01 偽りの伝説
かつて、人類と魔族は共存していた。
しかし、その均衡は魔王アナザエルによって破られる事となる。
魔族による大陸統一を目論見たアナザエルはその領地を拡大していき、次々と人類の国を侵略、制圧していた。
圧倒的な力を持つ魔族を前に、人類は為す術もなく蹂躙され続けた……一人の青年が立ち上がるまでは。
勇者マルク。
庶民の出でありながら卓越した剣の腕、優れた判断力、不屈の精神、そして誰よりも強い正義感を持った彼は七人の仲間を連れて魔族に反旗を翻した。
マルクとその仲間たちの活躍は瞬く間に人類の間で広まって行き、彼らの健闘に勇気づけられた人々は次々と魔族に立ち向うこととなる。
やがて形勢は逆転、魔族は後退する一方となり、マルク率いる人類同盟は魔族の領地の奥深くまで進んでいった。
しかし魔王軍はどれだけの被害を受けようと決して降服せず、追い詰められた果てに魔王城にて最後の戦いが始まった。
*
人類と魔族による激しい攻防戦が行われる魔王城の中央。
「……貴様が勇者マルクか」
魔王アナザエルは玉座に腰掛けながらマルクを睨む。
「いかにも」
マルクは右手に握った剣を魔王に向けた。
「降服しろ、魔王アナザエル。これ以上無意味な血は流したくない」
その言葉を魔王は鼻で笑う。
「たわけが」
そしてゆっくりと立ち上がり、王座に立てかけられた大剣を手に取った。
「ここまで来て降服などできるものか。我が始めた戦争だ、この手で終わらせて見せよう」
「勝ち目があると思っているのか?!」
「貴様を討てば戦況も変わるだろう。魔王の力、とくとその目に焼き付けるがいい!」
その言葉と共に、莫大な量の魔力が周囲一帯を覆った。
「くっ……俺は、負けない!」
マルクは剣を構えると、魔王に向かって駆け出す。
「人類の自由の為に!」
勇者と魔王。物語の主人公とその宿敵。
世界の運命を左右するであえろう最後の戦いが幕を上げた。
……そして俺はその様子を天井の隅っこに張り付いた状態で見つめていた。
世間一般じゃマルクには七人の仲間がいるって事になってるが、実はもう一人いる。
それが俺、ウルムだ。
マルクは強い。が、到底一人じゃ魔王に勝てない。
生憎他の仲間も魔将軍の相手で手一杯だ。となるとマルクを助けられるのは俺だけ。
――いつものことだけどな。
勇者と魔王の激戦が繰り広げられる中、俺は僅かな隙を伺いながらその身を潜め続ける。
勇者様やそのお仲間たちが堂々と活躍する中、その裏で事がうまく運ぶように仕向けてきたのは俺だ。
名前も姿も知られる事なく。
魔族だろうが人間だろうが少しでもマルクたちの邪魔になりそうな奴は片っ端から消してきた。
全てがマルクの筋書き通り進むように。
マルクが完璧な勇者を演じ続けられるように。
別に損な役割だとはおもっちゃいねえ。むしろ俺みたいな日陰者にとっちゃ天職だ。
……そろそろか。
下で激戦を繰り広げているマルクが押され気味になってきたので、俺は短刀を抜き、準備をする。
いくら魔王とは言え、隙はある。誰にだって訪れるあの一瞬が。
勝利を確信してしまう、その瞬間が。
「ふんっ!」
魔王は左手から放った波動でマルクの剣を弾き飛ばし、そのまま彼を壁に叩きつける。
「終わりだ!」
身動きの取れないマルクに一気に接近する魔王。
刹那、わずかにこっちを見るマルクと目が合った。
――わかってるって。
魔王が大剣を振りかざしたその瞬間、俺は飛び降りた。
「んっ?!」
瞬時に俺の気配に気づいたのか、魔王は魔法を放とうと左手を俺に向けた。
――遅い。
俺は袖から取り出した暗器を魔王に向かって投げつける。
暗器は魔王が身に纏っている結界によって弾かれるものの、同時に暗器に結び付けられた小さな煙玉が爆発。
煙幕が魔王を包み込む。
俺は受身を取って着地すると、魔王を護る結界に向けて封魔の刻印が刻まれた左腕を伸ばす。
同時に凄まじい衝撃が全身を走った。
「ぐっ……」
膨大な魔力が体に流れ込んでくるのを感じる。
並大抵の人間なら一瞬で精神が崩壊し、魔王の従順な傀儡となるだろう。
だが、俺はそんなにやわじゃねえ。
全身を蝕む魔王の力に耐えながら俺は叫ぶ。
「マルクっ!!」
「ああ!」
マルクは飛び起きて剣を手に取り、一瞬だけ結界が消滅した魔王の胸をその刃で貫く。
「ぐっ!」
魔王の気がマルクに向いた瞬間、俺はすかさず右手の短刀を背中に突き立てた。
「がはっ!」
魔王は崩れ落ちるように跪く。
俺の短刀には常人なら触れただけで即死する神経毒が大量に塗ってある。
さすがに魔王は瞬殺できないが、ある程度は効くみたいだ。
「助かったよ、ウルム」
「始めっからこういう作戦だっただろ」
俺は魔王の背中から短刀を抜く。
同時にこちらへと近づいてくる足音がする。
気配からしてマルクのお仲間さんたちだろう。
「じゃ、残りは大丈夫だよな」
「ああ。任せてくれ。勇者らしく綺麗に終わらせるさ」
「へいへい」
仲間が到着すると同時に俺は近くの柱に隠れた。
「マルク、大丈夫?!」
「セレス?! それに他のみんなも!」
「ったく、先走りやがって! 心配させんじゃねえぞ!」
「そうですよ。私たちがいると言うのに」
俺は柱の影からマルクと仲間たちの茶番劇を半笑いで見つめていた。
「ぐっ、劣等種ごときに……この我がっ!」
魔王は再び立ち上がるものの、もう神経毒は全身に回ってる。まともに戦えやしない。
そしてマルクもそんな事はわかってる。
「まさか、まだ立ち上がると言うのか!」
わざとらしく驚くマルク。ほんとに役者だよな、こいつは。
「大丈夫よ、今度は私たちがついているから」
「ありがとうセレス……そしてみんな。これで終わりにしよう!」
八人は力を合わせて必殺技みたいなのを使って魔王をたおした。
こうして長い旅の末に勇者と七人の仲間たちは絆だかなんだかの力によって魔王を倒しましたとさ。
めでたしめでたし。
*
魔王が倒された事によって魔族は降服し、戦争は人類の勝利で終わった。
「……疲れた」
人類同盟の前線基地にて。
人間たちが勝利を祝ってどんちゃん騒ぎする中、俺は少し遠くの丘で、芝生に横たわってその様子を眺めていた。
今頃マルクたちは英雄として祭り上げられてるんだろうな。
「こんなとこにいたか、ウルム」
「ああ」
意外にも、見覚えのある勇者様がこっちへと歩いてきた。
「祭の主役がこんなところにいていいのか?」
俺の問いに、マルクは苦笑する。
「ああいうのはどうも得意じゃないんだよ」
「うそこけ」
マルクは俺の隣に座った。
「求められてたから勇者を演じてきたまでさ」
「だからって誰でもできるもんじゃねえだろ」
「それはお前も同じだろ、ウルム」
俺を見つめ、マルクは爽やかな笑顔を浮かべた。
なんつうか、本当に綺麗な表情ができるんだよな。俺には到底無理だ。
「精神論と綺麗事だけじゃ戦争は勝てない。お前が自ら手を汚してくれたおかげで、俺は民の求める勇者であり続ける事ができた。お前がいてこそ勇者マルクと言う伝説は作れたんだよ」
「へいへい」
やめろよ、照れる。
「思えば遠くへ来たもんだよな」
「ああ」
「貧困街の孤児二人がこうなるなんて誰も思ってなかっただろうね」
すると、マルクは立ち上がった。
「勇者マルクの物語はここで終わるけど、俺の革命はまだ終わらない」
曇りのない真っ直ぐな瞳で、マルクは遠くを見つめる。
いつだってこいつはそうだ。決して手に届かないようなものを見つめ、無我夢中に追い続ける。
「魔族と言う驚異は無くなったとは言え、人類は理想の姿からはまだほど遠い。すぐに人間同士の争いも再開するだろうし、貧富の格差だって埋まりはしない。力を持つ者は弱き者から摂取し、力を持たぬものは蹂躙され続けるだろう」
また始まった。本当に正義感の塊というか……
俺からしてみりゃ仕方ねえ事だけど、そこが勇者様とただの日陰者の違いなんだろうな。
「俺は世界を変えたい。神も王もいない、国も種族も問わずに誰もが手を取り合って暮らせる平等な世界を創るんだ」
「まっ、頑張れよ」
するとマルクは俺に手を伸ばす。
「なに他人事みたいに言ってるんだ?」
「はいはい」
まあ、これからも可能な範囲で面倒見てやるよ。
俺はマルクの手を強く握ると、彼に引っ張られて起き上がる。
ふと、俺たちの間に静けさが訪れた。
マルクは何故か悲しげな表情をしてる。
「おい――」
俺が声を掛けると同時に、マルクはゆっくりと口を開く。
「……ウルム、頼みがあるんだ」
そしてマルクはその曇り無き瞳で俺を真っ直ぐに見つめ――
「死んでくれ」
「えっ……」
気付くと、俺の懐には短剣が刺さっていた。
「おい……なにを……」
何が起きてるかわからない。
痛え。
一滴、一滴と短剣の刺さった腹部から血が零れ落ちる。
徐々に赤く染まっていく足元の草を見つめながら、俺は気付いた。
そうだ。刺されたんだ。マルクに。
普通だったら簡単に避けられたはずだ。
魔王戦の疲労と、マルクへの絶対的な信頼が俺の判断力を曇らせてしまったのだろう。
マルクは俺の懐から短剣を抜き、血を払い落とした。
「勇者マルクの伝説は革命の礎となる。故に多くの民の心を動かす物語でなければならない」
「……てめえ」
「勇者マルクは完璧でなければいけない。絶対的な善であり、唯一の正義でなければならない」
俺は腹を抑えながらよろめく。足に力がはいらねえ。
「裏であれこれ汚い手を使ってたなんて事実が世に知られたら伝説は崩壊してしまう」
マルクは短剣を投げ捨てると、腰に差した剣を抜いた。
「だから唯一真実を知っているお前は、生きてちゃいけないんだ」
最後に俺を見つめ、マルクは一筋の涙を流す。
「ごめんな、ウルム」
その言葉でようやく理解が追い付き、俺は歯を食いしばった。
「てめえ……」
俺はこいつにとって始めっからただの駒だった。
理想の世界を作るための道具。
そしていらなくなったから捨てようって魂胆だ。
いいぜ、上等じゃねえか。
俺は歯を食いしばったまま精一杯頬を吊り上げる。
「……後悔すんじゃねえぞ、マルク」
「もう、迷いはないさ」
マルクは、俺に目掛けて剣を振り下ろした。
俺は死なねえ。絶対に――