第1話 気楽な初対面
三月中旬。
冬の寒さも次第に大人しくなり、一年でもっとも快適な気候の時期が始まろうとしている。
買い物を終えて、最寄りのスーパーから十分も歩けばすぐに自宅が見えてくるが、まだ帰ってきた安心感よりも新鮮味の方が大きい。
高校から一人暮らしを始めること自体は以前から決まっていたが、卒業式の次の日に引っ越しすると父さんから聞いたときは流石に驚いた。
なんでも、三月の末は年度末ということもあって仕事が忙しいので、引っ越しは早めに済ませておきたかったらしい。
そうして唐突に幕を開けた一人暮らしだが、もともと父親と暮らしていた時から自分が家事全般を担当していたこともあり、生活自体には特に支障はない。
どちらかというと、家に父さんがいないことの物寂しさの方が未だに慣れない。
孤独には慣れているつもりだったが、やはり家族の存在は大きかったのだと、今さら失ってから気づく。いや、別に死んでないけど。
「ふぅ……」
重い買い物バッグを肩にかけて持ちながら、二階建てのアパートの外階段を上る。これでも、二人分の頃よりは大分軽くなっているはずだが、やけに足取りが重い。
階段を上り終え、自分の部屋へと歩いていると、ふとあるものが視界に入った。
自分の部屋の一つ奥の部屋。確か誰も住んでいなかったはずだったその部屋のドアの前に、人が立っている。
綺麗な黒髪をポニーテールに結んだ女の子。見た目的に年齢は自分と同じくらいだろうか。
そして何より……めっちゃ美少女。サファイアのような蒼い瞳と整った目鼻立ち。可愛い系と美人系のどちらともとれるその顔立ちに、思わず見惚れそうになる。
彼女はこちらに気づくと、一瞬驚いたような顔になるも、すぐに元の表情に戻り、こちらに声をかけてきた。
「もしかして、お隣さんですか?」
「え? あ、はい多分」
もし彼女が目の前の部屋の新しい住人ならば、そういうことになる。
黒髪ポニテ美少女は俺の反応を見て、妙に納得したような顔で頷く。
「昨日そこの部屋に引っ越してきた水無月です。後日改めて挨拶に出向こうと思ってたんですけど、丁度良いからこの場で済ませちゃいますね」
少女──もとい水無月さんは不慣れそうな敬語でそう名乗った。まあ、俺も敬語は苦手なのでとやかくは言わない。
「わざわざご丁寧にどうも。そこの208に住んでいる藤咲です。よろしくお願いします」
「はい。あ、タメでいいですよ、お兄さんの方が年上でしょうし。ちなみに私は来月から高校一年生です」
「……となると、同い年ですね」
「へ? マジ?」
彼女は気の抜けた様子でそう言う。多分、こっちの方が素だろう。
同い年だと分かったので、俺の方も不慣れな敬語を崩すことにする。
「そんなに驚くことか?」
「てっきり大学生くらいかと」
「……そんなに老けてるか?」
「……いやいやいや、そういう事じゃなくて、何か落ち着いてるというか、雰囲気が高校生には見えなかっただけだよ。背も高いし」
俺の身長は180cmにギリギリ届かない程度。目立つほどではないが、一般人の中だと比較的背が高い方だとは思う。
水無月は……大体150cmくらいだろうか? パッと見だと、俺とは30cm近く差があるように見える。
「今小さいって思ったでしょ?」
「⋯⋯⋯⋯まぁ」
「いや、そこは否定してよ」
「どうせ否定しても信じないだろ?」
「まあね」
俺が開き直って言うと、水無月はケロッとした表情で肯定した。その様子を見る限り、別に背が小さいことを気にしているわけでもないらしい。
その小さな体躯に反して、彼女も大概達観しているというか、あまり高校生らしくない。
それにしても、初対面とは思えないほど会話が自然に続く。並以下のコミュ力しか持ちえない俺が他人とここまでスムーズに会話できたのなんていつぶりだろうか。
……いや、もうかれこれ五年以上は学校で孤立していたため、そもそも家族以外の会話自体が久しぶりだった。自分で言ってて悲しくなってきたな……。
まあ、真面目に考えると水無月のおかげだろう。
容姿が良いうえに初対面の相手にもこの気さくさ。さぞかしモテるんだろうなぁ、と思いながら彼女を見ていると、ふと気になることがあったので尋ねてみる。
「もしかして、水無月も一人暮らしか?」
「うん。察するに君も?」
「おう。まさか隣人も高校生で一人暮らしとは、珍しいこともあるもんだな」
「だね」
高校生で一人暮らしをなんて、よほど裕福な家か、特別な事情がない限り中々させてもらえるものでもないだろう。
しかも、このアパートは規模こそ小さいものの、比較的新しいこともあって外装は小綺麗で、間取りも1LDKと学生が住むには持て余すほど広い物件だ。
そんな場所で俺が一人暮らしを始めたのも、元を辿れば家族の揉め事が原因の一端ではあるし、彼女も何らかの事情を抱えているのかもしれない。
「ま、隣人同士これからよろしく」
「ああ」
一応そう返事はしたものの、現代社会においてアパートの隣人と関わる機会なんてそう多くはないだろう。
とはいえ、折角隣の部屋に美少女が引っ越してくるなんてラノベじみたイベントが現実で起こったんだ、見かけた時は精々目の保養にさせてもらおう。
──今になって思えば、この時の俺はとある可能性を完全に見落としていた。




