後編
「エディオ様っ。なんですかこれ、一体いつ何故こんな状況に!?」
「ごめんね。星空の下とかロマンチックかなと思ってさ、転移して浮遊魔術使ったんだけど、事前に言うべきだった。絶対に落ちないから大丈夫だ。信じて」
「は、はい」
風を操る浮遊魔術はともかく、転移なんて空間魔術はこの国で使えるのなんて五人いるかいないかのもの凄く難しいもののはず。
それを詠唱も魔術陣もなしに、一瞬で発動させるなんて。
彼がどれほどに優秀な魔術師なのか、初めてこの身で理解した。
「大丈夫。絶対に落とさないよ」
大丈夫と言われても、怖いものはこわい。
恥ずかしさよりも恐怖が勝ってしまって、リーリアは唯一の頼りであるエディオに縋り付てしまう。
「っ」
エディオが息を呑んだのが聞こえた。
「……近すぎるな」
「え、すみません! 私ったらはしたなく縋ってしまって」
「いやいい。いいんだ。問題ないから。安心できるならそのまま抱きついていて」
「……はい」
とにかく空中は怖いので、恥ずかしさより掴まっていたい。
許してもらえるならとリーリアはそのままエディオに身を寄せた。
「リーリア、落ち着いたら周りを見てごらん」
「…………」
そう促されて、少し間を開けてから周りを見てみる。
「わぁ……!」
頭上は、遮るものの何もない満天の星空と大きな三日月。
足元はところどころ灯火の焚かれた王都が広がっている。
今まで一度も見たことのない、きっとエディオがいなければ見られなかった雄大な景色だ。
「とても綺麗です。本当にすごい……」
「だろう? この景色が、私は一番好きなんだ。仕事が行き詰った時とか、息抜きにこうして飛んで眺めてる」
「エディオ様ほど優秀な魔術師でも、行き詰ったりするのですか」
「するよ。陛下は無理難題を持ってくるのがお好きだからね。まったく困ったお人だ」
「……お疲れ様です」
一緒に国王についての愚痴を言い合えるはずもないリーリアは、そう返すのが精一杯だった。
なんの面白味もない返答だったのに、エディオは面白そうに吹き出してしまう。
「ふっ。うん、有難う。……ねぇリーリア。今夜私が君を誘った理由なんだけど」
「はい」
「実はずっと、リーリアに話しかける機会を伺ってたんだ。前回も、前々回の夜会でも、話しかけようとしてたけど結局しり込みしてしまって……でもやっと今日、勇気をだして声を掛けられた」
「え……?」
エディオは、とても真剣な表情でリーリアを見つめてくる。
そして更にとんでもないことを言い出した。
「リーリア。好きなんだ。よかったら君と結婚させて欲しい」
「…………は?」
ぱちぱちと、リーリアは大きく目を見開いた。
自分は一体、何を言われているのだろう。
(一夜のお相手は……恥ずかしながら想像してしまっていたわ。いえしないれど。流石に断るけれど。……でも、求婚? きゅう、こん……?)
「なぜ?」
本当に、ただただ疑問だった。
だってリーリアには、彼から好かれる理由はない。
伯爵令嬢という立場なんて、もっと上の地位を持つ彼にはいらないもの。
容姿も茶髪に茶瞳に、平凡な顔立ち。
得意なものと言えば編み物と刺繍くらいな、目立つところのない娘だ。
「なぜ、私を……」
と言いかけて、はっと気付いてしまった。
(あ、そういう口説き文句なのね?)
口の軽い人は「好き』や「結婚しよう』を、冗談のごとく簡単に言うのだと聞いた事がある。
今目の前にいるエディオからはそういう軽い雰囲気は感じられないけれど、噂に聞いていた彼はそういう人だ。
(駄目ね。浮かれすぎてるわ……落ち着いて、本気で好かれてるなんて思い込んではいけないわ)
彼との関係は今夜きりのダンスだけ。
これ以上に仲良くするべき相手ではないのだと思い出した。
「え、えと、冗談はよしてくださいな。私、そういうのに慣れていないので」
「本気だよ」
「っ」
背中を抱く腕に、ぎゅっと強い力が入った。
これは冗談だと、笑い飛ばせる雰囲気ではない。
怖い程に真剣で、まっすぐな目が貫いてくる。
エディオの緊張に強張った表情には、「どうか断わらないで」と懇願するような想いさえ見え隠れする。
リーリアは混乱してしまう。
(これは嘘。絶対に嘘。私なんかに彼は本気にならない)
絶対に、手慣れた口説き文句なのだ。
本気にしてはいけないと、リーリアは必死に自分で自分に言い聞かせた。
そうしないと本当に、後戻り出来なくなってしまうから。
でも、本気だったら?
本気で自分のことを好きでいてくれてるのだったら?
(ううん。そんなのありえない。いつも吐いている口説き文句よ。この夜空も、きっといろんな女性と見に来てるはず)
懸命に自分の欲と、現実との間で闘っているのに、エディオは追い打ちを掛けてくる。
彼の言葉は、ぐらりぐらりとリーリアの理性を揺らがせる。
頭がふわふわする。
あこがれていた金色の髪が、目の前で風に揺らいでいる。
吟遊詩人かと思う程に、耳と頭に残る柔らかな声で名前を呼んでくれている。
絵に描いたような「憧れの王子様」として眺めていた人が視界の先にいて、求婚までされている。
こっそり、本当にこっそり憧れていた。
きっと顔どころか名前さえも覚えて貰えてないと思っていた人が、こうして近くにいる。
「教えてください」
駄目だと思うのに、すぐに断るべきなのに、リーリアは口をひらいていた。
断りの言葉ではなく、先へ続く台詞を。
「なにを?」
「どうして、私に求婚なさるのですか。どこを良いと思ってくださってるのですか」
たぶん、遊びだ。求婚も冗談だ。
それでも、あの沢山の女性がいる中で、どうして自分が今夜声を掛けられたのかを知ってみたかった。
「……きっかけは、君のたぐいまれな魔力に気づいたこと。綺麗で真っ直ぐな魔力でいいなって。少し鍛えればかなりの魔術師になるだろうなって。言われたことない?」
「あります」
リーリアの祖父は、今エディオがついている役職と同じ、国王付き魔術師団団長だった。
祖父の魔力と良く似た性質をもっていると、何度か魔力を見る事ができる能力をもった人に指摘されたことがある。
「それで、半年くらい前から目を付けていたんだ」
「は、半年前!? そんなに前からですか」
「うん。魔術師の道に引き込めないかとね。うちの団、人手不足だから。でもソルベージュ伯爵は娘に働かせるなんて考えないタイプだろう? よくて行儀見習いに城に侍女として上がらせる程度で、魔術師としてなんて絶対無理だろうなって」
「そうですね」
『魔術師』というのは『魔術を使える人』を指すのではなく、職業名なのだ。
見習い期間ののちに試験を受け、そうして国に認められた人だけがなれる国家資格職業。
貴族の女性が職をもつというのは、この国では余りないこと。
リーリアも教養として基本的な生活魔術を習った程度で、仕事として成立するほどの専門的な魔術を習得しようとはしてこなかった。
「でもいいな。あの魔力いいなぁって、見てたらさ。やたらとチラチラこっちをみてて、でも目が合うと真っ赤になって顔をそらしたりする仕草が可愛いなぁと思うようになって」
「う……気づかれてましたか」
「あれだけ見られればね」
リーリアが彼に憧れていたのは、知られていたらしい。
恥ずかしさに赤くなるリーリアを、エディオは優しく目を細めて見てくる。
「でもエディオ様に憧れている令嬢はいくらでもいるでしょう」
「……いくらでもいる令嬢じゃなく。リーリアがいいと思った」
言葉一つ一つをかみしめるみたいに、とても柔らかな声音で彼は言葉をリーリアに落としてくる。
「最初は魔力がいいなぁと思って気にしてた。それほどに質のいい魔力持ちは本当に珍しくてね。けれど、そうやって一度気になったらだめだったね。段々とどうしてか、どんなことも、どんな仕草も可愛く見えてしまう。こっちを見てるだけじゃなくて話しかけて欲しいなぁってずっと思ってた。我慢できなくてこっちからいくことにしたけど……うん。声も、こうして近くで聞くとたまらなく心臓にくるな」
「っ……」
少しだけ、ずるいと思う。
だってエディオは、リーリアが彼に憧れていることを知っている。
断りづらいのを分かっていて、求婚の言葉を使ってきている。
(もう……分からないわ。口説き文句なのか、本気なのか)
恋愛経験のほぼないリーリアには、遊び人特有の言葉なのかどうかが分からない。
判断がつかない。
「…………ま、魔術師」
「うん?」
求婚にはうなずけない。
それだけは急すぎて心臓がもたない。
彼の言葉が本当か嘘かが分かるほどに彼を知らない。
むしろ遊ばれている可能性の方が高いのだ。
(でも、好きなの。ずっと好きだったの。憧れの人なの)
この数時間、すべてがリーリアにとって人生で最大の幸せな時間だった。
だからめいっぱい頑張ってみて、ほんの少しだけ近づいてみることにした。
これが本当に、リーリアの精いっぱいの勇気だ。
「……魔術師。の仕事には興味があります」
「うちに来てくれるの?」
うそ。本当は興味なんてない。
けれど少しだけ……少しだけ、近づきたい。
憧れていた人とできた繋がりを、これっきりで切ってしまうのは嫌だと思った。
「大丈夫? ソルベージュ伯爵は反対するんじゃない?」
「説得しますっ!」
自分でもびっくりするくらい、きっぱりとした声がでた。
一度声に出してしまうと、もう止まらなかった。必死になってでも、彼との縁を、どうにか繋ぎ留めたかった。
「絶対、絶対に父を説得します。だからエディオ様。どうか私に、魔術を教えてくださいますか? 求婚の話はええと……そう! お友達からということで!」
「お友達」
「お友達です!」
本当はいけないことだと分かっているのに、沼にはまってしまう自分を馬鹿だと思う。
でも今、こうして触れている憧れがまた離れることが、もうとても怖くなってしまった。
「それ以上の関係は気持ちがもちません。すみません」
「……うん」
小さく笑いが聞こえたと思ったら、次の瞬間こめかみに唇を落とされた。
「なっ!?」
「ははっ。真っ赤で可愛いなぁ。うん、今までの見ているだけの状態からすれば大進歩だ。お友達として、よろしく。あと魔術師団に入ってくれるのも楽しみにしているよ」
「は、はい」
――――その星空の下での求婚の後。
リーリアは勢いのまま一世一代の口論劇を両親と繰り広げ、本当に魔術師団に見習いとして入ってしまう。
上司となった彼は、パーティーで見ていた時とはまるで違った。
仕事に真摯に取り組むばかりの、噂の遊び人とは程遠い姿に、リーリアはますますのめりこんでしまうことになった。
そして仕事の合間を縫って度々誘われるのはデート……ではなくお友達としての外出だ。
最初に食事に出かけた先で力説されたのは『女遊びなんてしていない』という主張だった。
「本当にただの噂だからね? 出世が早かったから、やっかまれて色々流されてるんだよ」
「でもパーティーでいろんな女性と一緒におられますよね」
「あれは全部姉の友人だよ。個人的なつながりはない」
「お姉さま? たしか五人いらっしゃいましたっけ」
「うん。なぜか皆して自分こそが弟の伴侶を見つけるんだ! て張り切ってて。次から次に紹介されて会わされるんだ……どれだけ嫌でも、弟ってのは姉に逆らうという選択肢をもらえ無いものでさ……相性を確かめるために一度はデートしてみろって脅され…いや、頼まれて」
「は、はぁ……大変ですね」
「でも姉に似た苦手なタイプばかりで辟易してた」
「苦手なんですか……その…とても美しくて自信に満ち溢れた方ばかりでしたのに」
リーリアの質問に、カモ肉のロースを食べていたエディオは手を止めると、とろけるような微笑みをこちらにむけてきた。
「私の好みは、目の前にいる清楚でひかえめな美人かな」
「っ」
何度見ても心臓に悪いほど素敵な笑顔だ。
「君以外の女性を美しいとも可愛いとも思ったことはないよ」
「……私たち、お友達ですよね」
「うん。お友達で、今は上司と部下でもあるね。そして絶賛求婚中の相手でもある」
その後、リーリアはエディオに「色々な噂があるけれど、目の前にいる自分を見て、確認してほしい」と真摯にお願いされた。
言葉通り、リーリアは時間をかけて彼を知っていく。
遊び人という噂は、本当に彼の早い出世を嫉む人たちが流しただけだということ。
五人の姉に本当に尻に敷かれっぱなしの末っ子だったということ。
遊び人の噂を外した彼はただの魔術オタクで仕事バカで、リーリアを一人前の魔術師として育てる事だけに時間を使うようになってしまった人だということ。
一つ魔術ができるようになると一緒に大喜びしてくれて。
初めて中級魔法ができたときには涙ぐんでまでくれた。
どこまで魔術に夢中なのだとやきもきするときはあっても、心配していた他の女性への浮気心を疑うような日はまったく来なかった。
自分たちはお互いにただ遠くから見ていただけの関係だ。
知れば知るほどに好きな部分も増えたし、逆に少しがっかりする部分もあった。
でもそれはお互いさまで、何度かエディオからも「想像と違う」とこぼされもした。
しかし結局は、難色をしめしていた両親をも納得させてしまうくらい、彼は一途にリーリアを想い続けてくれたのだった。
そしてリーリアは何年たっても、やっぱりエディオにときめき続けた。
初めて二人で踊ったパーティーから二年。
憧れが本当の恋に変わり、リーリアが魔術師の見習いから一人前として自立した直後ごろ。
二人は手を取り合い、夫婦になることを誓い合うのだった。