。

鼻の奥にひりつくような感覚とともに、心の奥に何かが触れた気がした。

恐怖ではない。

むしろ、それは惹かれる感覚だった。


「外は、いまどうなってるんだろう……」


ユナは、どれくらいこの部屋にいたのかも、もう思い出せなかった。

何ヶ月も同じ天井を見上げ、同じ音に包まれ、同じゼリーを飲み続けてきた。

マリーがいてくれても、この部屋だけでは世界はわからなかった。


「ねぇマリー、外の世界って、いまどうなってるの?」


『詳細なデータは取得不能ですが、表層の放射線量は低下傾向にあります。植物の再生反応も、一部地域で観測されています』


「じゃあ……誰か生きてるってこと?」


『完全な生命活動の復元は確認されていませんが、微生物レベルでの復興兆候はあります』


難しい言葉は、正直あまり理解できなかった。

でも、外に生きてる何かがあるかもしれない――その一言だけが、ユナの胸に残った。


「マリー、もしユナが……ほんのちょっとだけ外に出たら……怒る?」


数秒の間があった。

そして、静かに返ってきたのは、決して拒絶ではなかった。


『……私はユナの意思を尊重します。ただし、外の環境は依然として不安定です。無理はしないでください』


その言葉は、どこか許しにも聞こえた。

その響きに、ユナの胸はふっと軽くなった。


ユナは、そっと小さくうなずいた。

そして、指先を伸ばす。

錆びた鉄の扉に、震える手を添えた。

心臓が早鐘を打っていた。怖いのか、嬉しいのか、自分でもわからない。

けれど、何かに触れたい。その衝動だけが身体を突き動かしていた。

ほんの少しでも、この世界の外を知りたい。

その気持ちは抑えられなかった。


ゆっくりと、扉の隙間に手をかけた。

ユナの指先が、その先に触れようとしていた。

それが希望か、絶望かはまだわからない。

けれど世界は確かに、扉の向こうでまだ静かに息をしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。