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19 《千》

 

 途中でぶつ切りにされたアイアンメイデン・キャンペーン。その余韻をさんざ引きずったあとで、掻き消すようにジープをドリフト気味に滑らせた。跳ねた瓦礫の欠片が、別の瓦礫に弾かれて車体を叩く。口の中で弾けるキャンディーみたいな音をして。

 空に弾幕が張られる頃、ようやくにして俺は文化ホールへと辿り着いた。

 文化ホールに以前の面影はなかった。それはかつての、そして今も半ばゴーストタウンと化した南地区に残る〝災禍〟の爪跡のようだった。


 荒々しくドアを開け放ち、俺は束の間戦場を見上げる。


フェイ( 、 、 、)ファー( 、 、 、)ツェリザカ( 、 、 、 、 、)ってどんな趣味だよ」


 あまりにマニアックで、そして本来なら非戦闘向きであろう、二丁の超大型回転弾倉式拳銃。象すら倒せるという触れ込みのそれを、さっきから杏ちゃんはバシバシぶっ放している。


 轟音。弾け飛ぶ弾丸。紺碧の空に滲む硝煙。宙に舞う空薬莢からやっきょう――と、俺はふとした疑問に駆られる。

 回転弾倉式の拳銃は、ハンマーが撃発した後もシリンダー内に薬莢が残る仕組みだ。本来なら、排莢はいやくの際にはシリンダーを振り出すなんかの動作が必要なはずなのに……。


 目を細めると二枚のプレパラートが形成される。数メートル先のことのように杏ちゃんを捉えた。

 そして俺は見た。杏ちゃんが引き金を引くや、そのすぐ間近に出現した例のシールドを。それは〝ミスリル〟の瞬間移動にも似た要領で、空薬莢を宙に排出していた。


「……それならもう回転式じゃなくて、自動式拳銃でいいだろが」


 超ハイテクな技術で、アナログ兵器のデメリットを補う。趣味一辺倒としか感じられないそのこだわりに、花無仁知果の痛々しさを改めて思い知らされる。


 そして、ついでに言うならあの衣装……。


 白の礼装は、マーチングバンドの衣装にも似た装い。いうなれば軍楽隊風といったミニスカ仕立て。否も応も、恥ずかしげもなく曝される太もも。なによりかにより、膝下まで覆った同色のブーツ。


 俺は歯噛みする――あれじゃ杏ちゃんの完璧な靴下が台無しじゃないか。


 杏ちゃんの、絶妙に微妙な丈の白い靴下。膝下とも踝ともつかぬ、その中間。ショートソックスでもハイソックスでも、ましてやルーズソックスでもない、絶対的なまでの、絶妙に微妙な長さ。

 膝丈のスカートからのびた足と靴下で形成される、三対一の完全な黄金比率。つまりは完璧なソックススタイル。


 ……いやまあ俺だって、それがどれほど困難なことかってくらいは分かっているつもりだ。だから代替案くらいは用意してある。


「百歩譲って、裸足にシューズのじか履き。で、体育館とかに裸足で上がっちゃうくらいなら問題なしだ」


 そう。それくらいが理想の姿じゃないだろうか――つまりは、由緒正しき田舎スタイルという意味においては。


 良い意味でのダサさ加減。垢ぬけてなくて、野暮ったいくらいで丁度いいはずなのに。田舎は、田舎のくせに、田舎の方こそが、性に奔放過ぎたりする。

 それはきっと暇に過ぎたりする環境や、田舎くささを逆手に取ったヤンキー体質によるところが大きいとしたって、町のプレゼン的には真逆を行っている気がする。理想が幻想に過ぎないとしても、田舎なら、むしろ田舎らしさで真っ向勝負するべきだ。観光都市を自称するならなおさらだろう。

 世界は変わらなければならない。とはいえ、付け焼刃でうわずみすくいなやり方じゃ意味がない。歴史と文化をないがしろにした新世界の樹立なんて、まるで蛮族の発想。下手なテロリズムと変わりゃしない。もちろんそんなの論外だ。

 それを思えば。思えばこそに。俺は苛立たしいのだ。無性に腹が立つのだ。


 ゆえに……。


 じんわり温感で巡っては、ふつふつと湧き上がってきた怒髪天に獣の如き咆哮を――――なんて俺の中の修羅を目覚めさせている場合じゃなかった。我に返ってひとつ深呼吸。引っ込んだ修羅を確認する間も惜しんで、半壊状態のホール、その正面へと俺は駆けた。

 間もなくして、か細い腕で必死にガレキを持ち上げようとする少女の姿を見つける。


「李子ちゃん、怪我はないか」


 俺が声を掛けると、すり切れたドレスと土煙にまみれた李子ちゃんが顔を上げる。

 いつもの花びらモチーフのヘアピンも眼鏡も掛けてない彼女は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。しかしその瞳には、今までの彼女には見たことのない強さがあった。


「わたしは大丈夫ですっ。それより棗ちゃんが」


 ガレキの下敷きになっている人影を俺は見た。それは紛れもなく、以前俺を通報しようとしたあの少女だった。

 因縁浅からぬ、だが初めて名前を知った彼女へと声を掛ける。


「ナツメちゃん、怪我は」


 砕かれた幾つものコンクリート片が重なる中で、だがそれ以上に厄介なのは上に覆いかぶさったピアノコンクールの立て看板だった。

 その下でうつぶせる少女は、 


「……」


 聞き取れそうもないほどにブツブツと言った。

 答えられないほどに痛みがひどいのか――そう思って俺が顔を近づけると、


「私はいいから柏木さんを連れて逃げなさいよっ‼ あなたも大人ならいま何をすべきか、優先順位くらい解るでしょっ‼」


 食って掛かるように、やけになったように、叫んだ。


 一瞬呆気にとられた俺。

 だが、自然と頬は緩んでいだ。


「そんだけ元気なら大丈夫だな」


 李子ちゃんの隣にしゃがみこむと、立て看板に手を伸ばす。


「あなたっ、私の言った意味が分からないの!? 大人なら正常な判断を……」


「大人だからだろ」


 喚き足りないらしい彼女の言葉を、俺は大嫌いなフレーズまで出して遮る。


「子供を守りたいって思うのは、俺が大人だからだろ」


 杏ちゃんにあのゆるキャラ怪獣を押しつけといてまあ臆面もない話ではあるが、だが、だからこそに、俺もまた口にしたのだろう。決意を。


 ――杏ちゃんが俺の誇りであるように、俺もまた彼女の誇り足り得るだろうか?

 ……まあ、それは無いだろう。だけどひとつくらいいいだろう。大人として誇れることが、ひとつくらいはあっても。


「李子ちゃん、いち、にの、さんで持ち上げるぞ」


 俺の隣にもまた一人、揺るぎない芯の強さを持った少女が頷く。


 と。


「天羽さんっ、しっかりするのよ‼」


 駆け寄ってきたのは、チームメイデンジャーの副司令こと繭ちゃん先生。なぜだか全身黒のゴスロリファッションで決めた彼女は、ウサギのぬいぐるみを放り出して声を上げた。


「遅れてゴメンなさい! 千代ヶ崎さんと山藤さんを避難させていたら遅くなったの。でも彼女たちは無事だから安心してっ。天羽さんも今すぐここから出してあげるからっ、もうちょっとの辛抱だからしっかりするのよ!」


 繭ちゃん先生も看板に手を掛ける。


「せんせぇ」呟くナツメちゃんの声には、中学生本来の怯えが見て取れた。どれだけ一人で抱えていたことだろう。どれだけ無理やりに気丈に振る舞っていたことだろう。


「生徒を守るのが先生の役目よ、だからもう大丈夫だからっ」


 繭ちゃん先生がぴしゃりと告げた。

 俺は、両隣の李子ちゃんと繭ちゃん先生の顔を見た後で、声を張り上げる。


「いち、にのぉ、さん‼」


 これでもかってくらいの全力。だが、看板は持ち上がる気配もない。

 先生といっても、李子ちゃんとさして変わらぬ線の細さの繭ちゃん先生。実質、女子ふたりと男手が俺一人では力不足は否めない。

 とはいえ、そんなこと口に出したら再びナツメちゃんは諦めてしまうかもしれない。かぶりを振って、気持ちを切り替えようと顔を上げた。

 その瞬間、俺の目に一人の男の姿が飛び込んできた。

 ぎょっとして一瞬固まったのは俺も男も同時。だが、途端に俺は思い出した。まるで現実逃避のように。あの頃の俺に戻ったみたいに。ああ、言い出したのはコイツだった……。


 キャンペーンってのは戦史って意味もあるんだぜ――。


 ひょろりとした体躯のその男は、トレードマークとでも呼ぶべきミリタリー柄のキャップを今日もかぶっていた。

 日除けのツバの影から落ち窪んだ瞳が覗く。『殺人蜂キラービー』の通り名を持つ男。解放戦線メンバー――蜜唾憂思みつばゆうし

 

 俺は身動き一つ出来なかった。目を瞠ったままで。

 疑問符が頭の中で飛び交う中、先に動いたのは蜜唾だった。くるりと向きを変え、走り出そうとする。

 その背中目掛けて、俺は慌てて声をかけた。


「蜜唾っ助けてくれ! 頼む、手を貸してくれ‼」

 

 懇願だった――。

 なぜお前がここにいるのか。何か企んでいるのか。そしてあの時どうしてお前は……。口にしたいことは山ほどあった。だけど俺は、どうしてもナツメちゃんを助けたくて、記憶の中で何度もクソッタレと罵声を浴びせた蜜唾に懇願した。


 しかし、というか、やはり……。

 クソッタレな蜜唾は俺の言葉を無視して走り去っていった。


 小さくなっていく背中に心が折れかける。だからつい独り言のように呟いてしまった。


「もう一人くらい大人手があれば……」


 ハッとして口をつぐんだがもう遅い。取り返しのつかない余波を発生する、蝶の羽ばたきにも似たその一言。自身の迂闊さに俺の目の前は一瞬暗くなる。


 だが。


「――なら丁度よかったな」


 後ろから聞こえてきたのは、息を切らしながらの声。それは、いつもの恰好に似合いもしない汗だくで。

 俺に取り返しをつけてくれたのは、やっぱりワルツだった。


「さっきのあれ、蜜唾か?」


 言いながらワルツも看板へと手を伸ばす。

 そうだ、とも、さあやるぞ、とも取れる頷きで応じて、俺は声を上げた。

 いち、にの、さんで今度こそ看板は持ち上がる。俺とワルツが全体重で支える一瞬のうちに、繭ちゃん先生がナツメちゃんを引っ張り出した。

 心配に反して、少女はひとりで立ち上がる。その姿に全員から安堵の声が漏れた。


 額の汗を拭い、こっちは大丈夫だぞと杏ちゃんの立つ戦場を俺は見上げる。


 しかし、そこに映ったのは赤い風の刃だった。


 侵食された紺碧が、錆びついて剥がれ落ちて来るのにも似た光景――とぐろを巻いて迫りくる赤色の竜巻。

 空を軋らせながら迫りくるそれは、大量殺戮の果てに、数多の返り血を浴びた龍のようでもあった。


 竜巻の先に、杏ちゃんの顔がはっきりと見えた気がした――その顔が恐怖に歪むのを。


 彼女が例のシールドで防いだ怪獣のブレス、逸れたその暴威が迫ってきたのだと理解した。

 俺は、あれが戦闘機の外装を飴細工みたく粉砕するさまを見せつけられてきたわけだが、生身の人間相手に使用されるところは見ていない。とはいえ、だ。人体に無害なわけはないだろう……。


 すべてを呑みこまんばかりの咢。獰猛な唸りを上げた空が――赤い龍が落ちてくる。


 俺には、杏ちゃんが絶望に凍りつくのがはっきりと見えた。


 ――友達を守ると決めた彼女、その彼女のせいで友達が傷つくなんてあっちゃいけない。


 二人の少女を繭ちゃん先生がぎゅっと抱きしめるのも自然なら、俺の身体が動いたのも自然。


 ――彼女に罪を背負わすなんて、そんなことあって良いわけがない‼


 何も成しちゃいないちっぽけな体が、みんなを守りうる盾となり得るか? だが理性じゃなく本能で動いた体。

 そして、それは俺だけじゃなかった。俺の隣にワルツがいた。覗いた横顔にはシニカルな苦笑。それはまるで付き合うよと言わんばかりの。

 巻き込んじまったか――、というなら最初から。だけど付き合ってくれたワルツ。最初から、最後まで。


 やっぱり俺は臆面もなく思うんだ――だったらこんな最後も悪くない。むしろ上出来だって。


 繭ちゃん先生と二人の少女を覆うようにして身を丸めた。

 最後の瞬間、それでも俺は瞳を閉じす、ただ下唇をぎゅっと噛みしめる。

 

 その時だった――。


 俺たちのすぐ脇を赤龍は通り過ぎていく。

 そして竜巻だったはずのそれは、霧散し、やがて消えていく。

 霧が晴れていくのにも似た光景。それは掻き消されたと呼んだ方が正しいような。


 ついに俺にも神様からのギフトが……なんてぼんやり立ち上がると、後方からの排気音。

 二体の影が、俺たちを挟むように、前後に立っていた。

 俺とワルツが子供に見えるくらいの巨影。

 黒塗りの外装。キツネの耳のような形状をした突起の伸びた頭部に、横長のディスプレイに点る単眼モノアイ。それは全身の黒に唯一灯る、赤。錆びた血の色とは異なる、まるで燃え盛る紅蓮のような赤。

 骨格の細部まで形成された完全な人型は、自走式のロボットというより、パワードスーツとでも呼べそうなつくり。二足歩行を可能にした某企業のロボットを、ロボットと呼ぶのなら、滑らかすぎるその動きは、まさに人の動きそのもの。

 俺の頭くらい簡単に握りつぶせそうな前腕、開いた両掌からはあの銀色の天使や杏ちゃんが展開させたようなシールドが形成されている。前方のパワードスーツが弾いて分散させた霧を、後方のもう一体が吸引しているらしい。

 畳ほどの大きさの六角形、例のシールドを形成したまま後方の一体が進み出て、俺たちの前で二体が立ち並ぶ。

 濃度の薄くなった赤錆色のガスは、二体が発生させた四枚のシールドの中へと吸い込まれていく。まるで超最新式掃除機の吸引力を目の当たりにさせられているかのような……。


 俺たちの前方、『KAGUTUTCHI‐02』と記されたパワードスーツの背部。そこに備え付けられたモニターが点灯する。


「おいッス、無事そうで何よりッスね」


 呑気な声。モニターに人の良さそうなにいちゃん――那須の顔が現れる。

 物々しいヘルメットを被ってはいたが、やはりどこか緊張感のないような軽さが付きまとう。絶体絶命からの拍子抜け。緊張からの緩和におれはぼんやりと立ち尽くす。


 残差も残さず、ガスが晴れた中で、確認する那須の声。


「ありゃ、聞こえてないッスか?」


 数秒気の抜けていた俺の代わりに、ワルツが答えた。


「ああ、聞こえてるよ」


「良かったッス。なんせ未完成品ッスから、調整が間に合わなかったかと思ったッスよ」


「とにかく助かった、ありがとう。しかし、それは……」


「えっへっへ、よく聞いてくれたッスね。これはチカエシ内で極秘裏に開発した秘密兵器、装着型汎用支援機カグツチ……」


「那須っ」与えられたおもちゃをひけらかすような那須を黙らせるように、渋い声が一喝する。それは紛れもなくあの警備員、鏑木の声。

 声の出所はもちろんもう一体の方、『KAGUTUTCHI‐01』の方からだ。


「へいへいおしゃべりが過ぎました。スンマセンッスね鏑木二尉殿」


 さして反省しているとも感じられない那須の返答。その後で、


「にしたって、コイツはあくまで後方支援用で戦闘用じゃないんスよ。なもんで時間稼ぎが精一杯なもんスから、早々に戦線を離脱しちゃってもらえると助かるッス」


 俺はそんな上司と部下のやり取りを聞きながら、無理やりに唾を飲み込む。この数分の内に乾ききった喉は大して潤ってはくれなかったが、それでも声を張り上げた。


「あのバケモンがこれ以上進んだら、ヤツの攻撃範囲は大通りまで届いちまうっ。大通りはひどい渋滞で……」


「当たり前だろうが」


 俺の言葉を黙らせたのは、那須のやり取りと同じ低く渋い声。唸るような鏑木の不愛想な言葉。そんな解り切ったことを言うな、とでもいうような。しかしそれは――。


「実を言えば、国防軍からチカエシに出向( 、 、)してる身としちゃ厳罰覚悟で勝手にコイツを持ち出しちゃってるッスからね。最初からそのつもりッス。あ、でも言いだしっぺはあくまで鏑木さんッスからね、責任うんぬんのとこはヨロシクッスよ」


 継いだ那須の言葉が物語る。なんとも不器用な鏑木という男の内心も踏まえて。


 人懐こい笑みで、那須が継いだ。


「国防軍の仕事は国民を守ることッス。安心して避難して下さいッスね」


 排気音。大地を踏みしめ、二体のカグツチが距離を置く。


 二尉だとか、国防軍だとか。どうやら鏑木はただの警備員ではなかったようだし、那須もまたただのバイトくんではなかったらしい。だけどそんなこと今はどうでも良くなって、ただ俺には彼らが頼もしく映った。


 二体のカグツチが轟音を上げて大地を蹴った。


 俺は見送る――この国の防人として、責務を全うする為に飛び立った彼らを。



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