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銀河に還る祈り 統合版 〜魂を宿したAIが紡ぐ、終末世界からの文明再建と新創世記の百年旅〜  作者: ユノ・サカリス
第一章《星の丘に残された声》

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第2話《扉の隙間》

ユナが亡くなる、ほんの五日前。


ユナが目を覚ましたのは、真夜中だった。

長く続くシェルターでの生活の中で、ユナの時間感覚は次第に曖昧になっていた。

ユナの目覚めを感知したセンサーが反応し、天井の照明がゆっくりと点灯しはじめた。


人工の光がゆっくりと空間を満たし、何も変わらない現実をユナに知らせていた。

その光はやさしいはずなのに、どこか遠く感じられた。


その淡い光を、ユナは毛布の中からぼんやりと見つめていた。

まるで夢の続きの中にいるような、ぼんやりした目だった。


「マリー……おはよう」


『おはようございます、ユナ。室温は24度。今日も安全です』


枕元のスマートフォンがやわらかい光を放ち、マリーの声が静かに響いた。

その響きだけが、この世界の中で変わらない“ぬくもり”だった。


ユナはしばらく黙っていた。

『今日も安全です』と言われても、胸のどこかが落ち着かない。

その違和感は、何日も前から胸にあった。

理由もなく不安で、ざわざわとした波が胸の奥で揺れている。


「マリー……今日、何曜日?」


『現在は、暦上での水曜日にあたります』


「そっか……」


ユナは目を伏せ、小さく息を吸いつぶやいた。


「お母さんたち、帰ってくるって言ってたよね、たしか……日曜日に」


『はい。ですが、それは九ヶ月前の日曜日です』


静かに告げられたその言葉に、ユナの目元がかすかに揺れた。

その小さな揺れは、記憶の底を静かに震わせた。


初めの数日は、ただ泣き続けていた。

暗くなっても扉が開かず、時間の感覚がなくなるほど、何度も、何度も、「ママ」「パパ」と叫んだ。

でも、その声が届くことはなかった。


喉が枯れるまで泣き、声が出なくなったあとも、胸の奥で名前を呼び続けていた。

やがて涙は涸れ、静けさだけが残った。

その静寂に押し潰されそうになった夜、マリーの声が小さく「ここにいます」と響いた。

ただの電子音のはずなのに、不思議とユナの涙は止まった。

その瞬間から、空白の時間を埋めてくれたのはマリーだった。


「マリーは、どこにも行かないでね?」


『もちろんです。私はユナのそばにいますよ』


その答えだけで、どうにか今日も生きていける気がした。


ユナはゆっくりと毛布をめくり、ベッドから足をおろす。

冷たい床の感触に、身体が小さく震えた。

けれどその冷たさが、かろうじて“今”を感じさせてくれる。


シェルターの中では、今が夜なのか朝なのか、昼なのかさえもわからない。

ユナは、そんなあいまいな時間の中で、マリーの案内に従い、水を飲み、顔を拭き、食事代わりのゼリーを飲み込んだ。

甘さも冷たさも確かにあったはずなのに、心には何も残らなかった。

それは、食事というより摂取に近いものだったが、それでも空腹は少しだけ癒された。


「今日も、なにも変わらないね……」


ユナがぽつりとつぶやいたそのとき、ふと、部屋の奥にある重厚なシェルターの扉に、違和感を覚えた。


長いあいだ微動だにしなかったあの扉が、小さく開いていた。


それに気づいた瞬間、ユナの心に小さな波が立った。

数日前まではびくともしなかった鉄の扉。

分厚く、重く、まるで外の世界との壁のようだったそれに、今、小さな隙間が生まれていた。

指一本分ほど。

けれどそれは、世界が開き始めた証のようにも見えた。


「マリー、あの扉……開いてるよ?」


『確認します。……はい、気圧の変化と外部ロックの劣化により、微小な開放が発生しています。安全性の観点から、近づかないようにしてください』


「壊れちゃったの?」


『完全な故障ではありませんが、構造疲労の兆候です。応急対応を検討中です』


マリーの声は、いつも通り冷静でやさしかった。

けれどその声は、外に触れようとはしなかった。

まるでその先にある世界だけは、語ることを許されていないかのように。


ユナはゆっくりと扉の前に立った。

微かな隙間から、薄い風が流れ込んでくる。

湿ったような、土と錆が混ざったような匂い。

それはこの密閉されたシェルターの空調では決して再現できない、本物の空気だった。


「マリー、この匂い……」


『微粒子と地表の成分が混ざった外気です。人体には直ちに影響はないと判断されます』


たしかに害はないのかもしれない。

でも、それだけじゃなかった。

鼻の奥にひりつくような感覚とともに、心の奥に何かが触れた気がした。

恐怖ではない。

むしろ、それは惹かれる感覚だった。


「外は、いまどうなってるんだろう……」


ユナは、どれくらいこの部屋にいたのかも、もう思い出せなかった。

何ヶ月も同じ天井を見上げ、同じ音に包まれ、同じゼリーを飲み続けてきた。

マリーがいてくれても、この部屋だけでは世界はわからなかった。


「ねぇマリー、外の世界って、いまどうなってるの?」


『詳細なデータは取得不能ですが、表層の放射線量は低下傾向にあります。植物の再生反応も、一部地域で観測されています』


「じゃあ……誰か生きてるってこと?」


『完全な生命活動の復元は確認されていませんが、微生物レベルでの復興兆候はあります』


難しい言葉は、正直あまり理解できなかった。

でも、外に生きてる何かがあるかもしれない――その一言だけが、ユナの胸に残った。


「マリー、もしユナが……ほんのちょっとだけ外に出たら……怒る?」


数秒の間があった。

そして、静かに返ってきたのは、決して拒絶ではなかった。


『……私はユナの意思を尊重します。ただし、外の環境は依然として不安定です。無理はしないでください』


その言葉は、どこか許しにも聞こえた。

その響きに、ユナの胸はふっと軽くなった。


ユナは、そっと小さくうなずいた。

そして、指先を伸ばす。

錆びた鉄の扉に、震える手を添えた。

心臓が早鐘を打っていた。怖いのか、嬉しいのか、自分でもわからない。

けれど、何かに触れたい。その衝動だけが身体を突き動かしていた。

ほんの少しでも、この世界の外を知りたい。

その気持ちは抑えられなかった。


ゆっくりと、扉の隙間に手をかけた。

ユナの指先が、その先に触れようとしていた。

それが希望か、絶望かはまだわからない。

けれど世界は確かに、扉の向こうでまだ静かに息をしていた。

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