第三話 新人の本気
「あのクソ神父が! 能力ばっかり高いからって図に乗りやがって……!」
二十四時間。年から年中。朝も昼も夜も、どのような時だって活気と騒音を忘れることの無いギルド併設の酒場。その騒がしい空間の中にルークの怒鳴り声も混じっていた。中身を一気に飲み干し、木のグラスを勢いよくテーブルへ叩き付ける。ちなみに中身は酒では無くミルクである。
「あら、戻ってきてたのかい。どうだった……ってその様子だと相性は悪かった?」
「悪いって話じゃない。最悪だ、俺は絶対に大怪我はしないぞ。あいつの世話にだけは死んでもなりたくない……! おかわり!」
「はいはい。ああ、それとね。あんたの出してた募集要項だけど、気になって少し覗いてみたんだ。……あれ、書き直した方がいいよ?」
困ったように苦笑する酒場のママに首を傾げる。昨日掲示板に持ち込んだパーティーメンバーの募集はルークなりの自信作だ。確かに達筆でない自覚はあるが、問題らしきものは無い。
怪訝そうに見つめ返すと、酒場のママは大きくため息。ますます首の角度が深くなっていくルークへどこか説教するような雰囲気を醸し出し始めた。
「あんたね。あの張り紙に三十層を目指す仲間を募集とか書いただろう?」
「おう! もちろん目標は頂上だ!」
「その意気込みは良し。若い子らしくて嫌いじゃない! だけどね、人柄も実力も分からない、その上に新人だって公言してるパーティー募集の目標が最上層まで突破なんて、誰が集まってくるんだい?」
最初、言っている意味が分からなかった。三回ほど頭の中でその指摘を繰り返して、意味を噛み砕き、それを客観的に飲み込む。たっぷりと時間を浪費した長考の末に口を開いて。
「やる気ある奴なら来てくれるよな」
「うんうん。分かったらもっと相応の目標で……今なんて言った?」
「いや、別に何も問題無いんじゃないかなって」
その言葉に酒場のママは呆れた表情を浮かべた。続いて苦々しいものを見つけたように目を細めて、そんな百面相の顔にルークは首を傾げるほかない。奇妙な沈黙が訪れる。ルークは酒場のママが黙り込んだ理由が分からず、向こうも何かを躊躇うように口を閉ざし続けた。
しかし、すぐに決心を固めた様子の酒場のママが重々しく唇を動かし、
「おいおい、いきなり三十層目指すなんて無謀もいいところだな。よっぽど腕に自信があるか、それとも只のバカか」
「は?」
それよりも一瞬だけ早く。二人の間に割り込んできたのは男性の煽るような口調だった。首だけでその発生源に眼を向ければ、どこか苛立たしげな雰囲気を垂れ流す一人の男がルークを睨み付けている。
短く切り揃えられた金髪が特徴的な筋肉質な男性だ。年齢は三十に僅かに届かないと言ったところか。切れ目の紫眼にどこか達観した様子と鍛え上げた武を感じさせる顔。それは気丈夫な印象を見るものに与えるだろう。
最もそれは無表情だった場合だけ。今現在の姿ではただの嫌味な男にしかルークには捉えられない。
そんな男の突然の暴言にほんのわずかな無理解を経て、ルークの思考が沸騰した。昼間にストレスをため込んでいた脳は容易に煙を拭き、口からは反射的に言葉が吐き出される。
「無謀も何もやってみないと分からないだろうが。相手の実力も知らずに煽るとか、お前の方がよっぽどバカじゃないのか?」
「痛い目に合ってきた先輩の忠告だったんだが。素直に聞けないとは、どうやら後者だったらしい」
買い言葉に売り言葉。既にお互いを射殺さんと睨み付け合う二人の間に、険悪な空気が立ち込めるのは当たり前だった。他の客や店員が僅かにたじろぐ、なんてことも無く冒険者たちは面白そうに遠目から様子を窺いだす。
店員も特に慌てることは無く、すぐ傍に酒場のママがいることに気づくとさっさと仕事に戻ってしまった。
「……レグルス。あんたの言っていることにも一理あるけど、もう少し言葉選びがあるんじゃないかい?」
「こういうバカにはこのぐらいが丁度いいのさ、ミィルキンの姉さん。取り返しのつかないことをする前にな」
酒場のママ──どうやらミィルキンと言う名らしい──の注意も払いのけて、男──レグルスの言葉は止まるところを知らない。その苛立ちの中に、何やら別の感情も混ざっているような気がして。しかし、その程度のことに今のルークが気に掛ける余裕など無かった。
「何が取り返しのつかないことだ? 俺だって冒険者を選んだからには覚悟はしてる。お前が首を突っ込むことか?」
「そうだな、大体の新人はみんなそう言う。それでほとんどの奴は後悔する。残りの少数は頭がイカれてるか、或いは狂人か」
「俺が死に際になって後悔する軟弱者だって言いたいのか……!?」
今にも腰の長剣に手が伸びてしまいそうだ。それを抑えているのはルークの最後の理性と。加えて以前のこの剣の使い手である父親の誇りのためか。とにかく限界寸前のルークを前に、さすがにミィルキンが身構える。
正しく一発触発の状況の中、イスに腰かけたまま構えもしないレグルスは、ルークから視線を外した。
「そうじゃない。死ぬことよりも、もっと残酷なこともあるってことだ」
「……? 訳が分からない。結局お前は何が言いたいんだよ?」
何故だろうか。レグルスはルークに怒りを向けているようだが、その理由が分からない。いやルークの口にした目標が原因なのだろう。しかし、それだけで怒りをぶつけてくる理由には足りないはずだ。
その上に、その怒りはルーク以外のどこかにも向いているように思えて。それがどこかは分からずにルークには疑問を口にするしかなかった。
「ま、この意味も分からん新人にはヒュライドの塔の踏破なんて一生無理だ。諦めて低層で小遣いでも稼いでろ」
「何か意味分かんねえけど……結局最後はそれか? もう一度言っておくけど、どうして俺がお前の言うことを聞く必要がある?」
「必要は無い。ただの助言だって言ってるはずだ。だがまあ、そんなに納得いかないならその腰の魔剣で斬りかかってみたらどうだ? その業物をお前程度のガキが使いこなせるとは思えな……」
「──それがお望みなら遠慮はしないぞ」
腰の剣を抜刀し、同時に木造の床を蹴る。ミィルキンが慌てて取り押さえようとしてきたが、頭を低くすることで回避。そのままの体勢で酒場のイスとテーブルを避けながら疾走するとレグルスへ迫った。レグルスもまた、床に置かれていた槍を蹴り上げ手に収めるとルークの剣に切先を合わせて、
「誰だ──!?」
「マスター……!」
「レグルス、それとそっちの坊主。騒ぐなら店の外にしてくれ」
突如、目の前に現れた初老の男性に両者は目を見開いた。剣と槍。衝突するはずだった二つの得物はどういう冗談か、男性が片手ずつ掴み取っている。
それはスキンヘッドと左目の眼帯が印象的な五十代ほどの男性。その佇まいから放たれるレグルスとは比べ物にならない強者のオーラに、すぐさま手首を捻ると剣を奪い返し飛び退いた。
距離を取って警戒を露わにするルークに対して、レグルスは面識があったのだろう。名前を呼ばれると仕方なさげにため息を付き、槍を掴む手から力を抜いていた。
「マスター! これからだってのに止めるなよ!」
「うるさいぞ野次馬ども! 酒の肴は冒険話だけにしておけ! さて坊主、お前も剣を収めろ。見世物になった挙句、出入り禁止にはなりたくないだろう?」
周囲の冒険者の一部が抗議するように男性に声を上げ、マスターと呼ばれた男性に一括されると大人しくイスに戻っていった。夕暮れ時の暇な時間、二人の乱闘騒ぎは荒くれ者にとっては良い酒の肴と言う訳か。確かに見世物にされるのは気分が悪い。少しは冷静を取り戻して、大人しく剣を鞘に納めた。
「ミィル、お前が止められないとは珍しいな」
「……あんたみたいにいつまでも元気じゃないんだよ。あたしも随分と老いたもんだ」
「だったら姉さんなんて呼ばせないでオバサ……おおっと!? 危ないな!」
運んでいる最中だったグラスをミィルキンは信じられない速度で投げ飛ばし、男性も口では叫びつつも特に危なげなく掴み取った。その様子から年齢は近しげな二人の友好関係が見て取れるが、目の前で夫婦漫才を始められたルークの心境は度し難い。完全に状況に置いていかれてしまって、余計に苛立つが加速するばかりだ。
「次から次へとわけがわかんないぞ……あんた誰なんだよ!?」
「お、儂か? 一応ここのギルドのマスターをやってる。アドルフ・オルレアンだ。よろしくな、坊主!」
「へ……? ギルドマスター?」
気持ちの良い笑顔で言い放つ、いい年をしたオヤジの顔を思わずまじまじと凝視してしまう。その姿からはとても想像できないが、間違いない。先ほどのあの動きを見てしまえば、とてもその言葉をほら吹きだと否定はできなかった。
「良かったな、ガキ。マスターのおかげで人前で恥を晒すことも無くなった。もっと喜べ」
「……マスターさん。悪いけど、そこ退いてくれ」
「ここで暴れられると片付けが面倒なんだ。坊主の話は聞けないな」
「片付けるのはあたしらだけどね。どうせあんたは手伝わないし」
アドルフの背後からレグルスは鼻でこちらを笑ってくる。その表情に怒りが再びぶり返してくるのは当然だった。どうアドルフを抜くか戦意を研ぎ澄ませ始めると、彼は大きく両手を振って慌てて制止する。だが、知ったものか。今のルークにはレグルスを叩きのめすこと以外は頭に無い。故に制止も無視すると弾丸のように飛び出そうとして、
「ダメなのはここでならな。そんなに喧嘩したいなら外に場所がある。そこなら好きにやればいい」
その言葉にすぐさま足を止めた。ぎょっとした顔をするのはレグルスだって一緒だ。背後で目を見開くレグルスにアドルフは振り返って、にやりと豪快な笑みを向ける。
「お前も喧嘩売ったからには責任を取れ。……それにそっちの方が都合がいいだろう?」
「参った……マスターには本当に頭が上がらない。ほら、さっさと来いガキ」
言葉の足らない文を投げかけあって、レグルスは左手で顔を抑えると大きくため息を付いた。そのままの格好でルークを一瞥し、顎で酒場の出口を差すと槍を担いで歩き出す。その背中を状況の流れに追いつけないルークは唖然と見送りそうになって、背後から背中を平手打ち。バチンっと気持ちの良い音が酒場に響く。
「ほら、喧嘩したいならさっさと外に生きな。野次馬共がそわそわして仕方がない」
「あ、ああ……そうだな。ガツンと言わせてやろうじゃないか!」
ミィルキンに文字通り背中を押されると、ルークもまたレグルスを追いかけ酒場の外に走っていく。そして二人の後を大量の冒険者たちがぞろぞろと追従していって、
「野次馬多すぎないか!?」
振り返ったルークの悲痛な叫びが酒場に木霊した。
☆ ☆ ☆ ☆
夕暮れ時のウルティアの街がオレンジ色に染まっていた。その街の中心部に位置するヒュライドの塔と冒険者ギルド。そしてその脇に存在する空き地も例外ではない。そんな冒険者たちが鍛錬にも集まる広場の中心に、二人は向かい合っていた。
一方は剣を。もう一方は槍を。いつの間にか遠巻きに集まった野次馬たちを無視し、それぞれの得物を構える二人の男は戦意を高め続けていて、
「なあ、マスターさん。なんであんたもいるの?」
「なんだって聞かれてもなぁ。野次馬以外に何があるんだ?」
「ギルドマスターって暇なんだな……」
その中にちゃっかり混ざっている眼帯の男を見て、ルークは顔が引き攣るのを止められなかった。もっと多忙な肩書だと思っていたのだが、その想像は間違えていたらしい。そうしている姿は冒険者らしいと言えばそうなのだろうが。ギルドマスターと言うからには既に引退しているはずだ。
「後はあれだ。やり過ぎないように見張りの意味もある」
「先にそれだけ言ってればもっと印象も良くなったんだけど」
呆れた笑みを零して、再び意識を正面に向ける。槍を構えて澄ました表情を見せるレグルス。佇まいから察するに油断できる相手では無い。だが、負けるつもりだってない。何故ルークを突然煽り出したのかは知らないが、その真意は公衆の面前で恥をかかせてから聞き出してやろう。薄っすらと赤く染まった白銀の剣に力を入れ直す。
「どこからでも来い。それか今なら降参もありだ」
「余裕ぶっこいてると、後悔するぞ──!」
まずは一当て。先ほどと同じように弾丸の如き速度で飛び出した。戦意を最大限に高めるレグルスは槍を構えたままに動き気配は無い。どうやらその場で迎え撃つつもりのようだ。それでも容赦はせず勢いそのままに剣を振り上げて──背筋に悪寒が走る。
「──っ!?」
「ほう」
剣の間合いに入るよりも先に矛先がルークの肩に向けられて、風を切って刺突が迫まった。そのあまりの速度にとても迎撃などできず、咄嗟に体を左に転倒させて難を逃れる。受け身を取り回転する視界の中、仰向けに頭上を見上げるとそこには槍を振り上げるレグルスの姿があった。
「ぐぅ!」
「初撃で終わりにするつもりだったんだが……ちっ」
剣を顔の前で横に構え、落下してくる槍とぶつかり合う。上を取られた時点で力押しで敵う訳が無いと判断。二人の間に魔力が収束し、レグルスが舌打ち一つ残して飛び下がった。直後、彼の顔面があった位置に炎の弾丸が飛来する。放物線を描いて着弾した炎は延焼することも無く魔力となって大気に溶けた。
「なんだ今の……」
再び距離を置いて睨み合う。最初の刺突は明らかに人間の限界を超えた速度で放たれていた。まるで爆発の力を収束させたような。だからと言って槍に何か細工をしている様子も無い。正体不明の刺突。だが、あれに一々翻弄されていては決して勝てないだろう。
「ま、小細工ならお互い様か」
威嚇するように、己を鼓舞するように“赤く煌く剣”で地面を一薙ぎ。土の地面に真っ直ぐな切れ込みが入って、再びレグルス向けて肉薄した。
先ほどと同じ構図。ルークの間合いに入る前に矛先がこちらを捉えて、同時に地面を横に蹴り飛ばす。結果、神速の刺突は虚空を貫き、それがレグルスの元へ引き戻される前に右から剣を振り上げて、
「甘い……!」
「うるせぇッ!」
レグルスの回し蹴りがルークの横腹に衝突した。骨が軋む音に一瞬息が詰まり。気合でそれをねじ伏せると上段から斬り下ろしを放つ。さすがのレグルスも目を見開くが、一瞬遅れた斬撃はすぐさま槍に防がれる。即座に力を流し、それを予見していたレグルスが引き戻して、槍と剣が再激突。受け流し、金属音を奏でて力と力が拮抗する。
「逃がすかっ!」
至近距離ならルークの間合いだ。少しでも距離を離そうというのなら飛び下がった場所に魔力の炎を叩き付け追撃。足が止まったところにすぐさま接近して斬撃を叩きつける。槍を短く持ち直したレグルスだが、初めて苦痛に表情を歪めた。
その姿を見て、ルークの攻めはさらに苛烈を極める。上段からの斬り下ろし、横薙ぎ、切り上げ、円を描くように斜めに斬り下ろし、地面に“赤く煌く切先”を触れさせながら再び切り上げ。
その衝撃にレグルスの槍が大きく腕ごと頭上に跳ね上がった。明らかな好機にさらに一歩踏み込んで。
「甘いと、言ったはずだ」
「なっ──」
恐らくは先ほどと同じ原理で。今度は矛先では無くレグルスの体が飛んだ。そうとしか説明できないほどの勢いを持って、レグルスの体が軽く浮き上がりながらルークに迫る。剣を振り上げていたルークはそれに反応できず、レグルスの右肩が確かに腹にのめり込んだ。
肺の空気が一気に絞り出される感覚と、小さくない骨身への衝撃。その二つに意識を持っていかれたルークは踏ん張ることもできずに、後方へ勢いよく跳ねながら転がっていく。
どうにか受け身だけは取って。“赤く煌く剣”を地面に突き差し勢いを強引に止めた。魔法金属でできた魔剣は少し雑な扱いをしても刃こぼれ一つしない。故に広場の端まで飛ばされずに済んだが、片膝を立てた無防備なルークへの追撃が無いはずが無かった。
「今度はこちらの番だな」
遠心力を乗せた薙ぎ払いが炸裂する。どうにか剣身で受け流すが、卓越した技量で再び構えられる槍は飛び下がるよりも早く矛先をルークに向け直していた。今度は刺突。一歩体をずらし、右肩すれすれを通り過ぎていく槍。そして引き戻されるそれがルークの皮鎧に切り傷を付けていく。
大した抵抗も見せずに鎧を切り裂いていった切れ味にゾッとする。本気の殺し合いで無い以上、寸止めはするだろうが仮に直撃すれば皮鎧ごとルークを切断して見せるだろう。
「く、そっ!」
どうにか距離を取り状況を打開しようとする。だが、槍を防ぐので精一杯な状況では魔法の制御だってロクに行えず、明後日の方向へ炎が飛び去っていった。
先ほど同様に懐へ飛び込もうにもそれをレグルスの槍と足さばきが許さない。だからと言って飛び下がることもできない。力任せに攻めていたルークと違い、レグルスのそれは計算しつくされた槍捌きなのだ。
焦りに思考が塗りつぶされ、手元が狂う。剣が大きく弾かれ、レグルスが槍を刺突のために構える。先ほどと鏡合わせの構図だが、ルークにレグルスと同じような爆発力を起こす術はない。
矛先が迫る。レグルスが勝利の確信に口元を小さく歪めた。その人を苛立たせる顔に負けるのか。あれほど吼えておいて恥をかくのはルークの方なのか。そんなこと、絶対に認めない。
「うあぁぁぁぁ!」
「──!」
制御なんて考えない。ただ可能な限りの魔力を両者の間にかき集め、不安定な状態でルークの手を離れた魔力が爆発する。純粋な衝撃となって破裂したそれは、ルークとレグルスを差別なく吹き飛ばした。
想定外の抵抗を受けたレグルスも、元より無茶な体勢を取っていたルークも。お互いに受け身も取れずに地面を転がる。面白いように跳ねていく二人を見て、周囲の野次馬からもどよめきが走った。そのまま起き上がらないルークとレグルスに何人かの野次馬冒険者が慌てて駆け寄ろうとし、しかしアドルフに遮られる。
「マスター、あいつら」
「まだ致命的な怪我は負ってないからな。それに、まだやる気みたいだぞ」
冒険者の視線の中、先に立ち上がったのはルークだった。全身を打ち身した痛みに表情を歪めながらも、地面に倒れたまま“赤く煌く剣”を地面に突き差して。すぐにレグルスも槍を杖代わりに身を起こす。
「ずいぶんと滅茶苦茶な戦い方をする……模擬戦でやる芸当じゃないぞ」
「はっ、死んだり腕が落ちなければなんでもありなんだよ」
一言ずつ言葉をぶつけ合い、ふら付きながらも確かに二本の足で二人は立ち上がった。下手をしなくても骨の一本や二本程度なら持っていかれてもおかしくない。
命懸けの状況なら思いきりの良さで致命傷を回避できたかもしれないが、ただの模擬戦──喧嘩で決行するような行動ではないだろう。だが、例えそうだとしても。ルークは負けず嫌いだ。切れる手札を出し惜しみする気はない。
「できれば使いたくなかったけどな。そろそろ、俺も本気で行くぞ……!」
「……何かは知らないが、やるならさっさとやりな。それごと粉砕したらその自信過剰も少しは治るだろう?」
「ほざけ」
短く吐き捨てて、意識を集中させる。既にこの短時間でこの地にはそれを刻み込んである。魔力を剣へ収束させ、それを地面にまっすぐ突き立てた。
「──天より地を統べるもの来たれ」
目を瞑り言霊を静かに紡いでいく。それに呼応するように広場のあちこちが。ルークの剣が触れていた箇所が赤い光を放ち始める。剣から大地に溶けていく魔力が、剣によって刻まれた刻印に共鳴し始める。
「汝、世界を見渡す叡知を我が瞳に。汝、世界を統べる手腕を我が剣に」
「ガキ……お前その年で……」
レグルスが始めて見せた表情を。しかし、ルークがそれを瞼に焼き付ける余裕はなかった。ただ一心に魔力の制御へ集中力をかき集めて、広場から無数の赤い光の玉が漂う。大地から溢れ出るそれは少年を確かに祝福する加護だった。
「大いなる器は小さき城と成りて、我が魂は世界へ沈み往く。儚き神域よ、顕現せよ!」
ルークの足元から。広場に刻まれた刻印から。魔力が吹き出し、天に昇っていく。遥か上空に昇り詰め赤い光が弾けた。
魔法の発現、すなわち成功を確信したルークが誇らしげに目を開いて。
「『領域宣言』!」
弾けた魔力が形をもって広場を覆っていく。ルークとレグルス二人だけを隔離する赤い魔力の膜が、ドーム状に顕現した。空間そのものに作用する大魔法。その中でもこうして囲まれた領域の中にのみ作用するそれはつまり──
「結界魔法……これがお前の切り札か」
「俺を見くびったことを後悔しろ! この世界の中なら、俺は誰にも負けない!」
結界と一言に言っても様々な種類がある。代表的なものなら外部との出入り、干渉を一切拒絶する守護結界。或いはこのルークの結界のように、内部にいる術者に恩恵を与えるものだ。
模擬戦ごときに行使する魔法では本来ないが、敢えて繰り返そう。ルークは負けず嫌い。切れる手札は出し惜しみはしない。
「なるほどな。確かにその年でこんな魔法を扱えるのは驚いた。だが、発動できることと使いこなせることは別の話だぞ?」
「なら──試してみるかっ!」
それでも余裕を崩さないレグルスにルークも吠えて。二人の冒険者が、再び激突した。