第85話:蒸気と聖杯、そして鉄の牙
分厚い石積みの城壁を粉砕し、王城の庭園に強引に楔を打ち込んだ移動要塞『ガウェインの鉄靴』。
そのひしゃげた甲板の先端から、四つの影が次々と硝煙の舞う戦場へと飛び降りた。
ズシンッ! と、重々しい金属音が白亜の石畳を砕く。
着地の衝撃を殺すこともなく、アッシュは新しい真紅と漆黒の戦闘外套を翻し、身の丈ほどもある大剣を肩に担ぎ上げた。
その背後で、エレンが白銀の細剣を抜き放ち、ベリンダが巨大な漆黒の盾を構え、モルドレッドがギザギザの大剣を引きずりながら凶悪な笑みを浮かべる。ガレスもまた、純白の軽鎧を軋ませて双剣を八の字に構えた。
「エレン! 狂犬! ベリンダ! 左右から群がってくる死人どもを散らせ! ガレス、お前は王の間の入り口を死守しろ!」
「言われなくても分かってるわよ! ほら、行くわよあんたたち!」
「ギャハハハッ! 久しぶりの王都の空気だ、血の匂いで上書きしてやらァ!」
アッシュの号令一閃。
狂犬の咆哮と共に、モルドレッドが赤黒い血雷を迸らせながら、大通りから押し寄せる狂信者の群れへと単騎で突撃した。
彼の振り回す規格外の鉄塊が、痛覚を失って笑顔で這い寄ってくる教団兵たちを、纏めて紙屑のように両断していく。だが、首を飛ばされてもなお、彼らは呪詛によって動く肉人形としてモルドレッドの足首にすがりつこうとする。
「邪魔よッ!」
その死角を、ベリンダの分厚い大盾が容赦なく叩き潰した。
彼女は父譲りの『戦場の最も重い死線に立つ』という教えの通り、狂信者たちの最大の圧力がかかる位置へ自ら進み出て、鋼鉄の防波堤となる。
そして、盾によって生じたごくわずかな隙間を縫うように、エレンのレイピアとガレスの双剣が、神速の連携で教団兵たちの急所を次々と貫いていった。
かつては反発し合っていた彼らの動きに、迷いはない。死地を潜り抜けてきた歪で強固な絆が、王城の前庭という最悪の戦場で、一糸乱れぬ蹂躙の演舞を繰り広げていた。
「……アッシュ、殿」
血を吐き、片膝をついて荒い息を繰り返していたランスロットが、朦朧とする意識の中でその名を呼んだ。
視界の端で揺れる、煤に汚れた真紅の外套。
そこに立っていたのは、優雅な騎士道とは無縁の、油の焦げた匂いと重工業的な排気音を纏った一人の男。
「……後は休んでな、ランスロット。アンタが一人で死に物狂いで守り抜いたこの場所は、俺たちが確かに引き継ぐ」
アッシュは、背後に安置された最強の騎士に一瞥もくれず、前方――王都の空を覆い尽くすほどの黒い瘴気を噴き上げている、二体の異形を睨み据えた。
ガラハッドとパーシヴァル。かつて高潔を謳われた彼らの純白の鎧は、今はもう粘ついた呪詛のタールに覆い尽くされている。
アッシュは腰の背嚢から、大切に包まれていた純白の杯を取り出し、高らかに天へと掲げた。
「――出番だぜ、聖杯! この街にこびりついたドス黒いカビどもを、根こそぎ洗い流しやがれ!!」
アッシュの怒声に呼応するように、浄化の聖杯が仄かな白銀の輝きを放ち始める。
清らかな魔力の波動が広がり、周囲の狂信者たちの動きがほんの一瞬だけ鈍った。
だが。
『……無駄だ。そのような小さな灯火、深淵の底では瞬きにすら満たない』
ガラハッドの虚無の瞳が聖杯の光を捉えた瞬間、王都の地下全体に張り巡らされた呪回路が、不気味な脈動と共にさらなる瘴気を噴出させた。
空間を歪めるほどの凄まじい呪詛の圧力が、津波となってアッシュへと襲いかかる。
粘ついた闇が触手のように蠢き、聖杯の放つ輝きを四方から包囲し、その純白の光を力任せに押し潰そうと絡みついていく。
「……ッ! なんだこの重さは……!」
アッシュの腕の骨が、メキメキと悲鳴を上げた。
神聖な魔力だけでは、数百年にわたって地下で培養されてきた怨念の質量を突破できない。聖杯の放つ浄化の光は、分厚いオイルの海に沈められた小さな火種のように、ジリジリと萎み、今にも消え入ろうとしていた。
「ちッ……! 爺さん! 光が呪いに押し潰されて消えかかってるぞ、どうすりゃいい!」
アッシュが、後方の要塞の甲板で杖をついているマーリンへ怒鳴る。
「ホッホッホ。困ったのう。あの聖杯は清らかすぎて、淀みきった呪いの海に押し負けておるわい。……あれを完全に起動させるには、外側からもっと膨大で、強引なまでの『指向性』を持ったエネルギーが必要じゃな」
「指向性のあるエネルギー……!? そんなもん、どこに――」
そこまで言いかけて、アッシュは自分の右腕を見た。
肩から指先までを覆う、分厚く無骨な鉄の呪籠手。
そして、前腕部に内蔵された『黒陽シリンダー』。
それは、魔王軍の遺物を喰らい、熱に変換し、骨を軋ませてでも牙を研ぎ続ける、悪魔の排熱機構。
(……理屈で負けてんなら、力技だ。神聖な光だけで押し負けてんなら、俺の熱を直接叩き込んでやる)
アッシュは、震える左手で純白の聖杯を抱え込むと、自らの右腕――剥き出しになっている黒陽シリンダーの極厚の排熱弁を、聖杯の側面に直接押し当てた。
「おいアッシュ、何を……っ!?」
前衛で戦っていたエレンが、その異様な光景に気づいて悲鳴のような声を上げる。だが、アッシュは止まらない。
「ガラムの親父、聞いてんだろ! 要塞の炉心の出力を最大まで上げろ! シリンダーが溶けても構わねえ、全圧を俺の右腕に回せッ!!」
「おうよ! 腕が炭になっても知らねえぞ、小僧ォォッ!!」
要塞の機関室からの咆哮と共に、巨大な煙突から空を焼くほどの濃密な黒煙が噴き出した。
アッシュの右腕と要塞の機関部が魔力的に同調し、黒陽シリンダーが限界を超えた過回転を始める。
キィィィィィンという、鼓膜を千切るような金属の悲鳴。
装甲の隙間から、黄金の火の粉が狂ったように間欠泉のごとく噴き上がる。右腕の皮膚が焼け爛れ、肉が焦げるひどく熱い匂いが周囲に立ち込めた。
激痛が脳髄を焼き切るように警鐘を鳴らすが、アッシュは決してシリンダーを離そうとはしない。
「――奇跡なんて上等なもん、待っててやるほどお利口じゃねえんだよ!!」
アッシュは、血の混じった唾を吐き捨て、自らの命を削って生み出した全熱量を、力ずくで聖杯へと流し込んだ。
純白の神聖な光に、重油の匂いがする黄金の排熱が無理やり混ざり合う。
外部から強制的に注入された爆発的なボイラーのエネルギーによって、消えかけていた聖杯が、狂おしいほどの輝きを放ち始めた。
「喰らいやがれ……ッ!!」
純白の光に黄金の火の粉が混ざり合った、かつて誰も見たことのない異形の浄化光。
それはアッシュの右腕を起点として、重々しい爆発音と共に、絶対的な衝撃波となって王城の庭全体を飲み込んでいった。
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