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番外編その5「天才理論とその周辺」

 夏祭りの熱気と喧騒が辺りを覆いつくし、その波に誰もが飲み込まれていく。


 火事と喧嘩は江戸の華、ではないが。祭りでは多少の揉め事や言い争いなんかは日常茶飯事で、特に誰も気にしない。人が増えるほど、その傾向は顕著になる。

 おかげで、睨み合う俺達も周囲からそれほどの注目を集めていなかった。

 不幸中の幸いだ。注目されれば、花梨が更に怯えることになってしまうから。


「誰って聞いてんだけど」

「小町! ピアノどこだ!?」


 睨みつける俺を無視し、長髪を適当に結んだ小柄な男は花梨だけを見つめている。

 正直、かなり不愉快だ。


 顔には覚えがある。『Gift』の一員で、確か不破とかいう名前だったはず。マルタオフィス所属の新しいアイドルグループは夏の話題を独占していて、俺も株主として気に留めてはいた。

 烏丸グループ後継者として云々、と言われて一応やっていたことが役に立ったのは久しぶりだ。


「お前、不破 遼輔だろ。自分から名乗れよ」

「……お前、誰?」


 そこでようやく俺の存在に気づいたかのように、胡乱な目でこっちを見上げてくる。

 身長差は大体20センチちょいくらいか。年齢にしては少し小柄で、顔もやや童顔より。

 小生意気さが先立つ感じで、そこも気に食わない。


「烏丸ラルフ」

「あぁ、烏丸のお坊ちゃんか。失せろ、興味ない」


 心底興味がないのを示す冷たい目で一瞥し、すぐに花梨に向き直る。

 ヤベー奴だ、とすぐわかった。興味がないものにはとことん冷淡で、興味があるものにはバカみたいに執着する。所謂天才タイプと呼ばれる奴で、実力が伴えば手に負えない変態になる。

 我知らず眉をひそめ、視線を遮るように花梨の前に立った。


「……邪魔なんだけど」

「花梨に何の用だ?」

「だからあんたに用はないって」

「こっちもお前に用はない」

「オレは小町に用があんの!」


 ダメだ、話にならない。

 とっとと離れたくてハル達の様子を窺えば、二人して早足でどこかへ歩き去っていた。護堂が後を追おうとしてもたついてるから、何かあったのだろう。


 それなら、こっちも遠慮はいらない。

 花梨の手を掴んでさっさと立ち去ろうと、


「……不破くん?」


 恐る恐ると言った感じで囁かれた名前に、俺は動きを止め不破は目を輝かせた。

 本当に知り合いなのか。だとしてもこのタイミングはちょっとキツい。


「小町! ピアノはどこだ!? 今のオレはお前より上手いぞ!」


 うきうきした声に頭が痛くなる。

 こいつ、自分の方が上手いと言っておきながら花梨の演奏を聞きたくてたまらないって顔してる。最悪なタイプのファンだ。

 つーか、花梨のピアノを知ってるってことは昔の知り合いか何かか。俺が知らないってことは小学校とかそのくらいの。


 ふと視線を落とした先に見えた花梨の顔は、色が抜け落ちていた。


「うん、そうだね」


 何の感情も読めない顔で花梨が頷く。

 呆気にとられた顔をする不破に微笑みかけ、


「私、ピアノ止めたから。不破くんの方が上手いと思う」


 真剣な時にしかしない口調で、そう言った。

 バカみたいに口を開けていた不破の目に炎が宿る。


「なんでだよ!? ピアノ止める? お前が? なんで!?」

「友達と一緒の時間が欲しかったから」


 張り付けたような笑みのままの花梨に、不破は理解不能の生物を見るような目を向けた。

 何を言われているのか分からない、と顔に書いてある。


「なんで? そんなもんどうでもいいだろ? お前は凄いんだよ! オレより凄かったんだよ! そんな奴がピアノ止めていいわけないだろ!?」

「ごめんね。でも、もう弾かないと思う」

「はぁ!? なんで!?」


 平行線の花梨と不破。

 理解する気がない……というより、本当に理解できないんだろう。あいつの頭の中では花梨の言い分は辻褄が合わないんだ。


 言葉は分かっても、理屈として通らない。だから理解できない。

 1+1は2だ。花梨の言ってることは、不破にとって1+1は3だと言われたようなものなんだろう。

 どうしようもない。


「理由は言っただろ。記憶力ないのかよ」

「割り込んでくんな! 常識のねぇ奴だな!」

「話になんねぇ」


 ため息をついて、花梨の手を取った。

 立ち去ろうとしたのが分かったのか、不破が手を伸ばしてくる。

 いい加減に頭に来て、ぶん殴ろうかと振り向き、


「てめぇ不破! いい加減にしろ!」

「ぐぇっ」


 アヒルが首を絞められたような声を出して、不破の手が止まる。

 視線だけでそちらを見やれば、同じグループの市松がチョークスリーパーのような形で不破の首に腕を回していた。


「勝手にうろちょろしたと思ったら喧嘩吹っ掛けてやがって! 頭おかしいのかてめぇ!」

「ちょ、くび、離せ!」

「もー我慢ならねぇ、このまま引っ立てて説教だ! マルタの社長も呼ぶから覚悟しろ!」

「お、おっちゃんはやめろ!」


 うるせぇ、と市松が腕に力を込めて不破を引きずっていく。

 見かけによらず案外力があるんだな、と思っていたらいつの間にか近くにいた東山が頭を下げてきた。


「すみません、ラルフさん……ですよね? ご迷惑をおかけしました」

「あぁ。あんたらも大変だな」

「そう言って頂けると……すみません、後日改めてお詫びに」

「いいよ、そういうのは。俺は親父じゃねぇんだから」


 そう言って手を振ると、東山は申し訳なさそうに苦笑してもう一度頭を下げて去っていった。

 『Gift』の出だしは順調だと聞いてるけど、あの様子だとこの後が大変そうだ。不破が何か問題を起こさなきゃいいが。


 ま、あいつらのことはあいつらが何とかすりゃいい。

 視線を切って、少し力を込めて花梨の手を握った。


「行こうぜ。花火が始まっちまう」

「うん」


 花梨は静かに頷いて、俺の横にぴったりとくっついて歩く。

 これは、ちょっと、けっこーまずい。

 今までも花梨はそれなりにあけすけに好意を示してくれていた。それでも一定の距離は保っていたし、べたべたとくっつくのは白峰だけだった。

 でも、これは。


 白峰だけが許された領域に、俺が初めて足を踏み入れたような気がする。

 歩幅を合わせようとすると俺がつまずきそうになるので、花梨が三歩歩くうちに一歩歩くよう気を付ける。

 ゆっくり、ゆっくり。花梨の速度に合わせて、烏丸の屋敷から出て河川敷に向かう。


 横目でこっそりと花梨の様子を窺う。

 淡い桜色の生地に花弁が散らされた浴衣は、花梨のお気に入りだ。

 桜のモチーフが好きで、小物や柄を選ぶ時は桜に関連したものを選ぶ。梅のような紅が似合う白峰とは対照的に見えて、互いによく映えている。

 まとめられた髪は後ろでお団子になっていて、おくれ毛がうなじにかかって少し色っぽい。


 隣に白峰がいるせいで可愛らしい側面ばかり強調されるが、花梨にも色気はある。大学生にもなれば、そのことに気づく奴らも出てくるだろうか。

 その想像は、さっきの不破程度には不愉快だった。


 祭りの気配は、烏丸の屋敷を出るとだいぶ薄れてくる。屋台の掛け声や人の笑い声が減るからだろう。

 それでもそこら一帯にはぽつぽつと屋台があるし、人の流れもある。楽しそうに行きかう人々の数こそ屋敷内より少ないが、祭りの空気が失われたりはしない。

 何も人混みにもまれて騒ぐばかりが祭りじゃない。喧騒を嫌う人達が静かな祭りを堪能するのにちょうどいいくらいだ。

 近くの屋台からたこ焼きの焼ける音とソースの匂いが漂ってくる。


「何か買うか?」

「ううん、いい」


 小さく首をふる花梨に頷き返し、手を繋いだまま歩く。

 河川敷に近づくにつれて少しだけ人の数が増えてくる。花火を見に集まってきているのだろう。この辺りで見通しが良い場所といえば河川敷だから。

 友達連れやカップルとすれ違う度、花梨の手に力がこもる。


 そういえば、ハル達は大丈夫だろうか。後でチャットを送ればどうとでもなるか。

 あいつらも河川敷に向かってれば話は早いけど、見つけようという気にはならなかった。


「不破くんは、コンクールでよく一緒になったの」


 ぽつりと呟かれた言葉を聞き洩らしそうになって、意識を集中した。

 繋いだ手が、ほんのりと汗ばんでいる。


「小学校の時は同じ先生に習ってて、それで知り合ったの。ピアノがすごくうまくて、先生もいっぱい褒めてた。不破くんはどうでもよさそうだったけど」


 そうだろうな、と思う。

 あいつは誰かに師事すること自体嫌だったんじゃないだろうか。好き勝手にやりたいってやつに見えた。


「私のピアノがすごいって褒めてくれて、嬉しかった。不破くんは競争相手って思ってたかもしれないけど、私はピアノ好きな仲間だって思ってた」


 間違いなくピアノ好き仲間なんて優しいものに対する反応じゃなかった。

 花梨のこういうところが好きだけど、目を離せないところでもある。


「中学になってコンクールでも全然会わなくなって。見た目も面影はあったけどだいぶ変わってたからわかんなかった」

「そうか」


 失敗を誤魔化すように笑う花梨に頷き返し、握る手に力を込める。

 ピアノに関することは、忘れたかったんだろう。思い出として取っておくことの方が辛いこともある。

 傷が癒えるまでは、忘れておいた方がいいことだってある。

 花梨がもう一度好きだったピアノを弾けるようになるためにも、そうして欲しい。

 ただ、それでも、過去はなかったことにはならない。今回はそれが不破という形で出てきたのかもしれない。


 昔の花梨を知っていて、今の花梨を知らない奴。

 迷惑な天才。

 めちゃくちゃ厄介な相手が出てきたもんだ。


 過去にいつかは向き合う時がくるとはいえ、別に今でなくともいいだろう。たった二年程度じゃあまりにも短すぎる。

 それでも、待っちゃくれないのが人生ってやつなのかもしれないが。


「河川敷、ひーちゃん達来てるかな~?」

「どーだろーな、向こうもなんか大変みたいだったし」


 何かあったのかと首を傾げる花梨に、後で話すと返して空を見上げる。

 今は花火に集中したい。


 河川敷は既に人がちらほらいて、なるべく周りに人がいないところに陣取った。

 市内を流れる川はお世辞にも綺麗とはいえないが、視界の端に映る道路橋を通る車のライトと合わせて風情はそれなりにある。

 背の低い草と土の地面はコンクリートに慣れた足裏に非日常の感触を伝え、周囲に見える浴衣姿の人々も日常とは呼べない空気を作る一助となっていた。

 行政が設置したスピーカーから音が鳴る。


『花火まであと少しです。道路では中央で立ち止まらず、必ず端に寄りましょう』


 このアナウンスが流れれば、花火まであと五分もない。

 握った手の温かさを感じながら、じっと空を見上げた。


 過去に向き合う時が来てしまったとして。

 そんな花梨に、俺は何ができるだろうか。

 隣の花梨も俺も何も言わないまま、花火が始まった。


 夜空に大輪の花が咲き、ぱらぱらと散っていく。

 中には桜の花弁の形をしたものもあり、喜んでいるだろうかと思ってふと隣を見た。

 花梨の顔が、七色の光に照らされていた。

 真っ暗な中で、花火の光がぱらぱらと遠い目をした彼女の表情を浮かび上がらせては消えていく。


 彼女がいなくなってしまうような気がした。

 花火の光に、その後に来る暗闇に、飲み込まれていくような。

 そんな根拠のない衝動が、胸を支配した。


 気が付けば、握った手を引いていた。

 花梨が驚いてこちらを見る。

 丸く開かれた瞳に映るのが自分しかいなくて、ほっとした。



「好きだ」



 言うしかなかった。

 それ以外、俺にできることはなんにもなかった。


「どこにも行かないでくれ」


 懇願するようなその言葉が、俺の精一杯だった。

 見開かれた花梨の瞳に映る俺は、ひどく情けない顔をしていた。




――中学三年の、夏だった。

 花梨が特別に先生から鍵を預かっている音楽室で、呼び出された俺と白峰の前で胸に手を当てて宣言された。


「わたし、ピアノ止めようと思う」


 窓から差し込む夕日が、花梨の姿を明暗の中にくっきりと浮かび上がらせる。

 赤く染まる顔は紅潮しているのか、それともただの光の加減か。

 真剣な花梨の目は、興奮しているようにも諦めているようにも見えた。


「どうして?」


 俺が聞けなかった一言を、白峰はあっさりと口にした。


 花梨は、ピアノが好きだ。

 暇があればピアノに触っているし、家にも専用の部屋がある。その熱心さに感動した音楽教師が、好きに出入りできるようにと鍵だって渡されている。

 本人は、ただ好きなんだと言っていた。

 色んな音が響きあうのが面白いし、それで色んな気持ちになるのが楽しい。どんな気持ちにどんな音が合うのか考えるとウキウキするし、聞いた人に想いが伝われば嬉しい。


 そう言って、ピアノを弾いていた。

 それなのに。


「私が弾くと、誰かが不幸になるから」


 あんまりにもあんまりな理由だ、と思った。

 ピアノを弾くだけで誰かが不幸になってたまるものか。それは思い込みが過ぎるんじゃないだろうか。

 俺が、一人で勝てると思いあがるのと同じくらいに。


「そうなの?」


 白峰が顔色一つかけずに聞き返す。

 こいつは花梨の親友のはずなのに、なんでこうも動揺しないのだろうか。

 冷徹な奴だとは思っちゃいないが、こういうのを目にするとどう思っていいのか分からなくなる。


「この前のコンクールで二位だった子が泣いてた。一生懸命練習したのに、って。教えてた先生と一緒に。すごく努力する子なんだって私の先生が教えてくれた」


 不幸についての話、だろう。

 ちらりと盗み見れば、白峰が黙って耳を傾けていた。


「私なんて、コンクール前くらいしか先生に習って練習しないのに。一位になりたくて練習したわけじゃない。ただ、沢山の人に聞いてほしかっただけ」

「コンクールに出なければいいんじゃない?」


 花梨が首を横に振る。


「弾いてたら、誰かがコンクールに出ないかって言う。出ないって言えば、その人はどうしてって思うし、言う。私、辛いよ。出ない理由を話すのも、それでどんな反応をされるのかも」


 そうだろうな、と思う。

 花梨ほどの腕があってコンクールに出ないとなればガッカリする人もいるだろう。理由を聞いて怒る人も悲しむ人も理解できない人もいるだろう。


 どれも、不幸と言えば不幸だ。

 そして、それを聞かれて見てしまう花梨も。

 誰かが不幸になる。確かにそれは間違っていない。


「……家や私達の前だけなら?」

「中途半端に弾くと、弾きたい気持ちを我慢するの辛くなるから」


 悲しそうに笑う花梨に、そう、と呟いて白峰が目を伏せた。


 その気持ちは分かる。

 俺も、半端にサッカーをやるくらいならやめる方を選ぶだろう。止めて、封印して、何もなかったように過ごした方がいい。

 わずかにでもサッカーに関わっていた方が、辛くなる。

 花梨も、そういう気持ちなんだろう。


「分かった。花梨がしたいようにすればいいわ」


 傍から聞いていると冷たさしか感じないことを言って白峰が立ち上がる。

 あんまりな言い方に口を開こうとして、すぐに閉じた。

 白峰が早足で花梨に近づき、抱きしめたから。


「大丈夫、私がいるからね」


 まるで二人が一つになるように力強く抱きしめる。

 花梨の顔がくしゃりと歪むのが見えて、俺は視線を逸らした。

 夕日が照らす音楽室に、花梨の泣き声が響き渡った。



 音楽室での話し合いの後、部活に戻って日が落ちるまで練習し、帰ろうとしたところで。

 校門に寄りかかるようにして花梨が待っていた。


 慌てて近づけば、一緒に帰ろうと誘われ、断る理由もないので頷いた。

 とはいっても、夏の日が落ちる時間だ。彼女を家に送ってから帰るのがいいだろう。

 少しばかり他愛ない話をかわして、


「ひーちゃんに言えなかったことがあるんだ」


 と、彼女はそう言った。

 音楽室での話の続きだと察して、黙って続きを促す。


「ひーちゃんには言わないでね。言ったら怒るから」


 あいつが花梨に怒るところなんて想像ができないが、本人が言うならそうなんだろう。

 ひとまず頷いておく。

 それを見てほっとした顔をして、彼女は話し始めた。


「コンクールに行く度にね、色々言われるの。『天才はいいね』とか、『今回も一夜漬けなの?』とか。適当にやっても一位取れるくせに真面目ぶって、とかも言われた」


 ……何も言えなかった。

 俺に取っても、聞き覚えのある悪口だったからだ。

 本当によく言われた。それこそ小学校の時から、飽きるほど聞いた文句。


「センスだけで選ばれるなんてやってられない、とか。神様のえこひいきで勝って嬉しい? とか。もうコンクール行きたくないし、ピアノに触れてる限り絶対言われ続けるからやめようって思ったの」


 嫌でもわかる。こいつの言うことは正しいって。

 俺もサッカーに関わり続ける限り、似たようなことは言われ続けるだろう。


 それでも続けるか、止めるか。それは、人それぞれだけど。

 花梨はスッキリした顔で笑った。


「ありがとう、聞いてくれて。スッキリしました~!」

「今の、白峰に話しても怒らないだろ」


 そう言った俺に、彼女は首を横に振った。


「ひーちゃん、言った人たちにすごく怒るから。ケンカしにいっちゃうよ」

「あぁ~……それはありそうだ」


 でしょ? という花梨と顔を見合わせて笑う。

 白峰なら、本当にそのくらいやりかねない。あいつは本当に花梨を大事にしているから。


「わたし、楽しいからピアノを弾いてたし、喜んで欲しいから聞いてもらってたの。嫌な気持ちになりたいわけでもさせたいわけでもないから」

「それは夕方に聞いたな」


 うん、と花梨が頷く。


「だから、このことはひーちゃんには内緒。わたしとラルフくんだけの秘密だよ」

「おぅ、分かった」


 笑いあって、軽く拳をぶつけ合う。

 二人だけの秘密。そのことに、少しだけ胸が躍る。

 白峰には言えないこと。俺には言えること。

 それがなんだか嬉しくて、その日は終始顔が緩みっぱなしだった。


 才能とかセンスとか何とか言われちゃいるが、そんなもんがあろうができないことは結構多い。

 そして、そのできないことが、やりたいことである場合だってある。

 例えば、俺にとってはチームの一員になりたいってことだったり。

 それが叶うチームがあってほしいと、ずっと願っている。



 その願いが高校で叶うとは、その時に俺は少しも思っていなかった――




 昔の夢を見た。

 ぼーっと余韻に浸りながらむくりと上半身だけベッドから起こす。


 ゆっくり頭の中が覚醒していくにつれて、昨日の事が思い出される。

 特定のシーンが頭の中で再現され、瞬間的に頭を抱えた。


「うがぁぁぁ~~~~~~~~~~~~っ!!」

「うるさいですよ、坊ちゃん」


 頭を叩かれ、唸り声が止まる。

 じろりと睨み上げれば、(きょう)がハリセン片手に白々しい顔をしていた。


「てめぇ、いきなり叩くなよ!」

「坊ちゃんが人間を止めようとするからです」

「止めてねぇよ!?」

「獣の雄叫びでした」


 言われて腹が立つものの思い当たる節があるので堪える。

 知性も何もかも放り出したいと思ったのは確かだ。ため息も出ない。


 昨日、あの後は花火が終わるまで互いに無言で、終わってからはチャットでハルと連絡をとって合流して全員家に帰った。

 告白の返事どころか、反応すらも貰えていない。いや、一応茫然として無言だった、という反応もらえたか。いやそれもらえたって言うか?


 自分のしたことに後悔はない。ないが、急に付き合うってのも何か違うとは思ってる。

 俺はただ、花梨の力になりたいだけだ。過去と対峙する必要があるのなら、その時に傍にいたいし力になりたい。

 その為にはああするしかないと思ったが、それで今の関係性が変わるのもちょっとどうかと思う。


 なんだか勇み足だった気がしなくもない。いやでも、不破の野郎から花梨を守るにはああするしか、

 スパコン、と頭を叩かれた。


「喬ぉ!!」

「顔を洗ってきてください。天下の烏丸家の長男が目ヤニだらけでは示しがつきません」

「そんなにひどいのか!?」

「顔中真っ黒でございます」


 100%嘘だと分かる喬の言葉に反発する気もわかず、ベッドから降りて洗面所に向かう。

 部屋に備え付けの方で顔を洗い、着替えて食堂へ。行かないと喬がコックが云々と変な泣き落としを仕掛けてくるのだ。

 まるでマンガに出てくる貴族の家みたいに無駄に広い食堂はスルーして、皆が使っている方に入る。


「おっす、おはよう」

「あら坊ちゃん、おはようございます!」

「今朝は少し遅かったですねぇ」


 苦笑いを返して、いつもの席に座る。

 隣には澄ました顔をした喬が座り、


「いいですか、坊ちゃん。こんな自由が許されるのも高校生までですよ」

「分かってるって、大学に入ったら向こうを使うよ。親父に連れまわされる覚悟もしてる」


 小言を右から左に流し、温かいスープと野菜を腹に詰め込んだチキンを頬張る。

 喬はいつもなんだかんだと言いつつ一緒に飯を食ってくれる。家族と一緒に食卓を囲む経験が極端に少ない俺にとって、一番家族に近い存在だ。

 それ以外にも、幾つか感謝はしてるけれども。


「美味いなこれ」

「坊ちゃん、口元を汚さないように」


 指摘しながらナプキンで口を拭かれる。

 これがめちゃくちゃ嫌で、以前やめろって言ったら『坊ちゃんが綺麗にお食事できればやらずに済みます』とかぬかしやがった。

 最近はやられなくなったんだが、ちょっと昨日の事に気を取られすぎていたらしい。


 食事を終え、食器を自分で流し台に持っていく。

 これも、大学に入ればできなくなることだ。


「今日はどうなさいますか?」

「んー……そうだな、とりあえずトレーニングしてから考える」

「かしこまりました」


 頭を下げる喬と分かれ、自室に戻る。

 自由にできるのも、高校生まで。大学生になれば、跡取りとして本格的な教育が始まる。

 サッカーは続けさせてくれるが、今みたいにそれが中心の生活とはいかない。

 それは、納得済みのことだ。


 サッカーは大好きだけど、今みたいにチームに恵まれるとは限らない。それに、両親の期待に応えたい気持ちも嘘じゃない。

 花梨と同じだ。楽しいからサッカーをしている。プロになるのも有名になるのも結果であって、別にそれが目的じゃない。


 だから、どちらにせよ、高校生までなのだ。

 花梨とのことも、高校の間にケジメをつけなきゃいけないことでもある。


 昨日のは、良いきっかけと思えばいい。

 そうして自分を納得させて、トレーニングウェアに着替えた。

 こういう時はとにかく動いて頭を空っぽにするのがいい。そうすりゃ、いい考えも浮かんでくる。

 ストップウォッチやらの器具を持ってきた喬と合流し、敷地内のサッカー場へと走って移動した。


 なるべく早く、頭の中が真っ白になるように。

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