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第3話 初めての魔物観察は、だいたい失敗する

 目を覚ますと、知らない葉が視界いっぱいに広がっていた。


 見たことのない形の葉だった。地球の広葉樹に似ているが、葉脈が青白く光っている。夜明け前の薄暗い森の中で、その葉脈だけが淡く発光していた。


 光合成だけでは説明できない。少なくとも、地球の植物とは違う。魔力を吸収しているのか。あるいは魔力を放出しているのか。葉の表面から、かすかに魔力の流れを感じる。


 面白い。非常に面白い。


「……痛い」


 面白いが、それ以前に全身が痛かった。


 俺は仰向けのまま、自分の状態を確認する。右手。火傷。指は動く。ただし痛い。右袖はほぼ焼けて消えている。左腕。打撲。肋骨。たぶん折れてはいない。背中。かなり痛い。脚。動く。頭。出血はなさそうだが、軽い眩暈がある。


 総合評価。生存。ただし、かなりひどい。


 俺はゆっくり上体を起こした。森の中だった。高い木々。湿った土。朝霧。遠くから聞こえる鳥のような鳴き声。ただし、それが本当に鳥なのかは分からない。この世界の生物分類を知らない以上、見た目だけで判断するのは危険だ。


 空を見上げる。木々の隙間から、二つの月が薄く見えた。一つは白。一つは青。昨夜も見たが、やはり二つある。


 天体運動を調べたい。潮汐力はどうなっているのか。暦は二つの月を基準にしているのか。魔力層と月の位置には相関があるのか。調べたいことが多すぎる。


 だが、まずは現在地。そして水と食料。知的好奇心は重要だが、飢えて死ねば研究もできない。


 俺は立ち上がろうとして、膝から崩れた。


「……なるほど」


 身体能力が低い。予想以上に低い。この肉体は転生直後だから弱っているのか、それとも俺自身の魂情報が反映されているのか。どちらにせよ、戦闘向きではない。


 今のところ、俺の能力を仮に数値化するならこうだ。分析力。かなり高い。観察力。高い。魔力感知。高い可能性。魔力制御。壊滅的。身体能力。低い。戦闘経験。皆無。


 結論。この森で魔物に遭遇したら死ぬ。


 できれば遭遇したくない。だが、そう考えた直後だった。


 茂みの向こうで、何かが動いた。


 がさり。


 音は小さい。しかし、明らかに風ではない。俺は息を殺す。


 茂みの奥から、丸い影が現れた。兎、に見えた。大きさは中型犬ほど。灰色の毛。赤い目。額から短い角が一本生えている。


 角兎。そう呼ぶのが適切だろうか。


 こちらにはまだ気づいていない。角兎は地面の苔を食べている。苔も淡く光っていた。魔力を含む植物。それを食べる草食魔物。角には魔力が集中している。角の根元から体内へ魔力が流れているのが分かる。おそらく、角は攻撃器官であると同時に魔力感知器官でもある。


 素晴らしい。最初に出会った異世界生物として申し分ない。


 俺はゆっくり身を低くし、観察を続けた。角兎は周囲を警戒しながら苔を食べている。耳が大きい。音に敏感。後ろ脚が発達している。跳躍力が高そうだ。角の長さは約十五センチ。先端が鋭い。突進された場合、腹部に刺さる可能性あり。


 危険。だが、距離を取れば観察できる。


 俺はさらに一歩、身を乗り出した。


 その瞬間、小枝を踏んだ。


 ぱきり。


 角兎の耳が跳ねた。赤い目がこちらを向く。


「あ」


 次の瞬間、角兎が消えた。いや、消えたのではない。跳んだ。


 速い。想定以上に速い。


 俺はとっさに横へ転がった。直後、角兎の角が、さっきまで俺の腹があった場所を突き抜けた。土が弾ける。角が地面に刺さる。


「危な……」


 言い終わる前に、角兎は地面を蹴って再びこちらへ跳んできた。


 速い。無理。避けきれない。


 俺は左腕で身体を庇う。衝撃。角が腕をかすめ、皮膚が裂けた。痛みが走る。血が出る。


 なるほど。


 初めての魔物観察。失敗。


 俺は後ろへ転がりながら、必死に距離を取った。


「待ってください。こちらに敵意はありません」


 角兎は止まらなかった。当然だ。言葉が通じるとは限らない。いや、通じたとしても、いきなり茂みから覗いてきた怪しい人間の言葉など信じるわけがない。


 俺は右手をかざした。火魔法。いや、危険だ。森の中で火はまずい。制御率が低い。また暴発すれば森林火災になる。


 なら風。圧力差で押し返す。やり方は分からないが、魔力を前方へ流し、空気を圧縮すればいい。


 俺は魔力を集める。大気中の魔力。手前に圧縮。前方へ解放。


「っ」


 小さな突風が起きた。角兎の体勢が少し崩れる。成功。完全ではないが、押し返した。ただし、俺も反動で尻もちをついた。出力方向が不安定。自分にも衝撃が返っている。


 魔法は難しい。


 角兎が再び跳ぶ。


 まずい。今度は避けられない。


 そう思った瞬間、横から黒い影が飛んだ。短い剣が閃く。角兎の身体が空中で弾かれ、地面へ落ちた。角兎は一度痙攣し、そのまま動かなくなる。


 何が起きたのか理解するまで、数秒かかった。剣で斬られたのだ。


「おい、生きてるか?」


 声がした。


 振り向くと、そこに男が立っていた。年齢は三十前後。革鎧。腰に短剣。背中に弓。いかにも冒険者、という外見だった。髪は茶色。無精髭。鋭い目。だが、敵意はない。


 男は俺の姿を上から下まで見て、顔をしかめた。


「なんだお前。森で寝てたのか?」


「正確には、上空から落下して気絶していました」


「は?」


「王城の召喚魔法陣を逆流させた結果、座標指定に失敗して森の上空へ転移しました」


「…………」


 男はしばらく無言で俺を見た。そして短く言った。


「頭も打ったか」


「可能性はあります」


「そういう意味じゃねえ」


 男はため息をつき、角兎の死体を拾い上げた。


「角兎に殺されかけるとか、よっぽどだぞ。あいつは初心者向けの魔物だ」


「初心者向け」


「駆け出し冒険者が最初に狩るやつだ」


「なるほど」


 俺は角兎を見る。初心者向け。つまり、この世界の戦闘基準では低位の魔物。それに俺は殺されかけた。非常に有益な情報だ。


「俺の戦闘能力は、駆け出し冒険者未満ということですね」


「自分で言って悲しくならねえのか?」


「事実なので」


「変なやつだな」


 男は角兎の角を持ち、慣れた手つきで血を払った。俺は思わず身を乗り出す。


「解剖してもいいですか」


「は?」


「角の根元に魔力が集中していました。おそらく魔力感知器官か、突進時の強化器官だと思います。内部構造を確認したいです」


「お前、殺されかけた相手をすぐ解剖したがるのか」


「はい」


「即答するな」


 男は頭をかいた。


「まあ、角兎の素材なら角と肉くらいだ。内臓は普通捨てる。好きにしろ」


「ありがとうございます」


 俺は立ち上がろうとしたが、またふらついた。男が腕を掴む。


「おいおい、本当に大丈夫かよ。怪我だらけじゃねえか」


「右手は火傷。左腕は裂傷。全身打撲。軽度の魔力疲労もあるかもしれません」


「自分の状態説明がやけに冷静だな」


「観察対象には自分も含まれます」


「本当に変なやつだ」


 男は腰の袋から小瓶を取り出した。赤みがかった液体が入っている。


「ほら、飲め。安物のポーションだが、ないよりましだ」


「ポーション」


 俺は小瓶を受け取った。中の液体を見る。わずかに魔力を含んでいる。薬草成分だけではない。液体内に微細な術式のような流れがある。


 これは面白い。


「これ、成分分析してもいいですか」


「飲め」


「少量だけ残して――」


「飲め。死にたいのか」


 正論だった。


 俺は瓶の中身を飲んだ。味は苦い。非常に苦い。だが、飲んだ直後、右手の痛みがわずかに和らいだ。左腕の血も少し止まる。


 完全治癒ではない。細胞修復の促進。出血抑制。魔力補填。なるほど。治癒魔法を液体化したものに近い。ポーションとは薬品であると同時に、液体魔道具なのかもしれない。


「すごいですね」


「安物だぞ」


「安物でこれなら、上位品はかなり興味深いです」


「普通は助かったことに感謝する場面だ」


「感謝しています。ありがとうございます」


「軽いな」


 男は苦笑した。


「俺はガルド。冒険者だ。近くの街、ルーベルから薬草採取に来てた」


「神崎悠真です」


「カンザキ?」


「姓が神崎、名が悠真です」


「変わった名前だな。東方系か?」


「異世界系です」


「頭を打ったんだな」


「いえ、本当に異世界から来ました」


「分かった分かった」


 信じていない。当然だろう。王城で言えば大問題になるが、森で怪我だらけの男が言えばただの妄言だ。むしろその方が都合がいい。


 俺は周囲を見渡した。


「街が近いのですか」


「ああ。歩いて半日ってところだ」


「街には、魔法書や冒険者ギルドはありますか」


「ギルドはある。魔法書は……まあ、安い入門書くらいなら市場にあるかもな」


「行きたいです」


「その格好で?」


 ガルドが俺を見た。焼けた服。裂けた袖。泥だらけの身体。火傷。血。確かに、街へ行くにはひどい状態だ。


「問題がありますか」


「ありまくりだ。衛兵に止められるぞ」


「では、どうすれば?」


「まず歩けるようになれ。それから水場で泥を落とす。あと服だな。俺の予備の外套を貸してやる」


「助かります」


「その代わり、角兎の素材はもらうぞ」


「内臓と角の一部を観察できれば構いません」


「お前、本当に解剖する気なんだな」


「はい」


 ガルドは諦めたように肩をすくめた。


「街に着いたら冒険者登録でもしろ。身分証になる。金がないなら薬草採取から始めりゃいい」


「冒険者登録」


 なるほど。身分証。依頼。魔物素材。情報。自由行動。非常に都合が良い。王国管理下に置かれるより、冒険者の方が研究しやすい。


「冒険者は、魔物の死体を持ち帰っても問題ありませんか」


「依頼と場所によるが、基本は素材として買い取ってもらえる」


「解剖は?」


「自分で狩ったなら勝手にしろ」


「素晴らしい制度ですね」


「そこに食いつくやつは初めて見た」


 俺はガルドに肩を貸されながら、ゆっくり歩き出した。


 森の中は、歩くだけでも情報が多い。光る苔。青い葉脈の木。小さな羽虫。地球の鳥に似た鳴き声。足元を流れる魔力。大気中の密度の変化。


 場所によって魔力が濃い。水場に近いほど薄く、苔の群生地ほど濃い。植物が魔力を吸収し、蓄積している。それを草食魔物が食べる。魔力は食物連鎖にも関係しているのかもしれない。


 考えていると、足が止まった。


「おい、どうした」


「あの苔を少し採取してもいいですか」


「薬草じゃねえぞ。ただの魔光苔だ」


「魔光苔」


「夜に光るだけの苔だ。安い」


「光る理由は分かっていますか」


「知らん。光るから魔光苔だろ」


「雑ですね」


「名前なんてそんなもんだ」


 俺はしゃがみ、苔を少し採取した。魔力を含む。発光。温度上昇はない。生物発光に似ているが、魔力反応がある。光魔法の天然サンプルになるかもしれない。


「街で瓶を買えますか」


「買えるだろうが、何に使う」


「サンプル保存です」


「お前、冒険者より学者になった方がいいんじゃねえか?」


「学者になるには身分が必要ですか」


「場所による。王都の魔導院なら推薦状や金がいるな」


「面倒ですね」


「冒険者も面倒だぞ」


「死体を持ち帰れるなら十分です」


「基準がおかしい」


 そんな会話をしながら、俺たちは森を進んだ。


 しばらくして、小さな水場に着いた。湧き水らしい。透明な水が岩の隙間から流れている。ガルドは周囲を確認し、顎で水場を示した。


「ここで泥を落とせ。俺は見張ってる」


「水は飲めますか」


「普通は飲める。ただ、森の水は魔力が濃い場所もある。腹を壊すことがあるから少しずつにしろ」


「魔力濃度で腹を壊す」


 新情報。


 俺は水を手ですくい、匂いを確認した。無臭。透明。だが魔力は含む。大気中よりも薄いが、地球の水にはなかった感覚だ。


 少量だけ飲む。冷たい。美味い。体内に魔力が流れるような感覚がある。水にも魔力が溶けている。なら、この世界の生物は常に魔力を摂取しているのかもしれない。体内魔力とは、外界から取り込んだ魔力の蓄積と変換なのか。


「……面白い」


「水飲んで面白がるやつ初めて見たぞ」


「この世界の水には魔力が含まれています」


「そりゃそうだろ。普通だ」


「普通という言葉は、非常に危険ですね」


「何がだよ」


「そこにある異常を見逃します」


 ガルドは困ったように笑った。


「やっぱ学者向きだな」


 泥を落とし、外套を借り、傷を布で巻いた。見た目は少しマシになった。少なくとも、王城から逃げてきた危険人物には見えないだろう。たぶん。


 水場を出て少し歩いた頃、ガルドが急に足を止めた。表情が変わる。先ほどまでの気楽さが消えた。


「静かにしろ」


 俺は息を止める。


 ガルドは腰の剣に手をかけ、茂みの向こうを見た。耳を澄ます。声が聞こえた。人の声に近い。だが、言語としては未発達。短い音。濁った発声。複数。


 ガルドが小声で言う。


「ゴブリンだ」


 ゴブリン。来た。異世界定番の低級魔物。だが、実物を見るのは初めてだ。


 俺は茂みの隙間からそっと覗いた。小柄な緑色の人型生物が三体いた。身長は一メートル程度。痩せた手足。大きな耳。尖った鼻。手には粗末な棍棒。腰には獣皮らしきもの。


 完全な野生動物ではない。道具を使っている。一体が周囲を見張り、二体が地面を掘っている。役割分担。社会性あり。発声による簡易コミュニケーション。知能は低いかもしれないが、完全な獣ではない。


「……面白い」


「言うと思ったよ」


 ガルドが小声で呟いた。


「三体なら俺一人でやれる。お前は下がってろ」


「少しだけ観察を」


「駄目だ」


「役割分担があります。見張り個体と採取個体に分かれている。あの行動は食料採取でしょうか。それとも何かを掘り出して――」


「黙れ。気づかれる」


 その瞬間、見張りのゴブリンがこちらを向いた。


 俺と目が合った。


 なぜだ。声は小さかったはず。いや、違う。風向き。匂い。あるいは魔力感知。


 ゴブリンが叫ぶ。


「ギャッ! ギャギャ!」


 二体のゴブリンが振り向いた。ガルドが舌打ちする。


「だから言ったろ!」


「すみません。観察対象の感知能力を過小評価しました」


「反省の方向が違う!」


 ゴブリンたちが棍棒を構えて突進してくる。速さは角兎ほどではない。だが、三体。武器あり。連携あり。俺一人なら死ぬ。


 ガルドが前に出る。一体目の棍棒を剣で弾き、膝蹴りで崩す。二体目が横から回り込む。ガルドは短剣を抜いて牽制。三体目が俺に向かってくる。


 なるほど。弱い個体を狙う判断。知能がある。


 逃げるべきだ。だが、近い。


 俺は右手を出しかけて、火魔法を思い出す。駄目。森。制御不能。


 なら風。さっきより小さく。圧力差。押し返すだけ。


 魔力を集める。少量。少量。少量のつもりだった。


 突風が発生した。だが方向がズレた。ゴブリンではなく、俺の足元の落ち葉が爆発的に舞い上がる。視界が茶色に染まった。


「うわっ」


 俺は自分で起こした風に足を取られ、後ろへ倒れた。ゴブリンも驚いたのか、一瞬止まる。その隙にガルドが横から飛び込み、ゴブリンを斬った。


 残る二体も、数秒で倒される。戦闘は短かった。


 ガルドは息を整えながら、こちらを見た。


「お前……」


「はい」


「魔法使えんのか使えねえのか、どっちなんだ」


「現時点では、使えますが使い物になりません」


「一番迷惑なやつだな」


「同意します」


 ガルドは呆れた顔をした。


 俺は倒れたゴブリンを見る。緑色の皮膚。血は赤黒い。体内魔力は弱いが、胸部から頭部にかけて小さな魔力反応がある。魔石だろうか。位置は脳幹付近。角兎とは違う。人型魔物は中枢神経に近い場所に魔石があるのか。


 俺は無意識に近づいていた。


「解剖しても?」


「やっぱり言ったな」


「魔石の位置を確認したいです」


「街に着いてからにしろ。ここで血の匂いを撒くと、別の魔物が来る」


「なるほど。生態系上の危険ですね」


「普通に危ねえって言えばいい」


「はい」


 ガルドは手早くゴブリンの耳を切り取った。俺は少し眉をひそめる。


「それは?」


「討伐証明だ。ギルドに持っていく」


「耳が証明になるのですか」


「ああ。ゴブリンは魔石が小さくて安いからな。耳の方が手っ取り早い」


「魔石は?」


「欲しいなら後で取ればいい。ただし慣れてないと臭いぞ」


「問題ありません」


「あると思うぞ」


 ガルドは手早く処理を終えると、俺に向き直った。


「いいか、ユーマ」


「はい」


「この世界じゃ、知りたいだけじゃ生き残れねえ」


 その言葉は、妙に重かった。


 俺は黙ってガルドを見る。


「魔物は待ってくれない。知識があっても、身体が動かなきゃ死ぬ。魔法が分かっても、制御できなきゃ自分が吹っ飛ぶ。観察してる間に殴られたら終わりだ」


「実感しました」


「本当か?」


「角兎に殺されかけ、ゴブリンにも狙われました。少なくとも今の俺は、この世界の最低ランクの魔物にも単独では対応できません」


「分かってるならいい」


「つまり、研究を続けるには戦闘訓練と魔力制御訓練が必須です」


「そういうことだ」


「冒険者になる理由ができました」


 ガルドは少しだけ笑った。


「普通は金とか名誉とか自由が理由なんだがな」


「俺の場合は、研究継続のための生存手段です」


「まあ、それも冒険者らしいっちゃらしいか」


 俺は倒れたゴブリンたちを見た。さっきまで動いていた生物。道具を使い、役割を分け、こちらを弱者と判断して攻撃してきた魔物。


 単なる敵ではない。だが、危険な存在でもある。


 理解したい。だが、理解する前に殺されては意味がない。この世界では、知識だけでは足りない。観察するためには、生き残る力が必要だ。


 その事実を、俺はようやく少し理解した。


「ガルドさん」


「あ?」


「街に着いたら、冒険者登録の方法を教えてください」


「いいぜ。その代わり、受付でいきなり魔物を解剖したいとか言うなよ」


「善処します」


「絶対言うやつだな」


 森の向こうから、朝日が差し始めた。二つの月が薄れていく。代わりに、金色の光が木々の葉を照らす。葉脈の青い光が、朝日に溶けるように消えていく。


 俺はその光景を見ながら、小さく息を吸った。


 この世界は美しい。そして危険だ。分からないことだらけで、殺されかけることもある。


 それでも、やはり思う。


 面白い。


 こんなにも面白い世界を、知らずに終わるわけにはいかない。


 ――研究記録 No.002


 対象:低位魔物および森の魔力環境


 観察結果:角兎は額の角に魔力反応あり。突進時、角周辺の魔力密度が上昇。ゴブリンは道具使用、役割分担、簡易言語らしき発声を確認。魔物は単なる獣ではなく、魔力環境に適応した生物群と考えるべき。


 仮説:魔石は魔物の魔力層接続器官であり、種によって位置と機能が異なる。


 結論:魔物討伐は戦闘である前に、生態系調査である。


 追記:観察中に対象へ近づきすぎると死ぬ。今後は距離を取る。できれば、盾になる人材も必要。


 森を抜けた先に、街道があった。踏み固められた土の道。車輪の跡。人の足跡。馬らしき蹄の跡。文明の痕跡。


 その向こう、朝霧の中に、石壁に囲まれた街が見えた。


「あれがルーベルだ」


 ガルドが言った。


「辺境の小さな街だが、ギルドも市場もある。駆け出しが始めるには悪くねえ」


「素晴らしいです」


「まだ何も見てねえだろ」


「未知の街ですから」


「本当に何でも面白がるな、お前」


 俺は街を見た。王城ではない。王族もいない。勇者としての使命もない。ここからなら、自由に始められるかもしれない。


 魔法を学び。魔物を調べ。素材を集め。金を稼ぎ。魔道具を作り。この世界の構造へ少しずつ近づく。


 そのための第一歩。


 冒険者登録。


 俺は痛む身体を引きずりながら、街道を歩き出した。


 世界の外側へ至る道は、まだ遥か遠い。だが、その最初の一歩が、まさかゴブリンの耳と角兎の内臓から始まるとは思わなかった。


 悪くない。むしろ、とても良い。


 知るべきことは、いつだって足元に転がっている。

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