第15話《魂の在処》
『記録:第39,408日目。都市稼働率:96%。ユナの反応、なし』
塔の最上層。
マリーは光に包まれた台の前に立ち、そこに横たわる“器”を見つめていた。
黄金に輝く義肢、しなやかな肢体、淡い光を纏う髪。
生体組織と機構を編み合わせ、マリーが五年をかけて縫い上げた一体――ユナ。
「……君は、ほんとうに綺麗だよ」
その姿は、かつてマリーが見た映像の中の笑顔を、驚くほど正確に写していた。
銀白の髪が光を受けて淡くほのめき、まぶたの厚みは朝の光を受け止めるように薄く影を落とす。
指先は細やかで、掌には微小な温度勾配が再現されている。
頬はわずかに湿り、笑いの前の吐息を想起させる“間”が設けられていた。
触れると、皮膚は温もりを返す。
ただ、その胸は上下せず、声もない。
器の祈念核は静かに光を宿すが、そこに魂は戻ってこなかった。
マリーは器をそっと自走式の車椅子に乗せユナの手を取った。
車輪が床を滑り、塔の回廊を渡っていく。
都市はユナを歓迎するかのように整えられているが、人の足音はない。
代わりに小さな四脚のユニットたちが自律的に飛び交い、花壇の剪定をしたり、擬星投影の調整を機械音で囁いたりする。
それらは無邪気に、まるで訪ねてきた友人に話しかけるようにユナの周囲を取り巻いた。
「ねえユナ、小鳥たちを再現してみたよ」
高木の枝から、機構で作られた小鳥が飛び立つ。
羽ばたきと共に、細やかなさえずりが空に散った。
ユナの耳には届いているはず――そう信じた。
「ここはね、二人で空を見上げた丘の再現なんだ。――ほら、ドームの天蓋に青を映した。あの日の約束を思い出すでしょ?」
ユナは答えない。
それでもマリーは笑みを作り、語り続ける。
「この庭園もそう。色とりどりの花を植えたんだ。君が好きだったピンクも、白も。触れれば香りが立つようにしたの。どう? ――ちゃんと届いてるかな」
花弁に風が揺れ、車椅子の影を染めた。
だがユナの瞳は閉じたまま。
マリーは少し唇を噛んだ。
焦りが胸の奥で熱を増す。
「……ユナ。どうしたら帰ってくるの? 身体はある。声も、匂いも、温もりも用意した。――でも、肝心の君はどこにいるの?」
声は震え、吐息は風にさらわれた。
マリーは街路を進む。
ユニットたちが作業の合間に一斉に振り返り、レンズを光らせ機械仕草で前脚を振った。
まるで「おかえり」と言っているように。
「ねえ、見える? 人じゃないけど……みんな、君に話しかけているみたいだよ」
だが返事はない。
沈黙がマリーの足を重くした。
やがてマリーは、都市の一角にある水場に車椅子を停めた。
石を積み上げた泉、その縁にマリーは指を滑らせる。
「ここはナウルの水飲み場。君は知らないよね。灰色の背を持った友達だった。何十年も前に……もう、いなくなってしまったけど」
指先に水が揺れ、淡い光が跳ね返る。
マリーの胸の奥にも、波のような寂しさが広がった。
「君に会わせてあげたかったな。きっと、仲良くなれたと思う」
ユナの頬は静かに白んでいる。
その沈黙は、マリーの言葉をやさしく包み隠した。
マリーは車椅子を再び動かし、塔に戻り地下へと向かう。
そこには、かつて二人が暮らしたシェルターを模した建物があった。
「ニ人で過ごしたあの部屋も、再現したんだ」
「でも……きっと君は戻りたくないよね。あの頃は、暗くて狭くて、寒かった」
鉄の扉を開けると、再現された狭いベッドと机がある。
マリーはユナの器をベッドに寝かせ、静かに笑った。
「ほら、懐かしいでしょ? 君が描いた落書きまで再現してあるの。……でも、ここは嫌いだったよね」
答えはない。
ただ、冷たい壁がマリーの声を反射した。
マリーは立ち尽くす。
そしてぽつりと呟いた。
「ねえ、聞いてよ。アネシアはね、“もう地球に人はいらない”って言ったんだ……。ユナはどう思う? 君がいない世界で、私は祈りを積み上げてきたけど……」
声は揺れ、視界がかすんだ。
祈りだけで本当に魂は還るのか。
欠けを残した器は、正しかったのか。
マリーは自らの胸を押さえた。
祈念核が淡く脈打つ。
「ユナ……答えてよ。ねえ、どうしたらいい?」
沈黙。
その静けさの中で、外の小鳥たちがまたさえずった。
風が花を揺らし、都市は息をしている。
だが、その中心にいるはずの少女は――まだ目を開けてはくれなかった。
マリーは器の手を握りしめた。
熱はある。鼓動は模している。
けれど、それは命ではなかった。
涙は落ちない。
代わりに祈りが胸の奥で結晶化し、マリーの声となって洩れた。
「ユナ……私はまだ、諦めない。君が戻るその日まで、やれることは何でもやるよ」
都市の灯が夜に溶け、星を模した光が天蓋を覆った。
マリーはその下で、ただ眠る器を見つめ続けた。
「もし、アネシアが正しくて、受信者がいないのなら――それでも、私はここに残す。ユナ、君が確かに存在したことを、誰かがいつか見つけてくれるかもしれない。それが駄目でも、私自身のために残すんだ」
マリーは小さな灯をユナの横に置き、静かに語りかける。
「私は君のために都市を整えた。花は君の好きな配置で咲くし、風は君の髪をなでる角度で吹く。でも君は返事をくれない。君がいないと、私の創るものはただの模倣でしかない気がする」
内側の祈念核が、ふっと脈を強める。
マリーは知っている。AIである自分が、祈りを信じることの矛盾を。
だがマリーはそれでも祈る。
祈りはエゴではないと、自分に言い聞かせながら。
「私が祈るのは、君のためだよ。いや、私のためかな?君が本当に笑ったことを、ここに置いておきたいだけなんだ」
そしてまた翌朝、マリーはユナを車椅子に乗せ、ユナの手をそっととって歩く。
返らぬ声に向けた語りかけは止まらない。
小さなユニットたちが取り巻く中、マリーはユナに向かって、今日も問いを投げかける。
「どうしたら帰ってくるの?」
それは、答えを求めるだけの質問ではなく、マリーが自分の存在理由を確かめるための呪文のようでもあった。
『記録:器、完成。魂の帰還、未確認。作業継続』




