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第3話:血と泥のロードワーク(実戦特訓)

村人たちの熱狂的な見送りの声が、荒野の風に溶けて完全に聞こえなくなった頃。


「ガハッ!?」


アッシュの背中に、容赦のない鉄張りのブーツがめり込んだ。

乾いた泥の地面に無様に転がったアッシュを、エレンが氷点下の見下すような視線で睨みつけている。


「……歩幅が狭い。ガウェイン様の歩みは、大地を踏みしめるように力強く、そして貴様の1.5倍は広い。それと、その大剣を引きずるな。重みに負けて背中が丸まっているぞ、泥人形」

「む、無理言うなよ……! これ、鉄塊そのものだぞ!? それに右腕が……ずっと火傷してるみたいに痛いんだ……ッ」


アッシュは涙目で抗議しながら、異形と化した右腕を抱え込んだ。

ガウェインの遺品である大剣だけでも常人の筋力では扱えない代物だが、何より彼を苦しめているのは『黒陽の呪籠手ガラティーン』だ。

力を解放していなくとも、籠手は常にアッシュの体温と魔力を微量に啜り続け、装甲の下の皮膚には黒いひび割れのような文様が侵食し始めている。常に鈍い激痛と、焦げ臭い匂いがつきまとっていた。


「痛い? 痛いだと?」


エレンは鼻で笑い、アッシュの胸倉を掴んで強引に引き起こした。

泥に汚れた彼女の顔が目前に迫る。その気高い瞳の奥には、狂気じみた忠誠心と、逃げ道を一切許さない凄絶な覚悟が燃えていた。


「偉大なるガウェイン様は、数多の戦場で内臓をこぼし、骨を砕かれながらも、決して『痛い』などと泣き言をこぼされなかった。貴様は今、人類の希望そのものを演じているんだ。痛みすらも、圧倒的な威厳でねじ伏せろ」

「無茶苦茶だろ、あんたらの英雄……ッ!」

「ええ、無茶苦茶よ。だから希望なの」


ドンッ、とアッシュを突き放すと、エレンは自身の細剣レイピアを抜いた。

荒涼とした赤茶けた荒野。風が変わり、鉄錆と、死肉が腐ったような酷い悪臭が漂ってくる。


「……おしゃべりは終わりだ。来るぞ、新米ルーキー


エレンの鋭い警告と同時。

乾いた大地を蹴り砕き、四つんばいの異形が三体、砂煙を上げて猛スピードで迫ってきた。魔王軍の残党、刃のように鋭い骨のたてがみを持つ『骸犬ボーンハウンド』の群れだ。


「ヒッ……!」

「籠手の力を引き出せ! 剣に熱を乗せろ!」


アッシュは恐怖で足がすくみながらも、右腕に意識を集中させた。

昨日のように、あの大火力を出せば一掃できる。そう直感し、強引に『ガラティーン』の弁を開けようとした、その瞬間。


「ガァァァァァァァァッ!!?」


敵の攻撃を受ける前に、アッシュ自身の口から絶叫が迸った。

制御を無視して魔力を引き出そうとした代償。右腕を覆う黒がねの装甲から黄金の炎が間欠泉のように噴き出し、アッシュの右半身を容赦なく焼き焦がし始めたのだ。

肉の焦げる嫌な匂い。激痛で視界が真っ白に明滅し、大剣が手から滑り落ちる。


『――グォォォォッ!!』


好機と見た骸犬の一体が、涎を撒き散らしながら、無防備なアッシュの喉笛へと飛びかかってきた。

終わった。痛みにのたうち回りながら、アッシュは死を覚悟した。


「――馬鹿野郎がッ!!」


その死線を、銀色の閃光が強引に割り込んだ。

エレンだ。彼女は自ら泥だらけの地面に滑り込み、アッシュの盾となるように骸犬のあぎとを細剣で受け止めた。

ギリギリと嫌な金属音が鳴り、エレンの華奢な腕が悲鳴を上げる。牙の先が彼女の肩の装甲を砕き、鮮血が舞った。


「エレン……ッ!?」

「ただ力を垂れ流すな! 命を無駄燃えさせるなッ! 痛みを、熱を、刃の『一点』だけに圧縮しろ! 私が死んだら、誰が貴様をガウェイン様に仕立て上げるんだッ!!」


血を吐くようなエレンの怒号。

自分を殺そうとした少女が、いま、自分を生かして「英雄」にするために命を張っている。その歪で、けれど痛いほど真っ直ぐな覚悟が、アッシュの脳髄を殴りつけた。


(……圧縮、する!)


アッシュは血まみれの歯を食いしばり、泥に沈んだ大剣の柄を左手ごと添えて握り直した。

全身を焼き尽くそうと暴走する黄金の炎。それを、痛みに耐えながら、無理やり右腕の血管から大剣の分厚い刀身へ、さらにその『刃の先端』へとねじ込んでいく。


「オォォォォォォォォォッ!!」


暴発しそうだった巨大な火柱が、一瞬にして収束した。

大剣の刃が、まるで溶鉱炉から引き出されたばかりの鉄のように、極限の熱量を帯びて白く、眩く発光する。


「そこだ、振れッ!!」


エレンが骸犬の攻撃をいなし、体勢を崩した一瞬の隙。

アッシュは渾身の力で、極大の熱量を圧縮した大剣を横薙ぎに振り抜いた。


――シュガァァァァァァァァンッ!!!


重い剣撃の音ではない。空間そのものが熱で焼き切れるような、甲高い断末魔。

白熱した刃が三体の骸犬の胴体をバターのように両断し、切断面から爆発的な熱量が浸透して、魔物の肉体を一瞬で灰へと変えた。


「ハァッ……! ハァッ……!!」


大剣を杖にして、アッシュは荒い息を吐いた。

右腕の過剰な炎は収まったが、皮膚は酷く爛れ、ひきつっている。それでも、先ほどのような「命が漏れ出すような暴走」は抑え込めていた。


「……チッ。大振りすぎる。歩幅もなってない」


ドサリと泥の上に座り込んだエレンが、肩から血を流しながら、忌々しそうに悪態をついた。

だが、その煤に汚れた顔には、ほんの僅かだけ、安堵の色が浮かんでいた。


「……だが、まあ。泥人形にしては、悪くない一撃だった」


彼女は泥だらけの手で、自身のマントの綺麗な端切れを破り取ると、アッシュの爛れた右腕に乱暴に巻き付けた。

痛みに顔をしかめるアッシュだったが、その手当てのどこか不器用な優しさに、思わず小さく吹き出してしまった。


「……なんだよ、その笑い。斬るぞ」

「いや。……鬼コーチにしごかれるのも、悪くないなって」


赤茶けた荒野。焦げ臭い風が吹き抜ける中。

血と泥にまみれた二人の嘘つきは、互いの痛みを分け合うように、小さく息をついた。

偽りの英雄と、彼を本物にするための狂信的な共犯者。

彼らの長く過酷な旅路は、まだ始まったばかりだった。

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