繋がる甘い香り11
すると突然沖田さんが静かに立ち上がった。
差し出された手に、自分のそれを重ねる。
「部屋、戻ろっか」
「はい」
襖を引くと、背中に手を添えて先に部屋に入れてくれた。そんな小さな優しさが、今の私にはたまらなく嬉しい。
部屋に入ると、ほとんど真っ暗だった。それでも体は覚えているもので、感覚だけで自分の布団がある場所へ行き、いつもの場所にそれを敷いた。
「もう寝るの?」
「沖田さんは、寝ないんですか?」
布団を持つ手が止まる。
「僕はもう少し、君と話がしたいと思ったんだけど」
「え、私もです」
部屋に戻ろうと言われたものだから、てっきりもう休むものだとばかり思っていた。だから、その一言でだらしなく顔が緩む。
「そっち行ってもいい? それとも、君がこっちに来る?」
「それじゃあ、私が沖田さんの方に行きます」
今にも消えそうなほどの月明かりを頼りに、沖田さんにぶつからないようほとんど四つん這いになって進む。
不意に、いつもと違う感覚に足を止めた。
「沖田さん?」
いるはずのそこに姿はなく、気配すらないような気がした。
「沖田さんどこにいるんですか? もう、からかわないで下さい」
すると突然手首を掴まれるものだから、小さな悲鳴が出てしまった。
「ごめんごめん」
謝るけれど、その声は笑っている。
「意地悪しないで下さいよ」
「だって君、面白いから」
反論せずに黙っていると、「ごめん」、突然声色が変わった。
暗闇に目が慣れると、目の前に沖田さんの姿があるのが分かる。
「サヨにもらった匂袋、持ってたら嫌だよね?」
唐突に懐から取り出した。
確かに気分の良いものではないけれど、素直に嫌だとも言えなかった。
「あ、あの、実は……」
答えるより先に立ち上がった。
当分は開ける事がないと思っていたバッグの中から、手探りで私が買った匂袋を取り出す。そしてそれを、おずおずと沖田さんの前に差し出した。
手に取りそれが何なのかを理解すると、驚いているようだった。
「どうしてサヨと同じ物を持ってるの?」
「それが、本当に偶然で、私も沖田さんにと思って買ってたんですけど、沖田さんに渡す前にサヨさんに頼まれて、それで渡せなくて……」
そう言うと、私が渡した方の匂袋を懐に入れた。
「ありがと。でもどうしてこの香りにしたの?」
「沖田さん、甘い物が好きって言ってたから、この香りが似合うんじゃないかなと思ったんです」
「嬉しいよ」
その声だけで、笑顔な事が分かる。
「そう言えばさ、前に左之助さんにもらったって言ってた匂袋、まだ持ってるの?」
「はい。持ってますよ」
「今度は僕が買ってあげる。他の男からもらった物を持ってられるのは、いくら相手が左之助さんでも嫌かな」
「はい、じゃあ、お言葉に甘えて」
「それから——素直にならせてくれてありがとう。素直じゃなかったのは僕の方だ。今思えば馬鹿みたいで、本当、子供より子供だよね」
「それは私も同じです。意地なのかなんなのかよく分からない感情に左右されて、本当はどうしたいのかを見失っていました」
言えた途端、胸がすっとした。やっと気持ちが通じ合えたと思った。
すると、体を前に屈め、私の顔を覗き込んできた。
「きっとこれから、君の事めちゃくちゃ好きになると思う」
恥ずかしいのに、心が満たされる。
私の頬に手を添えると、親指で優しく唇をくすぐられ、音になって吐息が漏れた。
「厭らし……」
自分がそうしているのに、その行為を鼻で笑っている。
矛盾している。
抵抗をするという選択肢は、もちろんなかった。
柔々と唇の上で動く彼の指に、身体中が熱くなる。沖田さんは、こういう事をするのが好きなのだろうか。そもそも、恋人同士がするあれこれの正解がよく分からず、されるがままでいた。
「僕、君が思ってるよりもわがままだから」
そのままの意味なのか、何かを含んだ意味なのか、どちらとも捉えられるような言い方をした。
「好きになると、その人しか見えなくなるから」
嬉しいはずの言葉なのに、動揺してしまった。
「今、サヨの事考えたでしょ」
「え、っと……」
「僕の事、信用できないの?」
「そういう訳じゃ……」
言い終わるよりも先に唇が重なった。
「僕の、だから」
うまく答えられず、見えないと分かりつつも頷いた。
「楠くんに何回されたの?」
「えっと、前に話した、あの時に一度だけです」
「本当にそれが初めてだったの?」
「はい……」
「そっか」
低い声に、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「どうしようもない事だけど、正直悔しいよ」
「沖田さん……」
「こういう事って、もちろん回数なんかじゃないのは分かってるけど、今の僕にはそれくらいしか思い付かない」
「そんな、そう言ってもらえるだけで十分です」
「僕の前では強がらないでよ」
もちろん本心からで、強がった訳ではなかったけれど、沖田さんからすれば、それは建前のようなものに聞こえたのかもしれない。
「楠くんの事、僕に打ち明けてくれた日、君の本心が初めて見えた気がしたんだ。いつも明るくて、まじめで一生懸命で、それも本当の君なんだろうけど、あの涙を見た時、ああ、やっぱり女の子なんだって思ったら、抑えてた何かが溢れてきて、気付かないふりしてた感情を隠すのが難しくなってた。だから君も、僕の前でくらい、肩の力抜いてよ。そうしてくれると、僕が嬉しいから」
涙がこぼれた。こんなに優しい言葉は、他にはないと思った。
頬を伝う涙を、指で拭ってくれる。
「ごめん、泣かせるつもりはなかったんだ」
「いえ、嬉しくて……」
ゆっくりと唇が重なった。
「好きだよ」
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