↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女は魔法を使わない  作者: 八雲 海


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/11

第9話「奇跡」

判決を待つ間、エレナは村の外れにある牢に入れられた。


 石造りの小さな部屋だった。窓はなく、鉄格子の隙間から、僅かな光と風だけが入ってきた。看守は、村で唯一、裁判の後も彼女に必要以上の言葉をかけなかった男だった。憎むでも、恐れるでもなく、ただ職務として鍵を預かっているだけの男だった。


 三日目の夜、その看守が、格子の前に膝をついた。


「頼みが、ある」


 声は、押し殺されていた。


「息子が、高い熱を出している。もう二日、下がらない」


 エレナは、格子の向こうの男を見た。


「誰にも、知られないように」


 男の目には、恐怖と必死さが同時にあった。裁判で魔女とされた女に助けを求めることが、どれほど危ういことか、彼自身が一番よく分かっていた。それでも、他に頼れる相手がいなかった。


「柳の木は、この辺りにありますか」


「川沿いに、何本か」


「皮を剥いで、持ってきてください。できるだけ若い枝のものを」


 男は、その夜のうちに川へ走った。


 エレナは、格子越しに渡された樹皮を見て、量と煎じる時間を伝えた。濃く煮すぎないこと。冷ましてから飲ませること。一度に多く与えず、少しずつ、日に何度も。それは、トーマスのときと同じ手当てだった。


 男は、言われた通りにした。


 三日後の夜、再び格子の前に現れた男の顔は、それまでとは違っていた。


「治った……熱が、下がった」


 エレナは、小さく頷《うなず》いただけだった。


「よかった」


 男は、しばらく黙って彼女を見つめていた。それから、震える声で言った。


「やっぱり……お前は……」


「違う」


 エレナは、遮るように言った。


「私は、何もしていない。薬の作り方を、伝えただけ」


「だったら、なぜ治った」


「身体が、治したの」


 男は、その答えを理解しようとした。だが、理解というものは、時に恐怖の前では役に立たない。牢の中から、姿さえ見せずに、子どもの命を救ってみせた女。彼の目に映っているのは、もはや薬草に詳しい隣人ではなかった。


「格子の向こうから、治してみせるなんて」


 その一言で、男の中で何かが決まってしまった。


 エレナが繰り返し否定した言葉――奇跡ではない、魔法ではない、ただの手当てだ――そのすべてが、かえって彼の確信を強めていった。奇跡を起こした者ほど、それを否定するものだ、と。


「このことは、誰にも言わない」


 男は、そう言った。


 エレナは、答えなかった。


 彼女が頼んだわけではない。それを人に知られてはいけないことだと判断したのは、男自身だった。その判断の中に、既に答えが出ていた。彼の中に残った畏怖《いふ》だけは、隠しようがなかった。


 牢の外には、変わらず判決を待つ人々の気配があった。


 エレナは、暗い牢の中で、格子越しの僅かな月明かりを見つめていた。


 助けても、罪になる。


 助けなくても、罪になる。


 それでも、目の前で苦しんでいる子どもを、見捨てるという選択肢は、彼女の中には最初からなかった。


 それが、彼女という人間の、変えようのない形だった。


第9話 完


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。