第1話 聖女セラフィーナと終わらない魔王討伐
聖女セラフィーナ。
人々は彼女を、そう呼んでいた。
愛称はセラ。
金色の髪に、澄んだ青い瞳。いつも穏やかな笑顔を浮かべる、誰もが認める美しい聖女である。
彼女が操る回復魔法は、常識を超えていた。
裂けた傷口を塞ぎ、砕けた骨をつなぎ、失われた肉体さえも再生する。
死の淵に立つ者すら、再び立ち上がらせる奇跡の魔法。
そんな彼女が、勇者一行に加わった。
目的は、魔王討伐。
長い旅路の果て、勇者たちはついに魔王城へとたどり着いた。
「いよいよだな……」
勇者が聖剣を握り締める。
「ああ。ここまで来たんだ。絶対に魔王を倒してやる!」
そう意気込むのは、重厚な鎧を身にまとったタンク役の戦士。
「さっさと終わらせて帰りたいわね。もう何日もお風呂に入っていないんだから」
魔法使いも、疲れた顔で杖を握る。
その後ろで、セラはにこにこと笑っていた。
「大丈夫ですよ。皆さんが怪我をしても、私が治しますからね!」
「ははっ、頼りにしてるぜ!」
戦士は笑った。
このときの彼は、まだ知らなかった。
セラの回復魔法が、どれほど恐ろしいものなのかを。
そして、怪我が治るということと、戦いが終わるということは、まったく別の話なのだと。
◇◇◇
魔王の間。
巨大な玉座に腰掛けていた魔王が、ゆっくりと立ち上がった。
「よくぞここまで来た、人間どもよ」
圧倒的な魔力が、大広間を満たす。
「我が名は魔王。貴様らの旅も、ここで終わりだ」
「それはこっちの台詞だ!」
勇者が飛び出した。
聖剣と魔王の剣が激突する。
凄まじい衝撃が走った。
「ぐああああっ!」
最初に吹き飛ばされたのは、戦士だった。
魔王の剣が鎧ごと戦士の腕を切り落とす。
鮮血が舞い、切断された腕が床を転がった。
「う、腕が……俺の腕がああああっ!」
戦士は床に倒れ込み、絶叫した。
痛い。
あまりにも痛い。
腕があった場所から血が流れ、意識が遠のいていく。
「戦士さん!」
セラが駆け寄った。
「大丈夫です! 私が治しますからね!」
「ま、待て……! 腕だぞ! 腕がなくなったんだぞ!」
「はい。ですから、治しますね!」
セラが両手をかざす。
「ヒール!」
柔らかな光が戦士の全身を包んだ。
止まらなかった出血が収まり、傷口が塞がっていく。
そして――。
「……え?」
戦士は目を見開いた。
失われたはずの腕が、元どおりになっていた。
指を動かす。
握り拳を作る。
腕は完全に再生し、傷一つ残っていない。
「う、嘘だろ……本当に治った……」
「よかったですね!」
セラは満面の笑みを浮かべた。
「これで、また戦えますよ!」
「…………え?」
戦士の笑顔が凍りついた。
「いや、待て。俺は今、腕を切り落とされて……」
「はい! でも、もう大丈夫です!」
「いやいやいや! そういう問題じゃ――」
「戦士さん、魔王はまだ健在ですよ?」
セラは小首を傾げた。
「頑張りましょう!」
「……う、うおおおおっ!」
戦士は泣きそうな顔で盾を構え直した。
戦闘は、まだ始まったばかりだった。
◇◇◇
「くっ、この化け物め!」
魔法使いが杖を掲げる。
「喰らいなさい! フレイムランス!」
炎の槍が魔王へと飛んでいく。
しかし、魔王は片手を振っただけだった。
「無駄だ」
炎が消し飛ぶ。
次の瞬間、魔王の魔力が爆発した。
「きゃああああっ!」
魔法使いの身体が宙を舞い、壁へと叩きつけられた。
鈍い音が響く。
腕があり得ない方向へ折れ曲がり、脚もねじれるように歪んでいた。
全身の骨が砕けたかのような、凄惨な姿。
「い、いや……あああああっ!」
魔法使いは激痛に叫んだ。
息をするだけで身体が痛む。
立ち上がることも、指を動かすこともできない。
「もう嫌……こんなの、もう嫌よ……!」
セラが駆け寄ってくる。
「まあ、大変!」
「来ないで! 来ないでえええっ!」
「大丈夫ですよ。すぐに治しますからね!」
「嫌ああああああっ!」
「ヒール!」
再び、聖なる光が広間を満たした。
折れた骨がつながり、曲がった腕と脚が正常な位置へ戻る。
傷が塞がり、身体は完全な状態へと回復した。
魔法使いは、ゆっくりと起き上がった。
痛みは消えている。
腕も脚も、何事もなかったかのように動く。
「……治った」
「はい! 完治です!」
セラは嬉しそうに手を叩いた。
「すごいです! さすが魔法使いさんですね!」
「……何が、さすがなのよ」
「え?」
「私は今、全身の骨が折れたのよ……! 身体がぐちゃぐちゃになったのよ……!」
「でも、今は元どおりですよ?」
「そういうことを言ってるんじゃないのよおおおおっ!」
魔法使いの悲鳴が、魔王の間に響き渡った。
魔王ですら、わずかに眉をひそめていた。
「……人間とは、奇妙な生き物だな」
◇◇◇
「くそっ……! まだだ!」
勇者は聖剣を握り締めた。
仲間たちは、もう限界だった。
いや、正確には身体だけなら限界ではない。
戦士の腕は元どおり。
魔法使いの全身も完全回復。
しかし、二人の顔からはすっかり生気が失われていた。
それでも、勇者は前へ出る。
自分が倒れれば、この戦いは終わる。
勇者は、最後の力を振り絞って魔王に斬りかかった。
「うおおおおおっ!」
「愚かな」
魔王の剣が閃いた。
一撃。
勇者の身体が大きくのけぞる。
「……あ?」
勇者は自分の腹を見下ろした。
そこには、ぽっかりと大きな穴が開いていた。
剣が腹部を貫き、身体の奥まで深刻な損傷を与えていた。
「な、なんだ……これ……」
勇者の膝が崩れ落ちる。
「うそ……だろ……」
血が床に広がっていく。
意識が薄れていく。
死ぬ。
今度こそ、自分は死ぬのだ。
「勇者様!」
セラが叫んだ。
彼女は勇者のもとへ駆け寄り、両手をかざした。
「大丈夫です! 絶対に助けますから!」
「……もう、いい……」
勇者はかすれた声で呟いた。
「俺は……もう……」
「そんなこと言わないでください!」
セラの魔力が、一気に解き放たれた。
「ヒール!」
眩い光が勇者を包み込む。
貫かれた腹部が再生し、傷ついた臓器が元どおりになっていく。
失われかけていた生命の輝きが戻る。
そして、数秒後。
勇者は完全な状態で、床に横たわっていた。
「……はっ! はあっ……!」
勇者は荒い呼吸を繰り返した。
腹を触る。
穴はない。
傷もない。
血も止まっている。
身体は完全に回復していた。
「勇者様! よかった……!」
セラは涙ぐみながら、勇者の手を握った。
「本当によかったです!」
そして、にっこりと笑った。
「さあ、勇者様。まだまだいけますよ!」
「…………」
勇者は、何も答えなかった。
戦士も、魔法使いも、黙り込んでいた。
しばらくして、勇者がゆっくりと口を開いた。
「……撤退だ」
「え?」
「撤退する。今すぐだ」
勇者は立ち上がった。
「もう無理だああああああっ!」
その絶叫は、魔王の間にこだました。
「ゆ、勇者様!?」
「俺は勇者だぞ! 世界を救うために旅をしてきたんだぞ!」
勇者は涙を流しながら叫んだ。
「でもな! 腹に穴を開けられて、死にかけて、それで治ったからもう一回戦えって!? そんなの聞いてないだろおおおおっ!」
戦士も盾を投げ捨てた。
「俺は帰る! もう農業をする! 畑を耕して暮らすんだ!」
魔法使いは杖を床に置いた。
「私はもう魔法なんて使わない! 占い師になる! 危険な未来を予言して、絶対に近づかない人生を送るわ!」
「皆さん、落ち着いてください!」
セラは慌てて三人をなだめた。
「身体は治っていますよ? まだ戦えます!」
「心が治ってねえんだよおおおおっ!!」
三人の声が、見事に重なった。
魔王は、玉座の前で腕を組んでいた。
「……聖女よ」
「はい?」
「その回復魔法、我が軍に欲しいくらいだな」
「まあ! お褒めいただき、ありがとうございます!」
「褒めているつもりはないのだが……」
魔王は深々とため息をついた。
人間の勇者一行を相手にするよりも、この聖女を相手にするほうが、よほど疲れる気がした。
◇◇◇
セラは、転移魔法を発動させた。
こうして勇者一行は、魔王を倒すことなく帰還した。
世界を救うはずだった壮大な冒険は、あっけなく幕を閉じたのだった。
◇◇◇
それから数週間後。
勇者は王都の自宅に引きこもっていた。
「もう魔王討伐なんて二度とやるもんか……」
窓の外を眺めながら、勇者は呟く。
王宮から何度も使者が訪れたが、勇者は一切応じなかった。
聖剣は、部屋の隅で埃をかぶっている。
◇◇
戦士は、実家に帰って農業を始めた。
「はあ……土はいいなあ」
畑を耕しながら、戦士は満足そうに頷く。
魔物に腕を切り落とされることもない。
骨が砕けることもない。
なにより、鍬を振るうのは自分の意思だ。
「もう一生、畑から離れねえぞ……」
彼は、そう心に誓った。
◇◇
魔法使いは、占い師になった。
「今日のあなたの運勢は……」
水晶玉を覗き込み、客に告げる。
「危険な場所には近づかないこと。無理をせず、早めに帰宅しましょう」
客は感心したように頷いた。
「なるほど。さすが先生!」
魔法使いは、にっこりと微笑んだ。
もう二度と、あんな目には遭いたくない。
彼女は、魔法の杖を封印した。
◇◇
そして、勇者パーティーは解散した。
魔王は健在。
世界は救われていない。
だが、勇者たちはそれぞれ平和な生活を手に入れた。
彼らにとって、それは何よりも大切な勝利だった。
◇◇◇
一方、聖女セラフィーナは、冒険者ギルドを訪れていた。
「こんにちは!」
受付嬢が、引きつった笑顔で出迎える。
「せ、聖女様……本日は、どのようなご用件で?」
「新しい冒険者パーティーを探しているんです!」
「……さようでございますか」
「はい! 今度こそ、魔王討伐を成功させたいんです!」
受付嬢の顔から、みるみる血の気が引いていった。
ギルドの奥では、冒険者たちがひそひそと話している。
「おい……あの人が来たぞ」
「嘘だろ……」
「誰か、今日は休暇だって言ってくれ……」
しかし、セラは気づかない。
彼女は掲示板を眺め、楽しそうに微笑んでいた。
「ふふっ。次はどんな方たちと冒険できるのでしょう?」
彼女の回復魔法は、本物だった。
失われた腕も、折れた骨も、貫かれた腹部も、すべて元どおりにできる。
ただ一つ。
何度も死の淵をさまよった者の心だけは、治すことができなかった。
そして今日も、聖女は笑顔で冒険者たちを探し続ける。
「皆さん! 回復したので、もう一戦ですよ!」
その言葉を聞いた冒険者たちは、一斉に逃げ出した。
こうして王都に、新たな噂が広がることになる。
――聖女セラフィーナには、絶対に近づいてはいけない。
なぜなら彼女は、どんな怪我も治してしまうのだから。
☆☆『ブラックヒーラー ~回復したので、もう一戦!~』☆☆
これは、善意の聖女と、終わらない戦闘に巻き込まれる冒険者たちの物語である。




