■番外編.ある男の記憶(きろく) ※???視点
~《イシハラが異世界に召喚される一年前》~
僕には記憶が無い。
正確に言うと数年前にこの大陸に流れ着く前までの記憶の一部がない。それまでに何をしていたかという記憶も自分の事さえも。当然、何故記憶を失うかに至った経緯すらも。
この世界がどのような世界か、だとか、日常生活における物の名前や蔓延っている魔物の名前などは覚えている。
今は魔王との戦争が世界各地で起きていることも、新たな勇者が誕生した事も脳が記憶していた。
ただ、自分の生い立ちや職業、名前、性格……それらがぽっかりと記憶から抜け落ちている。
辛うじて覚えていたのは自分にとっての恩人の名前。
その人が何故恩人なのかという記憶はない、ただただ、漠然と僕はその人に救われたことがあるという曖昧な記憶の欠片だけが頭の片隅に存在していた。
「………」
今日も住み慣れた街並みを歩く。多種多様な人達が行き交うその街では誰もが様々な種類の仕事に精を出していた。
記憶をなくしていた僕は数年前から自然に、成り行きではあるがこの街に住むようになった。
出自すら不明で路頭に迷っていた僕を受け入れてくれたのは、この街の外れにある修道院の道士達だ。
彼らは【ジョブズ教】という宗教集団の道士でオルスにおける職業の神【職業神】の崇拝者達だった。
国によって様々な派閥に別れているジョブズ教ではあるが、根幹にある教えはそれから僕の信条にもなっていった。
『誰もその職業を差別してはならない、境を引くのは人ではない。違いがあるとするならば、神か、そうではないか、それだけなのだから』
訳すると『職業は平等でなければならない』という教えだ。
それまでの記憶が無かった僕はそこで教えと共に多くの事を学び、吸収していった。
まるで無垢な子供が教育されるように、修道院での生活が僕の全てとなった。その教えもその時の僕に染み付き、僕はどのような職業でも尊く敬うべきだとそう信じていた。
つい最近までは。
「……どうかしていたな……この世界は……差別だらけだ……」
騒がしい街中では僕の独白は掻き消される。まるでこの世界の縮図のようだ。
人の目に触れないところでそこら中に差別は広がっていると気づいてからは僕のその考えは間違いだったと知った。
肌の色、見た目、種族の違い、持つ能力の違い、立場……そして、職業による階級による差別。
それらが世界中には蔓延している
今日も特別職と呼ばれるーー血の繋がりだけで階段の頂上まで登り詰めた人間が努力して登っている人達を嘲笑っている。いや、そこは努力の末に辿り着ける場所ではない、正確には階段の遥か上空にある天空の城から僕達を見下しているんだ。
全ての王族や貴族がその枠に当て嵌まるわけではないのは重々理解しているーーだが、僕がこの街に住んでから見てきたのはそんな奴等ばかりだった。
「おい!! 汚ぇナリして俺様に近づくんじゃねえ!!」
街中に怒号が響く、人通りの多いこの場所では日常茶飯事だ。様子を窺ってみると小綺麗な仕立て物に身を包んだ大の大人が脇に衛兵を連れ、膝まづく少年を見下している。
通行人から話を聞くに、どうやらスラム街から来た少年が買い物途中に貴族様に近づいただけの話らしかった。
ただそれだけ、スラム街の少年は別に盗みを働いたわけでもないし真っ当にただ生きていただけ。幼い体躯ながらに建築作業場にて一生懸命に働き、少ない給金で病気である親のためにこの界隈によく物を買いに来ている有名な少年のようだ。
「運が悪かったな……可哀想に」
話をしてくれた通行人がそう呟く。
この通行人は決して悪い人間ではなさそうではある、少年に向けた憐憫の眼差しからそう推察できた。
ーーだが、見ているだけだった。
当然だろう、貴族様に楯突くわけにはいかないし少年を助ける義理もないからだ。
それはなにもこの街特有の観念ではなく、世界中に広がる共通認識でもある。特別職である王族や貴族に逆らおう人間などいるはずもない、無償で奴隷職を助ける人間がいないのと同じように。
僕も同じ気持ちだったし、同じだった。
今にも兵に殺されそうな少年をただ傍観者として見ているだけだった。僕にもこの街に来てから築いたものがある、今ここで貴族様に楯突き少年を救おうとすればそれらを全て失ってしまう。
(そんなのは御免だ、あのときの教えを何故僕だけが守らなきゃいけない。この街の人間の誰も……それを守っていないのに。馬鹿馬鹿しい)
『平等なんてこの世界には存在しない、だがーー』
ズキッ
(~~っ!)
頭痛が起きる、こういった場面に立ち会うと決まって僕にこの症状が起きた。
ーーそして、いつの間にか衛兵と少年の間に飛び出していた。
考えてやったことではない、体が勝手に動いていた。
まるで僕の深層に眠る記憶が僕の現在の考えを否定でもするかのように、反抗するかのように、考えと矛盾した体の動きをさせていた。




