第92話:王の残光と、鋼の軋み
王都キャメロットの最深部。アーサー王が座す白亜の玉座の間へと続く長く広い回廊は、冷え切った静寂に包まれていた。
復興の活気に満ちた街の喧騒は、ここには一切届かない。
回廊の両脇に立ち並ぶ近衛騎士たちの視線は、凱旋パレードで歓声を上げていた民衆のそれとは全く違っていた。
彼らの目に宿っているのは、得体の知れない異物を警戒する冷ややかな光。
聖杯を破壊し、結果として王都を未曾有の混乱に陥れた不届き者。それが、誇り高き王室直属の騎士たちがアッシュに向ける評価だった。
先導するアグラヴェインの黒い軍服が、音もなく大理石の床を滑っていく。
その後ろを歩くアッシュは、新しい真紅と漆黒の外套の下で、右腕の黒陽シリンダーをギチギチと鳴らした。
息が詰まる。綺麗すぎる空気と、研ぎ澄まされた冷たい視線。
自分が身に纏う油と鉄錆の匂いが、この白亜の空間を汚しているのが肌でわかる。だが、アッシュは決してうつむくことはなく、分厚い鉄のブーツで大理石の床を重々しく踏み鳴らしながら、ただ真っ直ぐに前を見据えていた。
彼の隣では、エレンが緊張に青ざめた顔を必死に引き締め、一歩も遅れずに追従している。
「――王の御前である」
アグラヴェインの低く冷徹な声と共に、巨大な黄金の扉が開かれた。
足を踏み入れた瞬間、アッシュは無意識に息を呑んだ。
広い。ただ広いだけではない。
玉座の間を満たしているのは、視界の全てを白く塗り潰すほどに無垢で、圧倒的な光だった。
ランスロットが放つような、冷たく澄み切った剣気ではない。全てを暴き、全てを平伏させる、実体のない概念そのもののような神聖な熱量。
玉座には誰も座っていないように見えた。いや、そのあまりにも強大すぎる魔力の塊が人間の知覚を狂わせ、姿なき王の存在を脳に直接刻み込んできているのだ。
(……これが、本物の王様かよ)
アッシュの右腕の呪籠手が、王の光に共鳴するようにギリッと熱を帯びた。
シリンダーの奥で、暴れ狂うエネルギーが悲鳴を上げる。
周囲の騎士たちが次々と平伏し、エレンもまた大理石の床に膝をつく中。アッシュは奥歯を噛み締め、右腕の排熱弁をわずかに開いて圧力を逃がしながら、立ったままその光を睨み返した。
『……よくぞ戻った、我らが太陽よ』
空間全体を震わせる、底なし沼のように重く、甘ったるい声。
道化を介さない、アーサー王自身の言葉だった。
『旧大陸の心臓を打ち砕き、さらにはこの王都に巣食う不浄を焼き払ったその武威。王として、心よりの称賛を贈ろう』
王の言葉が響くたび、空気が物理的な重量を持ってアッシュの肩にのしかかる。
圧倒的な、そして完璧すぎる光。
だが、その光を浴びながら、アッシュの胸の奥に湧き上がってきたのは、卑屈な劣等感ではなかった。
(……あんたの光は、確かにすげえよ)
アッシュは、シューシューと細い煙を吐き出す自分の右腕を見下ろした。
王の光は、あまりにも綺麗で、実体がなく、どこまでも澄んでいる。
それに比べて自分はどうだ。右腕には重苦しい鉄塊をボルトで打ち込み、油と煤に塗れ、骨を軋ませながらやっとの思いで火の粉を散らしている。
この王の光は、自分たちが地べたを這いずり回って流した血の重さも、鉄の熱さも、何も知らないのだという静かな反骨心が、アッシュのハラワタの底で微かに燃え上がり始めていた。
「称賛には及ばねえよ。俺は俺の仕事をしただけだ」
アッシュが不敵な笑みを浮かべ、王の光に向かってそう言い放った、その時だった。
「……はぁ。本当に、面倒くさい男だね、君は」
玉座の間の静寂を切り裂いて、ひどく気だるげな声が響いた。
エレンがハッとして顔を上げる。
柱の影から、長い前髪で目元を隠した長身の男が、かったるそうに首を鳴らしながら歩み出てきたのだ。
円卓第五位、愁いの騎士トリスタン。
「あのさぁ、アグラヴェイン。君の管理不足のせいで、僕の昼寝の時間が大幅に削られてるんだけど。どうしてくれるの、これ」
「……何が言いたい、トリスタン」
アグラヴェインが、眼鏡の奥の瞳を危険に細める。
「地下牢の結界破りと、ガラハッドたちの脱走だよ。あれ、教団の残党の仕業だと思ってる? ……面倒くさいから種明かしするけど、魔術拘束を解いたのは僕の部下だよ」
その言葉に、エレンの息が止まった。
アッシュもまた、右腕のシリンダーの駆動音をピタリと止める。
円卓の第五位が、王都を壊滅させかけたあの暴走を手引きしたというのか。
「貴様……円卓を裏切り、教団に与したというのか」
いつの間にか姿を現したランスロットが、静かに腰の剣の柄に手をかけた。その瞳には、かつてないほどの鋭い殺気が宿っている。
「裏切る? 冗談。教団の神様なんかに興味はないよ。ただ……脆弱な兵士をいちいち鍛え上げて防衛線を維持するなんて、ひどく非効率で面倒くさいだろ?」
トリスタンは、己に向けられたランスロットの殺気を全く意に介さず、ため息をついた。
「教団の呪詛は、極めて優秀な力だ。あれを兵士の肉体に植え付けて従えられれば、王国の剣はもっと強固で効率的になる。ガラハッドたちの暴走は、その力を推し量るための、ほんの小さな実験だったんだよ。……それなのに」
前髪の奥から覗くトリスタンの目が、初めて冷酷な光を帯びてアッシュを捉えた。
「どこの馬の骨とも知れない男が、せっかくの実験体と聖杯を一緒に焼き砕いてくれた。……教団の力を取り込む好機を潰したこの男こそ、王国の損失だと思わない?」
冷徹で、強者の論理のみを是とする選民思想。
トリスタンの言葉は、王都の平和ではなく、ただ強大な力による効率的な支配を正義とする、円卓内部の新たな病巣そのものだった。
「……テメェ」
アッシュの低い唸り声と共に、黒陽シリンダーが威圧的な排熱音を鳴らした。
油の焦げる匂いが、白亜の玉座の間に急速に広がっていく。
「誰かを化け物にして得た力で、ふんぞり返って昼寝がしてえのか。……随分と立派な騎士様だな、第五位」
「やれやれ。野蛮な鉄屑には、合理という言葉が理解できないらしい」
ランスロットの凍てつくような静寂と、アッシュの荒々しい火の粉が、トリスタンの気だるげな魔力と真っ向から衝突する。
アッシュは、己の右腕を強く握りしめた。
分厚い鉄の装甲の奥で、ボルトがギリッと軋む音が響く。
(俺のやり方で……テメェらのふざけた考え、全部叩き割ってやる)
白亜の玉座の間に、油の焦げる匂いと、重苦しい鋼の軋みがいつまでも響き続けていた。
第92話、お読みいただきありがとうございます。
アッシュの反骨心は条件反射みたいなもので、別に謀反を企んでいるなどはない。
ただ、王様に対する好感度は高くない。
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