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ランチデイズ  作者: azami
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 4コマ目もサボタージュすることになった。僕は課題を終わらせているし、出席率も今のところ問題ない。

「ああ、頼むよ、中村」

 安藤は同じ西川の金魚の糞に代返を頼んでいるようだった。顔に似合わないオレンジ色の携帯電話だ。喫茶店で強制的に連絡先を交換させられたので、あのオレンジの筐体に眠るメモリにも、しっかり僕の連絡先が記録されている。よりによって安藤なんかに電話番号を知られるとは、得もしれない屈辱感を感じたが、江戸屋の塩鯖定食を思い浮かべて我慢した。iPhoneだから赤外線は使えないと先に宣言をして、ノートの端に電話番号を書いて渡した。僕からはかけないので、iPhoneのHDDは汚さなくてすんだ。

 安藤が携帯電話を閉じた。無駄足だと思いながらも、これから西川のマンションまで行くことになった。安藤は夕方からバイトらしく、今日はこの時間しかとれないのだそうだ。安藤から1メートル30センチ距離をおいて、僕は安藤の後に続く。一ヶ月前は銀杏臭かった大学の大通りも、今ではすっかり侘しい雰囲気を取り戻していた。銀杏の木はもうつるっ禿だ。

「結構近いんだ?」

「ここから15分程度の所だ」

「へぇ」

 西川のマンションは大学の正門から南西方面にあるらしい。iPhoneからGoogleマップを呼び出して、僕は移動経路を確認した。向かう先にはアパートやらマンションやらが立ち並ぶ住宅街で、大学の学生が住んでいることが多い。僕は正反対の北東に住んでいるので、南町に来るのは初めてだった。

「あ、コンビニ」

「何だ?」

「別に」

 当然と言えば当然だが、南町にも立派にコンビニエンスストアがある。しかも、5分歩いただけで、三件だ。スーパーマーケットはもう少し遠いだけで、住みやすそうなところだと素直な感想を抱いた。建物自体は全体的に低くて、二階建てから三階建てがよく目につく。築40年以上してそうなボロボロの木造建てから、つい最近建てられたような鉄筋のスタイリッシュなものまで様々だ。たまに庭付きの民家があって、さらに盆栽が飾られていたりする。

 安藤が足を止めたので、僕もきっちり1メートル30センチ離れて止まった。iPhoneを確認すると、見事南中のど真ん中だ。安藤が人差し指を南南西に向けた。僕は3秒考えてから、人差し指の先を追う。

「あれが西川のマンションだ」

 低い建物が多い中で、少しだけ目立った。4階建てらしい。青空をバックに、白い壁がよく映えていた。

「ここに西川は倒れていたんだ」

 マンションまで到着した僕達は、まず駐車場へと向かった。駐車場とはいっても、5台程度の車が留められて、屋根のついた自転車置き場がついているぐらいだ。マンションが20戸だと考えると、少ないかもしれない。一階のベランダと駐車場の境に常用樹が植えられていた。僕の腰あたりまでの高さに切りそろえられている。安藤が示したのは常用樹のそばの駐車場スペースで「1」と書いてあった。常用樹は枝が折れていて、一部が凹んでいる。僕が上を見ると、すりガラスのベランダが見えた。四階がどうなっているのかはここからだと窺いしれない。

「ちょうど真上が貴之の部屋だ」

 常用樹がクッションになって、全身打撲ぐらいで済んだのだろう。頭を打っていることを除けば、それなりに幸運だったかもしれない。

「で、倒れた時の状況はどうだった?」

 礼儀として訊いておく。

 安藤はマンションの階段へ向かった。ここはマンションとは言いながらも、普通のアパートとそう違いはない。監視カメラはついていないし、エスカレータもない。あるのは階段だけで、つまり、誰がいつマンションに出入りしていたかなど、証言からしかわからない。住民はやはり、学生らしかった。しかも全員1回生か、転入してきた院の1回生だ。今年の3月に建てられたばかりの新築だったので、見事新入生ばかりが集まった。すべて8帖の1DKで、バスとトイレがセパレートの豪華仕様だった。階段には打ちっ放しのコンクリートではなく、立派にタイルが敷いてあった。一般的にはおしゃれな部類に属すのだろう。家賃が高そうだ。

 4階の廊下の一番奥に、「西川貴之」とサインペンで書かれたプレートが貼ってある。僕はドアの前まで来て、下界を見た。とてもじゃないが、まともな神経を持った人間なら飛び降りようとは思わないだろう。無事に着地できるはずがないし、あっさり即死もできそうにない。

「貴之が落下したのは14:30頃だったらしい。住民の証言は、普段周りを意識してないせいか曖昧だ。ほとんどは、来客がなかったと言っているらしい。事故当時、ここのドアは鍵が掛かっていた」

「へぇ」

 密室、やっぱり事故なんじゃないか。そう言おうとした。「だけど、ベランダへ出る窓も鍵が掛かっていたんだ」

「どういうこと?」

 ベランダへ通じる窓の鍵はよくあるもので、当然外からは解錠できない。

「確かに貴之は誰かといたはずなんだ」



 何故警察は事故と判断したのか。「あいつらは貴之が一人だったってことしか想定してないからな。ありえないことでもあったっていうんだよ」安藤が吐き捨てる。僕はそれだけとは思えなかった。

 4コマ目も半ばをすぎたところだ。学生会館の喫茶ルームで、安藤と僕は向き合って座っていた。

 僕は早くも食事に釣られたことを後悔しはじめていた。もしかして、毎日食事を奢ってもらうということは、毎日安藤と向き合って食事するということではないだろうか。しかも、調査報告までするというおまけがついているんじゃないだろうか。最悪だ。

「最悪だ」

 思わず口に出ていた。安藤が僕を睨むが、気づかないふりをする。

「僕はまだ<b>事件</b>の全貌を把握していないんだけど、実際の警察の見聞とか、当日の西川の行動とか、そういうものが知りたい」

 もう事故でいいよと心の中でつぶやく。西川から聞けよ、とも。だけど、安藤は視線を斜め上に向けた。いわゆる考えているという記号だ。「昨日」安藤が語り始めた。

「貴之が病院に運ばれた後に貴之のお母さんと従兄弟が駆けつけたんだ」

「へぇ」

 僕ジャワティーを飲んだ。すっきりとした味で、どんな飲み物よりも好きだ。安藤は自動販売機で買ったコーヒーだ。紙カップの中で、茶色の液体が同心円を描いていて揺れていた。温かいはずなのに、もう湯気はたっていない。

「二人ともひどく動転していて、病院にどうやってきたのか覚えていないぐらいだったんだ。俺はその場にいたけど、息切れしててすごかったよ。貴之はMRIの真っ最中で、変な機械に回転させられていた。貴之のお母さんは、その場で泣き崩れていたな。遅れてきた従兄弟は、貴之の衣類を持っていた」

「へぇ」

 そういえば、安藤は一口コーヒーを飲んだきりだな、と思った。あんなにドバドバ砂糖を入れていたら当然だろう。一緒に食事をとるにあたり、安藤の食事姿をいかに意識しないか、という能力がどうやら必要そうだった。

「それからすぐに中年の警察が二人病院に来て、事情聴衆を始めた。貴之のお母さんと従兄弟と、中村から簡単に話を聞いて、やつらはすぐに『事故ですね』と決めつけたんだ」

「へぇ」

 ジャワティは澄んだ琥珀色だ。ミルクたっぷり砂糖たっぷりの邪悪なコーヒーとは違う。僕はもう一口飲もうとプラスチックの蓋をひねった。

「佐伯……聞いてるのか」

「へぇ」

「明日はどこで食べるんだ?」

「フリュティエ。ちゃんと聞いてるよ」

 僕はペットボトルをテーブルに置いて、頬杖をつく。

「なんで中村の名前が出てきたのかわからない」

 中村は安藤と肩を並べるほどの西川金魚の糞だ。中村の顔はいつも西川に固定されている。ストーカーといってもおかしくはないぐらいだ。中村は佐伯よりも華奢なやつだった。童顔で黒髪眼鏡、オタクと言われたらすぐに頷いてしまうような外見をしていた。安藤は西川親衛隊の中でも色々と周りと会話をしているが、中村は終始無言だ。中村の存在がさらに、西川及びその一派は不気味な宗教集団なのだという印象を僕に与えていた。

「ああ、言ってなかったか。救急車呼んだの、中村なんだ。家が近いらしくて、ちょうど落ちる瞬間も見ていたらしい」

 ぐらい、じゃなくて立派なストーカーだったわけだ。

「なら誰かが一緒にいたかどうかぐらいわかるだろう。事故だ事故」

「それが、落下している最中しか見ていないと言っていた」

「ベランダへの窓は?」

「動転していて見ていない。来客があったかどうかもわからないそうだ」

「……」

 使えないストーカーだ。

「続けるぞ」

「へぇ」

「貴之はジーンズのポケットに財布と鍵を入れていたんだ。外出する直前だったんだろう。昨日は俺と中村と貴之が集まって課題をやろうって約束していたから。待ち合わせは15:00で、場所は大学近くのガストだった」

 課題というのは4コマ目のプログラミングの講義のものだろう。安藤、中村──見事な金魚の糞メンバだ。タイピングすらまともにできなさそうなグループで、さぞかし苦労しているのだろうと他人事に思った。

「つまり、西川は外出しようとして何らかの出来事が起きて落下し、意識不明の重傷。西川に当時来客があったかは不明、ベランダへの窓が開いてたかも不明。来客云々の目撃者ゼロ。ただし玄関の扉はしっかり鍵が掛かっていた。警察、その他の関係者は単なる事故としているが、安藤はどうしても来客があって事件だったのだと思い込みたい。あってるか?」

 まどろっこしい安藤の説明を、自分流に整理整頓させた。安藤は勢いよく頭を縦に振る。別に西川の家までわざわざ出向く必要はなかったんじゃないかと思った。安藤の説明がうまけれさえすれば。

「で、西川のマンションの鍵を持っているのは、誰?」

「は?」

「密室なんてない。超能力なんてテレパシーで十分だ。単純に考えて、玄関の鍵がしまってるってことは、しめた人間がいるってことだ。ベランダのドアも鍵がかかっていたなら、西川が落下した後に玄関から鍵をかけて出たってことだろう。だから、合鍵を持っている人間がいると考えるのは合理的だ」

 安藤の目を見開いた。

「合鍵、渡してるかもしれない」僕は言った。「恋人とか」

 安藤の顔がくしゃりと歪んだ。

「恋人なんかいるわけないだろ! いてたまるかよ!」

 ガンっと安藤がテーブルに拳を振り下ろして、ぐわんと揺れた。僕は頬杖をついていたのに、手が顎からはずれて、僕は床へダイブしかけた。こいつは……。

「すまん」

「……」

 熱血系は、本人の自己満足で、大抵周りは迷惑を被る。僕が証拠だ。

「もう机は叩くな。叩くなら自分の頭だけにしろ。小学生の一人用机じゃないってことをその小さい脳みそに拳と一緒に叩き込めばいい。それから、周りの目も少しは気にしろ」

「すまない」

 僕は嘆息した。

「単純に西川の家の鍵を持っている人を知りたいんだけど」

「あ、ああ。貴之の家族は持っている。従兄弟が荷物を取りにいってたが、鍵を母親に返していたので確かだ。大家のマスターキーもあるな。だが、貴之は恋人がいないと言っていたし、いつも一緒にいる俺から見ても隠している様子には思えない」

「わかった」

 さすがに証言なし証拠なしだと、警察も事故として処理したくなるだろう。もし西川が誰かといたのならば、証言がないほうが不自然にも思える。話を聞いても、事件だと言い張る方が無理だった。あとは、どれだけ安藤が納得できるかだ。西川は一人だったってことさえ証明されればいい。いいアイデアがすぐには浮かばないけれども。

 そもそも何故安藤がこんなに西川のことを気にするのかがわからない。たかが他人だ。友人にしても、ご飯を奢ってまで調査してもらおうだなんて狂気の沙汰だ。適当な見舞いの品といっしょに病院にいって、「早く元気になれよ」となおざりの言葉をかけるのが普通だ。安藤にとって、西川が特別な人かのような行動だった。やっぱり西川教が成立しているんだろうか。いや、それよりももっと別の何かを感じる。

「佐伯?」

 そうか。

「好きなんだ」

「は?」

「安藤は西川が好きなんだ」

「なっ」

 安藤の口が大きく開いた。にきびの浮いた頬が、見る見るうちに真っ赤に染まる。

 僕は合点した。安藤が金魚の糞みたいに西川に纏わりついているのも、下らない調査のために僕に食事を奢るのも、全部は西川が好きだからだ。不可解な金魚の糞たちの行動が、やっと僕の理解の及ぶものになっていく。ジロジロと安藤をみると、巨体を縮こまらせた。

「へぇ。安藤って西川好きなんだ」

 安藤が西川を……。安藤が……。

「その好きって、恋をしているってことだよな」

 安藤は耳まで赤くなった。目もだんだん潤んできている。これは恥ずかしいって記号なのだと教わったことがある。つまりビンゴだ。ビンゴ……。

 あれ。もしかしたら、僕はものすごく目が悪いのかもしれないし、耳もおかしいのかもしれない。

 西川は確かに中世的な顔立ちをしているが、喉仏がちゃんとあるし、胸はペシャンコだ。ウエストも女ほど括れていないし、逆に尻だってでかくない。声も歌のお兄さんみたいな音だ。

「あのさ、今更だけど、西川って女?」

「は? 確実に男だろう」

「だよな……」

 僕は目を泳がせて、もう一度安藤を見た。太い眉毛、頬ににきびとにきび跡。うっすらと生えている顎の剃り残しのヒゲ、広い肩幅、節の太い指。

「じゃあ……、安藤が、おんな……?!」

「どうみたって男だろ!」

 僕は唸った。

 僕の常識では、「恋」という表現は異性間で使用される言葉だ。男同士や女同士で恋愛、結婚は、後世に自分の遺伝子を残そうとする生命の本能に反する。別に性転換をする動植物なら、僕はまだ頷くが、人間は人為的にしか性転換など行えなかったはずで、しかも行えたとしても子供までは作れない。だから、同性間でホレタハレタというのは、自然原理に反することなのだ。規律に沿っていない。

 いや、人間ほど規律を無視する動物もいないな、と僕は思い出した。たしか、安藤にぴったりの言葉があったはずだ。男が好きな男の意味の。

「ああ、ホモ」

  僕はやっと思い出せた喜びで唇を歪めた。瞬間、僕は水浸しになった。



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