大学の日々Ⅱ ‐2
与破音の振る舞いは、最初こそ彼が空気を読まずに騒ぎ立てているだけだと思っていた。
「神里、これ一日で配ってこいよ。みんなの幸せが掛かってんだからな。あと、これは法師様の書かれた神聖なものだから、地面につけたら万死だぞ」
ある日、いつもの十倍近い量のビラを渡され、紙袋二つにぎっしり詰められた束をわたされた。とても無謀な量である。
「神里、お前喋りたいだろ、ミサの後残ってけ」
またある日、そう言われた後に与破音が公民館から出てきたのは終電後だった。
「神里、新しく刷ったビラが半分以上なくなってんだけど、お前、捨てたよな?」
前日に馬鹿みたいな量を彼に配らせたことを知らない筈がなかったが、別の会員からその日一日中執拗に責められた。
月を重ねるごとに、他の会員達の態度は変わっていった。実際、与破音の空気を読まない発言は最初のひと月くらい。ミサの度に与破音は精神をボコボコに叩かれ、以降はまるで抜け殻のように席についていた。
「ぁぁ、世界を、救わなくちゃ。ぁあぁ、ぁ」
「与破音、もうやめようぜ。みんなの幸せがどうとだか、もういいだろ」
「のろくん、やめろだなんて君までそんな事いうのか、僕はやめない。世界を……、救う」
そんな彼に手を差し伸べる者もいなければ、声に耳を傾ける者もいなかった。
そして、数ヶ月後のことだった。
「君たちバイトってしてるよね? 今月から給与明細提出ね。流石に学生さんから社会人みたいにとれないから、協力金の割り当ても、そのバイト代から四割ってことで」
「はい?」
会計担当に不意に声を掛けられた。突然の事に、横で聞いてた輪音は口をぽかんと開けていた。
「いやいやちょっと待ってよ、ウチが汗水たらして稼いだ金なわけですけど?」
「けど、何? 世界平和協力基金なのだが?」
「そ、そうかも知れないですけど、でも……」
「でも? でも何? 恵まれた国に生まれて君は幸せだが。そのほんの少しも貧しい友達の為に幸せを分けるのは嫌だって、そう聞こえるのだが?」
「え、いや、そうは言ってません……けど」
「けど? けど何? ん?」
「……、すみません」
会計担当の男の顔が大きく迫り、輪音は黙って頷いた。横には顔に青あざを付けた与破音、ここで文句を続ければ、どうなるかなど容易に想像がついた。
この頃から、この団体の性質については正しく認識できていたと思うが、当の会員達は不満のひとつもないようだった。まるで一つの生命体のような強力な結束の中、自分達だけが癌細胞のように、組織を蝕んでいるようでならない。
「これはいけませんね」
そう言って、たまたま通りかかったのは紫の袈裟をまとった僧侶。神密教を世界に広めた人物、法師是雲だ。この方こそ〈ヒトと地球の未来を考える会〉の会長。この団体の中に限らす、世界のあらゆる地域の人間から尊敬を集める。まさに聖人と言うに相応しい人格者だ。更にそれに加えて、龍を召喚するとか、瞑想して飛翔するとかなど数々の伝説的逸話を残し、霊能者的な側面から見ても目を離すことの出来ない存在である。
実際この方に声を掛けて頂く事自体が、通常ありえない奇跡のような尊い徳であった。
「ぜ、是雲法師。これは、どうしてここに……」
「わたくしは、みなを救いたいのです。世界の友達みなを。飢えや紛争、いまもどこかで子供達が泣いています。わたくしは悲しい」
「そ、そうですよね。法師様」
「ご協力、していただく事は叶いませんでしょうか」
「は、はい」
「ともに祈りましょう。世界中の友達のため」
迎えた某日、遂に与破音が首を吊った。その数週間前より与破音はしきりに死にたいと口にしており、自殺の傾向は十分に見られたと思う。しかし止められなかった。いや、彼にとっては死を引き留められることの方がよほど苦痛だったのだろう。周囲からの陰湿な攻撃と無関心に与破音は限界を超えた。
以降、輪音と揃って〈ヒトと地球の未来を考える会〉を退会した。それから少しは交流があったが、何を喋っていたかも碌に覚えていない。あらゆることが虚無でしかなかった。そのまま大学も中退し、引きこもりとなってからは輪音とは完全に関係が切れた。彼女と居ても与破音のことで胸が痛むばかり。きっと彼女も同じだろう。
そして、時は今になる。
神里輪音と再会の約束をとりつけた。残念だが、今回は故人を悼む会にはできそうもない。こちらの目的は彼女の在籍する名古屋港湾大学の教授、ロイ・マクスウェルの情報と、もしくは学生証を借りれればと企んでいる。キャンパスに潜入すれば何かしら足取りを掴むヒントがあるだろう。
夜は深みを増して二十二時、尾張中京都にかかる一番東の終点駅で落ち合う予定だ。
駅前のロータリーにバイクを止め電車の到着まで時間を潰していると、間もなくして彼女は駅に到着した。
「おや、ほらご覧よ、そのリンネとやらだろ? あっちで君の方に手を振っている女」
右那はそう言って駅口の方を顎で指す。そこにいたのは紛れもなく彼女、あの時と変わらぬ神里輪音だった。
「おーいこっちだよ~。セックスフレンドのおねえさぁ~ん」
突然何を出すかと思えば、右那は両腕をぶんぶんと回して手を振りかえした。
「ちょっとその口閉じろ」




