第9話「奇跡」
判決を待つ間、エレナは村の外れにある牢に入れられた。
石造りの小さな部屋だった。窓はなく、鉄格子の隙間から、僅かな光と風だけが入ってきた。看守は、村で唯一、裁判の後も彼女に必要以上の言葉をかけなかった男だった。憎むでも、恐れるでもなく、ただ職務として鍵を預かっているだけの男だった。
三日目の夜、その看守が、格子の前に膝をついた。
「頼みが、ある」
声は、押し殺されていた。
「息子が、高い熱を出している。もう二日、下がらない」
エレナは、格子の向こうの男を見た。
「誰にも、知られないように」
男の目には、恐怖と必死さが同時にあった。裁判で魔女とされた女に助けを求めることが、どれほど危ういことか、彼自身が一番よく分かっていた。それでも、他に頼れる相手がいなかった。
「柳の木は、この辺りにありますか」
「川沿いに、何本か」
「皮を剥いで、持ってきてください。できるだけ若い枝のものを」
男は、その夜のうちに川へ走った。
エレナは、格子越しに渡された樹皮を見て、量と煎じる時間を伝えた。濃く煮すぎないこと。冷ましてから飲ませること。一度に多く与えず、少しずつ、日に何度も。それは、トーマスのときと同じ手当てだった。
男は、言われた通りにした。
三日後の夜、再び格子の前に現れた男の顔は、それまでとは違っていた。
「治った……熱が、下がった」
エレナは、小さく頷いただけだった。
「よかった」
男は、しばらく黙って彼女を見つめていた。それから、震える声で言った。
「やっぱり……お前は……」
「違う」
エレナは、遮るように言った。
「私は、何もしていない。薬の作り方を、伝えただけ」
「だったら、なぜ治った」
「身体が、治したの」
男は、その答えを理解しようとした。だが、理解というものは、時に恐怖の前では役に立たない。牢の中から、姿さえ見せずに、子どもの命を救ってみせた女。彼の目に映っているのは、もはや薬草に詳しい隣人ではなかった。
「格子の向こうから、治してみせるなんて」
その一言で、男の中で何かが決まってしまった。
エレナが繰り返し否定した言葉――奇跡ではない、魔法ではない、ただの手当てだ――そのすべてが、かえって彼の確信を強めていった。奇跡を起こした者ほど、それを否定するものだ、と。
「このことは、誰にも言わない」
男は、そう言った。
エレナは、答えなかった。
彼女が頼んだわけではない。それを人に知られてはいけないことだと判断したのは、男自身だった。その判断の中に、既に答えが出ていた。彼の中に残った畏怖だけは、隠しようがなかった。
牢の外には、変わらず判決を待つ人々の気配があった。
エレナは、暗い牢の中で、格子越しの僅かな月明かりを見つめていた。
助けても、罪になる。
助けなくても、罪になる。
それでも、目の前で苦しんでいる子どもを、見捨てるという選択肢は、彼女の中には最初からなかった。
それが、彼女という人間の、変えようのない形だった。
第9話 完




