第2話 聖女セフィーラの誕生
その冬は、ひどく寒かった。
夜通し降り続いた雪が、教会の石段を白く覆っていた。
夜明け前。
教会の扉の前に、小さな籠が置かれていた。
中には、生まれて間もない赤ん坊が一人。
薄い毛布に包まれた赤ん坊は、寒さに震えながら、小さな声で泣いていた。
その声に気づいた修道女が、慌てて扉を開けた。
「まあ……! こんな寒い日に……!」
修道女は赤ん坊を抱き上げ、胸元にそっと寄せた。
「大丈夫よ。もう大丈夫だからね」
赤ん坊のそばには、名前を書いた小さな紙が添えられていた。
――セフィーラ。
それが、彼女に与えられた名前だった。
◇◇◇
セフィーラは、修道院で伸び伸びと育った。
明るく元気で、少しばかりおっちょこちょい。
礼拝の最中にくしゃみをして、隣の修道女を驚かせたり、掃除中にバケツをひっくり返したり。
それでも、誰も彼女を責めなかった。
なにしろ、セフィーラは誰よりも人懐っこく、困っている人を放っておけない子だったからだ。
そして四歳になった頃。
彼女の中に、特別な才能があることがわかった。
「セフィーラちゃん。少しだけ、この小鳥を治してあげてくれる?」
庭で傷ついた小鳥を見つけた修道女が、そう尋ねた。
「うん! やってみる!」
セフィーラは小さな手を小鳥にかざした。
「えーっと……ヒール!」
柔らかな光が、小鳥を包み込む。
折れていた翼が元どおりになり、小鳥は元気に羽ばたいた。
「ぴいっ!」
「あははっ! 飛んだ! 飛んだよ!」
セフィーラは大喜びで手を叩いた。
しかし、驚いたのは修道女のほうだった。
幼い子供が、教えられたばかりの回復魔法を使いこなしただけではない。
その治癒能力は、熟練の神官にも匹敵していたのだ。
それからセフィーラは、回復魔法を夢中になって覚えていった。
転んで膝を擦りむいた子供を治し、畑仕事で腰を痛めた老人を治し、病気で寝込んでいた修道女を元気にする。
「セフィーラちゃん、ありがとう」
「どういたしまして!」
誰かが笑顔になるたび、セフィーラも嬉しくなった。
人を治すこと。
それが、彼女にとって何より楽しいことになっていた。
◇◇◇
十歳になった頃。
セフィーラは、教会の治療室で大きな奇跡を起こした。
運び込まれたのは、魔物との戦いで重傷を負った騎士だった。
全身に深い傷を負い、腕の骨は砕け、意識もほとんどなかった。
「この傷では、助かるかどうか……」
治療にあたっていた神官たちが、難しい顔をしていた。
その様子を見て、セフィーラは小さな手を握り締めた。
「大丈夫。私が治してあげる!」
「セフィーラ、待ちなさい。あなたにはまだ――」
「ヒール!」
眩い光が治療室を満たした。
傷口が塞がり、砕けた骨がつながり、失われかけていた生命の輝きが戻っていく。
やがて騎士は目を開けた。
「……ここは?」
「よかったあ!」
セフィーラは、飛び上がるように喜んだ。
その場にいた神官たちは、言葉を失っていた。
それは通常の回復魔法ではない。
失われた身体機能さえも取り戻す、規格外の治癒能力。
人々はその力を、いつしか《超回復》と呼ぶようになった。
セフィーラ自身は、そんな大層な名前がついたことなど気にも留めなかった。
「えへへ。元気になってよかった!」
彼女にとっては、それだけのことだった。
◇◇◇
そして、十五歳。
セフィーラの名は、王都の大神殿にまで届いていた。
どんな重傷も治し、失われた腕さえ再生させる少女。
その力は、聖女と呼ぶにふさわしいものだった。
ある日、セフィーラは大神殿へと呼び出された。
荘厳な大広間。
祭壇の前には、白い法衣をまとった法王が座していた。
その左右には、大神官たちが並んでいる。
「セフィーラよ。よくぞ参った」
「はい! お呼びでしょうか!」
セフィーラは元気よく返事をした。
勢いがよすぎて、少しだけ声が響きすぎた。
大神官の一人が、思わず肩を震わせる。
法王は咳払いをして、威厳たっぷりに口を開いた。
「そなたの回復魔法は、歴代の神官をも超えるほどの力を持つと聞いておる」
「えへへ。皆さんが喜んでくれるので、頑張りました!」
法王は笑顔を浮かべた。
しかし、その胸の内は穏やかではなかった。
セフィーラの力は、あまりにも大きい。
もし彼女が教会の中心に立てば、人々の信仰は法王ではなく、彼女へと集まるかもしれない。
やがて自分の座さえ脅かされるのではないか。
そんな恐れが、法王の心に芽生えていた。
ならば――。
彼女を教会の外へ送り出せばよい。
魔王討伐という、誰もが認める大義名分を与えて。
「セフィーラよ」
法王は、厳かな声で告げた。
「そなたに聖女の称号を授ける」
「せ、聖女ですか!?」
セフィーラの瞳が輝いた。
「はいっ! ありがとうございます!」
法王は満足そうに頷いた。
「そして、勇者たちと共に魔王を討ち倒すのだ。世界を救うため、そなたの力を役立てるがよい」
大広間が静まり返る。
だが、セフィーラは一切ためらわなかった。
「喜んでお受けします!」
彼女は胸の前で両手を握り締め、満面の笑みを浮かべた。
「私が世界を救います!」
その声は、大広間いっぱいに響き渡った。
「どんな怪我でも、私が治してあげます! 勇者様たちが安心して戦えるように、いーっぱい頑張りますね!」
法王は、わずかに頬を引きつらせた。
……そこまで張り切らなくてもよいのだが。
しかし、今さら取り消すわけにもいかなかった。
「う、うむ……期待しておるぞ」
「はいっ!」
セフィーラは元気いっぱいに返事をした。
こうして、聖女セフィーラの魔王討伐が決まった。
◇◇◇
それから数日後。
セフィーラは旅支度を整え、教会の門の前に立っていた。
見送りに来た修道女たちが、心配そうに彼女を見つめている。
「セフィーラ、本当に気をつけるのよ」
「はい! 皆さんも元気でいてくださいね!」
「無理はしないでね」
「大丈夫です! 怪我をしたら治せばいいんですから!」
修道女たちは、顔を見合わせた。
「……そういう意味じゃないのだけれど」
「えっ? 何か違いました?」
セフィーラは首を傾げた。
そして、すぐに笑顔に戻った。
「まあ、いいですよね! それでは、行ってきます!」
軽やかな足取りで、彼女は門をくぐった。
その背中には、世界を救うという大きな使命が託されていた。
本人は、その使命を心から喜んでいた。
どんな怪我も治せる。
どんな人も救える。
そう信じていたからだ。
◇◇◇
ちなみに、この世界には勇者が一人しかいないわけではない。
各地に、魔王討伐を志す勇者たちが存在していた。
剣の腕に秀でた者。
強大な魔法を操る者。
仲間を率いるカリスマを持つ者。
それぞれが自分こそ魔王を倒す存在だと信じ、旅を続けている。
しかし、魔王は今も健在だった。
人間たちは幾度となく討伐隊を送り込んだが、そのたびに失敗していた。
そして今、新たな聖女が旅立った。
どんな傷も治し、失われた身体さえ取り戻す奇跡のヒーラー。
彼女が加わった勇者たちは、きっと魔王を倒せるだろう。
少なくとも、セフィーラはそう信じて疑わなかった。
「待っていてくださいね、魔王さん!」
彼女は青空を見上げ、元気いっぱいに宣言した。
「私が、みんなを助けてあげますから!」
その笑顔に、悪意は一片もなかった。
ただ一つ、彼女にはまだ理解できていないことがあった。
身体の傷が治ることと、戦い続けられることは、同じではない。
そして、勇者が何人いようとも。
戦う者たちの心が折れてしまえば、魔王を倒すことはできないのだ。
――聖女セフィーラの旅は、まだ始まったばかりだった。




