83話:突破口
三途の体から、力がふっと抜けていった。いつも隣にいた、騒がしくもにぎやかで、戦いの時でさえ常にそばを離れないでいてくれた。獣の森を滑る狩人の少女が、脳型の魔機によって奪われた。
彼女の喪失は、三途が思っていた以上の衝撃であった。
それほどに彼女の存在が、三途にとっての日常になっていたのだ。
あれから、管という管は脳型魔機を追うようにして、まるで嘘のようにこちらへの猛威を止めた。証拠に三途がへたり込んでいても、管はまるで手を出してこない。
からん、と刀が三途の手から滑り落ちた。力の抜けた三途を支えたのは、クロアだった。
「しっかり……」
「……うそだろう」
「おい……?」
「何で、月華……!」
座り込んだまま、三途はクロアの声にも答えず自問自答していた。
顔を青ざめて錯乱している三途は、クロアの言葉にもイストリアの遠慮がちな声もまるで届いていない。
しびれを切らしたクロアがひっ叩いてくれなければ、三途は我に返ることはできなかっただろう。
頬のじんじんとした痛みを覚えた三途は、暗転した視界でようやく自分が何をされたか気づいた。
「……あ」
「おい、大丈夫か! 私の声も届いていないのか!」
「い、いや……いま、我に返った」
三途は少しだけぼんやりしていたが、目の焦点はしっかりと合った。焦燥に染まりかけていたクロアと、心配そうにおびえた表情でこちらを見つめるイストリア。
クロアにもイストリアにも、三途が取り乱した理由はわかっている。三途の隣に常にいてくれた、月華が脳型魔機によって奪われたからだ。魔機の大元を破壊するどころではない。月華を取り戻すことが、最優先事項となった。
「三途……ごめん、なさい」
イストリアは、とうとうこらえきれずぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。が、三途にはどうしてイストリアが謝るのか理由を知らない。
「陛下……? どうして陛下が謝罪されるんですか?」
自分よりも格段に感情の波を際だたせているものが隣にいることで、三途は自然と落ち着くことができた。
「わたしの責任です……月華は、すべて私の代わりに飲み込まれてしまったのです……」
「どういうことか、説明してもらえますか?」
三途はおろおろしながらイストリアをなだめる。涙に頬を濡らす彼女は、泣きやむまでずっと顔を手で覆っていた。
黄金色の海を覆い尽くしたそこは、無数の管によって灰色に染め抜かれている。その様子を、少しだけ三途は見据えていた。そしてすぐに向き直り、イストリアをなだめる。
すんすんと鼻をすすりながら、イストリアがようやく涙を納めた。
「月華はわたしの代わりに、魔機のもとへと飛び込んでいきました。それは間違いのないことです。これは、さきほどあなたに伝えましたね」
「はい。……でも、あれはなるべくしてなった状態ではないですか? 俺の見た限り、月華は陛下を庇った。だからこそ呑まれたのでは」
「その通りです」
「……だが、」
と、クロアが言葉を続ける。
「彼女が代わりとなったことで、生きながらえたものがある」
「生きながらえた? 陛下のことか?」
「それはもちろんだ。だが、陛下がこの場でご無事であることは、お前が思っているよりもずっと大きな意味を持つ」
「どういうことだ?」
「そこからはわたしが。わたしは、夜穿ノ郷の王国の代表です。王国の女王イストリアです。星にとって、ひとつの国々の代表というのは、それだけで大きな存在になります。自分の国の番人を見つけることができますし、番人が新たに生まれたこともすぐにわかります。そしてわたしの命は、この王国とひとつに繋がっているのです。次の王国代表が生まれるまでは、わたしはずっと、王国という国と運命を共にすることになっているのです」
「……王国とひとつ」
「はい。つまり、王国が繁栄すればわたしも健やかでいられます。逆に王国が荒れてしまうと、わたしも引きずられるように体の調子を崩します。それは、王国の状態が著しいほどに、わたしの体調にも大きく影響します。繁栄しているときも、荒れているときも」
「……」
「そして、王国がそうなるとわたしも同じことになる。これは逆でも成立します。わたしの身に何かあれば王国にも良からぬ影響が及びます。ましてや、新たな代表が選ばれていない状態でわたしに何かあれば、真っ先に影響を受けるのは王国なのです」
「じゃあ、まさか……魔機はそれを狙って……?」
そうです、とイストリアは頷く。
イストリアの話は事実だろう、と三途はわかった。
先ほどの魔機の行動。魔機にとって一番の危険人物でもあり、星の番人でもある三途には目もくれず、真っ先にイストリアを狙っていた。
イストリアの言うように、王国代表である彼女を落とせば、この王国が終わるのだとしたら、納得のできる行動だ。
ましてや、魔機にとって危険人物でもあり、この王国の番人に選ばれた三途をわざわざ相手してやる必要もない。実に効率的で合理的な判断だ。
だが、魔機の目論見はすんでのところでかわされた。
月華がイストリアを庇い、イストリアの身代わりに連れて行かれた。
王国にとっては、イストリアが生き残っていることでどうにか生存を保っている。ある種の幸運ではある。
……しかし、三途にとっては、必ずしも幸運ではない。
幸運の身代わりに、月華が不運に落とされたのだから。
そしてそれは、イストリアもクロアも同じ気持ちだ。
「……どうにかして、月華を助けなければ」
「そうだな。だが、のんびり考える時間はないだろう」
「いや、確かに時間はないが、少しだけの余裕ならある。番人システムをたどったら、月華はまだ無事だった」
意識を集中させて、三途は月華の痕跡をたどる。黄金色の海の中の、脳型魔機によって、意識はとぎれているもののまだ心身のどこにも傷を負っていない。
脳型魔機はずいぶんと月華には紳士的な対応をしている。あるいは、月華の安全をこちらへ示し、無傷な状態と引き替えにイストリアを要求する可能性もある。
(そんなこと、させない)
仮に、魔機がそんな作戦をたくらんでいたのだとしても、三途は月華を取り戻すことに変わりはない。そして、イストリアを渡すつもりもない。
するべきことは、月華の救出。そして、脳型魔機の完全破壊。そして、イストリアの護衛。
3つ同時に行うのは、容易なことではない。だが全く不可能なことではない。
もとより、それらを成し遂げることができない、と投げ出すつもりもない。ならば、自分が手始めに行うことをするだけだ。
「陛下。お聞きしたいことが」
「な、なんでしょう……」
「あの脳型魔機から、陛下が感じ取れる何かはありますか?」
「感じ取れる何か……?」
「何でも良いのです。たとえば、……そうだ、俺を番人だと一目見てわかった、と仰っていましたね。あれに準ずるようなものでも良いんです」
「とはいっても……ごめんなさい、あのときのような感覚は……」
そう口に出しながらも、イストリアはうーんと唸りながら魔機からかぎ取った感覚を思いだそうとする。
「そう、ですね……三途の時は、すぐにわかったのです……どうしてかしら……ええそう、そうだわ。わたしも王国の代表ですから、王国を守るための番人というのは、つまり番人も王国に所属するのですから……えぇっと……そう、王国に関わることですから、王国とリンクしている私にも伝わってくるのですよね……」
「それが魔機になるとどういう反応になるんですか?」
「魔機は……番人や王国とはまったく逆の感覚のはずです。なにせ王国の敵ですから……少なくとも敵だとはっきりしている存在ですから……それも王国に強く関わる重要ポイントですから……うーん……」
「王国に害なす者にも感じ取るものが、何かしらあるのですか?」
「あります。あるはずです。……ですが、その感覚は……」
唸りに唸って、イストリアはひとつの可能性に行き着いた。
「そうです、危険だという本能のお告げです!」
「お告げ?」
「はい! それは明らかに、王国に対してよからぬことをするという警告が、本能に走るんです。
そして危険な存在だとして、早急に番人と連携を取る必要があるのです本来は」
なるほど、と三途は納得した。
「なら、もうひとつお聞きしても良いですか?」
「なんでしょう」
「魔機の弱点……いや魔機だけじゃなく王国の敵全体の特徴を見抜けたりはできませんか? もし陛下の、王国の代表としての力にそんな能力があれば、突破口が見えてくるかもしれません」




