第11話 王都は、危険人物の足取りを追う
ルミナス王国王都。白い石壁に囲まれた巨大な城の一角で、一人の宮廷魔導士が頭を抱えていた。名前はレグナ・フォルマー。王国魔導院召喚儀式部門の責任者であり、今回の勇者召喚儀式を主導した男である。年齢は六十を越え、白髪混じりの髭と深い皺を持つ、長年王国魔法研究の中心にいた人物。その彼が今、机の上に積まれた報告書を前に顔色を悪くしていた。
「……あり得ん」
彼は何度目か分からない言葉を呟く。机の上には、破損した術式板の写し、召喚陣の魔力残滓記録、現場魔導士たちの証言、兵士の報告書が並び、その全てが一つの異常を示していた。
召喚された異世界人。黒髪、黒目。名はカンザキ・ユーマ。彼は召喚直後に勇者任命を拒否し、王命にも従わず、魔法陣に興味を示して構造に疑問を呈した。そして火属性魔法を初見で無詠唱発動。その後暴発し、さらに王国管理下に置こうとした直後、召喚陣に干渉。残存魔力を逆流させ、空間歪曲を引き起こして逃亡した。すべて、召喚から一時間以内の出来事である。
「あり得ん」
レグナは再び呟く。魔法を知らない異世界人が初見で火魔法を発動するだけでも異常だ。しかも無詠唱、術式補助なし。それ以上に問題なのは召喚陣への干渉だった。勇者召喚陣は王国と聖教国が数百年かけて整備してきた秘術であり、王国最高機密。宮廷魔導士でも全体構造を理解している者は少ない。それを召喚直後の異世界人が見ただけで流れを読み、逆流点を突いた。あり得ない。あり得てはならない。もし偶然でないなら、彼は王国魔導院の誰よりも深く術式構造を直感的に読んだことになる。
「レグナ卿」
扉が開き、若い魔導士が入ってきた。「召喚陣の修復班より報告です。中心部の魂固定術式にわずかな歪みが残っています」
「修復は可能か」
「可能です。ただし完全な再起動には時間がかかります」
「どれくらいだ」
「最低でも三か月は」
レグナは目を閉じた。三か月。勇者候補は逃亡、召喚陣は破損、再召喚不可。魔王領との緊張が高まる中、致命的な失態である。
「それともう一つ。召喚陣の外周回路に奇妙な魔力残滓がありました」
差し出された紙を見て、レグナは眉をひそめる。「これは……」
「通常の逆流ではありません。彼は召喚陣を破壊したのではなく、一部の流路だけを意図的に乱したようです」
「意図的に?」
「結果として陣全体の崩壊は避けられています」
レグナの目が鋭くなる。「どういう意味だ」
「無差別干渉なら広間ごと吹き飛んでいた可能性があります。しかし実際には空間転移に関わる部分だけが乱れ、魂固定と肉体安定化の基幹術式は残っています」
「つまり壊す場所を選んだと?」
「そう見えます」
部屋が静まり返る。偶然ではない。完全理解でもないかもしれないが、少なくとも彼は魔力の流れを見て危険な場所と使える場所を直感的に分けた。恐ろしい才能。いや、それだけで片づけていいのか。
レグナは彼の言葉を思い出す。「火属性というより、魔力から熱エネルギーへの変換ですね」。属性を熱エネルギー変換と呼んだ。王国魔導士たちは怒ったが、レグナは動揺していた。古い魔導理論にも似た記述があるからだ。「属性とは、現象を理解できぬ時代の名残である」。神代魔法、古代アストラ文明、失われた現象魔法体系。その断片に残る思想を、あの異世界人は初見で口にした。
「……何者なのだ、あの若者は」
その時、扉が開き、銀の鎧の騎士が現れた。近衛騎士団副団長クラウス・ヴァイン。「レグナ卿。陛下がお呼びです」
会議室には国王アルベルト・ルミナスと重臣たちが集まっていた。軍務卿、宰相、聖教国の神官、近衛騎士団長。空気は重い。
「召喚陣の状態は」
「修復に最低三か月を要します」
ざわめきが広がる。「三か月だと!?」軍務卿が机を叩く。「その間、勇者召喚は使えぬのか!」
「左様です」
「魔王領との国境では魔物が活発化しているのだぞ!」
「承知しております」
「カンザキ・ユーマの所在は」
「各街道、関所、ギルドへ通達済みです。黒髪黒目の若い男、魔法制御不安定。王国管理対象として報告を求めています」
「捕縛せよ。従うならよし、拒むなら監視下に置く」
神官が口を開く。「勇者召喚は神の意志。拒むべきものではありません」
レグナは内心で眉をひそめる。あの若者はその言葉を受け入れないだろう。「なぜですか」と問うはずだ。
宰相が言う。「問題は扱いです。まだ民に知られていないのは幸いですが、騒ぎを起こせば噂は広がる」
「彼の性質は?」
レグナは答える。「敵意は感じませんでした。破壊者ではない。ただ、異常な知的好奇心を持っています」
「知的好奇心?」
「勇者、魔王、王命よりも魔法現象に興味を示しました」
「不敬だ」
「ですが危険性はそこにあります。彼は支配でも名誉でも動かない。ただ知りたいがために動く」
神官が言う。「それが最も危険な場合もある」
「同感です」
沈黙の後、クラウスが言う。「見つけ次第拘束します」
「殺すな。抵抗するなら手足を潰してでも連れてこい」
レグナは胸が重くなる。追い詰めれば何が起きるか分からない。
「捕縛部隊には冷静な魔導士を同行させてください。彼は相手の常識を刺激します」
会議は続き、王都は一人の異世界人を中心に動き始めた。
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その頃、ユーマはルーベルの図書館にいた。小さな石造りの建物。紙と木の匂い。本棚と静けさ。受付の司書エレナに案内され、彼は魔物図鑑や地理書、生活魔法の本を手に取る。
図鑑は外見や討伐情報中心で、魔石や内部構造の記述は少ない。地理書から王都との距離を測り、追跡リスクを考える。生活魔法の本では「浄化」という言葉に複数の現象が含まれていることに気づく。用途分類と現象分類の違い。彼は夢中でメモを取る。
気づけば昼。解体場へ向かう途中、視線を感じる。旅人風の男がこちらを見ていたが、すぐに人混みに消えた。
「……追手の可能性」
低いがゼロではない。王都の通達、昨日の火事、噂の拡散。目立たない方針はすでに崩れつつある。必要なのは逃走経路か、あるいは信用の確保か。
ギルドでミラに報告すると、彼女は真剣な顔になる。「王都から追加通達です。発見時は報告、抵抗時は拘束」
「俺は該当していますね」
「自分で言わないでください」
ミラは悩みながら言う。「信用を積み上げてください。依頼をこなし、問題を起こさず、人を助ける。それが研究を続ける条件です」
ユーマは頷く。「信用を研究資源として扱います」
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研究記録 No.09
対象:図書館および社会的信用
観察結果:図書館には一般向け資料が多く、魔物の内部構造や魔力流路の情報は乏しい。生活魔法は用途分類中心。
仮説:魔法体系は用途分類と属性分類が混在している。現象分類による再整理が必要。
結論:図書館は重要な情報拠点。研究継続には社会的信用が不可欠。
追記:王都から通達。私は該当している。目立たない努力が必要だが、すでに遅い可能性あり。
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その夜、安宿に泊まる男がいた。昼間ユーマを見ていた人物である。彼は王都からの通達と、自分の調査結果を書きまとめる。
黒髪黒目の新人、ユーマ・カンザキ。Fランク冒険者。解体場勤務。魔道具屋ドルガンと接触。火災対応に関与。魔法理論に異常な関心。
「見つけた」
男は通信具を起動し、小さな鳥を夜空へ放つ。向かう先は王都。
ユーマの居場所は、もう隠れていなかった。
その頃本人は、何も知らずに文字の練習を続けていた。




